SSブログ

京都雑感 2 [徒然]

一般的な京都人の印象

京都独特の言い回しなのか、妻が育った環境だけのことばなのかはわからないけれども、「たりぐるしい」ということばにも驚いたことがある。食事の時に妻が言った言葉だった。「ちょっとたりぐるしいことない?」
今は当たり前のように理解できるから、子供が使ってもごく自然に受け止められるが最初はなんのことかわからなかった。ようするにちょっとなにか足りないのではないかとという言い回しなのだ。

京都の人という印象で忘れがたい人が何人かいる。兄の友人で、一人特別な存在のような人がいた。この人が話すことは全てがメタファーのようで、何を言いたいのか私には皆目見当がつかなかった。存在自体も謎めいていた。背が高く痩せて青白く、彫りの深い顔で外人のような顔をしていた。夕暮れから夜にしか姿を現さない。それもいつの間にかそこにいるという感じだった。まるで小説から抜け出てきたような人だった。お酒を飲めば飲むほどにその青白い顔は白っぽくなっていく。初めてあってから、しばらくした頃この人からはじめて声をかけられた時の事だ。真剣な顔をして私の方をふり返り「ねえ、たばこの煙が目にからいってどう?」なんだか答えようがなかった。彼はじっと私の答えを待ちつつ、目をそらさなかった。私は困惑していたのだと思う。ふいに視線をそらして不思議な笑い声をあげて「もういいよ」といって他の人との会話に戻っていった。
後年、この時のことを聞くと単純にこの言い方が理解できるかという問いかけだった。武田泰淳が作品の中でこの言い回しが理解できなくて、文学は地方の人間じゃないと出来ないかもしれないと書いていたのだそうだ。そこで、ほやほやの田舎者である私にその言葉をぶつけてみたらしいことがわかった。この人は私の中での京都原人の一人である。母と二人暮らしだったのだが家を訪れてもその姿を見たことはなかった。二階に通じる階段からうずたかく積まれた本が、彼の部屋になだれ込むようにつながり、部屋のほとんどを占拠していた。ずっと後で知ったことだが(伝え聞きだったが)、当時はお寺の住職でありながら東北大学の教授であった叔父の庇護を受けていたのだそうだ。彼の従兄弟たちとも知己を得ることが出来たが、皆学究肌の才人で時々新聞の学芸欄でその名前を見ることがあるが、本人とはもう25年以上会っていない。

もう一人は、会社のお得様の一人で西陣の人だった。染色関係の高価な本を毎月買ってくれる上得意の客だった。いつも飄々として軽妙。話題も豊富で遊び人という感じの人だった。この人の話が面白く彼が会社に来ると私は自分の仕事とは関係ないのに、近くに行ってその会話を聞いたり楽しんだ。政治、経済に祇園の話。軽く話す中身が本格的で示唆に富んでいた。40を過ぎたくらいだったが、年を感じさせない人だった。
ある時、彼が私に1回うちにおいでと声をかけてくれた。担当者が「今度出来上がる本を持って行かせますさかい」と言って彼を見送った。
その後、担当者は「miyata君、先方さんがああ言うから本を持って行って。けど、気いつけや」といわれたことが気にかかった。半月ほどしてできたてのほやほやの本を持って、その人の会社に行くことになった。会社といっても大きな民家という感じで黒ずんで小さな看板が掛かっているだけだった。玄関から、「ごめんください」と入っていき、用件を告げてその人を呼んでもらった。出てきたその人は私の姿をみて、今まで見せたことがないような苦々しげな表情で「どこから入ってきてるんや、勝手口に回り。そこに置いたら帰ってよろしい」と言った。
この時は驚いた。少々のショックと、そうか、これが京都かと初めて出会ったような嬉しさというか悔しさというか複雑な気持ちで会社に帰り担当者にこのことを報告した。担当者は嬉しそうな顔をして、「ま、あんまり気にせんとき」と言いながらすぐに電話をして「本人が全然知らんもんですから、失礼しました。言い聞かせておきます」とかなんとか言っていたように思う。そういう関係で成り立っているということを少しだけ理解したのだった。次にその人が会社に来たときはそんなことは全然無かった風に、いつも通りの振る舞いで、やはり私も会話に加わった。
後年、社内ベンチャーのような形で私が会社を持とうとしたとき、本社の反対派の重鎮に「やらせてあげなさい」とその人が進言してくれたことを知った。ちょうどその頃、飲み屋で気炎を上げているときにばたっと出会い、その人は「あんまりな、はねたらいかん。たとえほんまでも、言いたこというもんやない。特に京都はな」と忠告してくれた。私はその人の諦念のようなものに触れた気がしたのだった。

京都の女性の印象はというと、下宿のおばさんに会社の同僚。それから、妻のことになる。一つの典型的な印象は「豹変」である。いつも二面性を孕み、しかも捻れている(ひねくれているという意味ではなく)。普段は温和なのに、自分の領域に踏み込まれると途端に豹変する。通俗的な一般化のような気もするが、そんな印象が拭えない。京都以外の人はその人の性格的な特性が日常的にいつもパーシャルな状態で発揮されているのだが、京都の人はなんだかちょっと違う。
花街から抜け出して下宿した先のおばさんは、ふくぶくとして温和そうで優しい人だった。洗濯物を干していてズボンが破れているのを発見してどうすべきかジッと見ていると、いきなり現れてそのズボンを繕ってくれたりした。そのおばさんがすごい剣幕で怒っているのが聞こえる。どうやらお隣の庭の木が自分の家に進出してじゃまになると言うことを抗議しているらしかった。その剣幕は普段の姿から想像できなくて思わずのけぞった。
会社の同僚もそうだった。普段はまさにおしとやかで柔らかい言葉を話すし、にこやかなのだが、何かの拍子に突然怒り出す。そのスイッチがどうも理解できない。私は幸い被害にあったことはないが、九州出身の奴や他の出身の女性でも時たまその洗礼にあっていた。
妻もやはりそうだった。エピソードは数限りなくあるが、それは割愛する。私は24歳で今の妻と結婚したから、早い時期にそういう感じをつかんだので、生粋の京都の女性と聞くとちょっと引く。

京都で生活していると、いつの間にか無意識に「京都」を意識させられるようになっているのに気づく。これは京都の人の無意識的な防衛反応がそうさせているのではないかと思いたくなるときがある。少しの日常会話が教訓に富んでおり、見えない約束事を少しずつ覚えさせられていく。かといって、全てを受け入れるわけではない。異邦人はどこまでも異邦人のままである。

親しげでいながら胸襟は開かない。京都の人の印象はそんなひんやりとした感じである。


nice!(5)  コメント(18)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 5

コメント 18

納得です
もう25年も付き合っている京都の女性がいます。しかし何年たっても京都に染まらない親友もいました5年前に他界しましたが
私は母が上方の人なのでつい13参りに娘を連れて行きました。彼女は京都で習慣をやっていたら果てしがないからしないと。
ご主人様は京都実家は東京の高円寺

なくなったときに娘さんから(もう一度あいたい方と母のメモの書いてありましたと?

しかし家族に介護中の人がいて葬式の連絡をもらいましたがいけませんでした
by (2007-05-13 19:03) 

Silvermac

「親しげでいながら胸襟は開かない」、開くのは生粋の京都人同士でしょうね。
by Silvermac (2007-05-13 19:26) 

suzune-k

こんばんわ
「京都」中々手強いですねえ
東北人は馬鹿正直ですが
人間誰しも本当のことだけで生きてはいないという感じも受けますね
日本人だってモンゴリアンなんですから
本来は風来坊なんでしょうけど・・・
あなどれませんねえ 「京都」
上っ面だけ見て帰る「観光」だけで十分ですね
by suzune-k (2007-05-13 20:29) 

親しげ感はありますがそれ以上はなかなかなのですね。無口というかおおらかすぎて優柔不断な東北男児も困るのですが。女性では京都のかた手強いでしょうね・・・幸い?おつきあいしたことはないです^^;
by (2007-05-13 21:43) 

miyata

なかなかないさん、こんばんは。
京都の女性ってかなりしっかりしているというか、きつい感じが私にはしますねえ。お知り合いの方、よく言われるのと全く逆パターンですね。東男に京女って。京都に嫁に来たら、大変だったでしょう。
by miyata (2007-05-14 01:51) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
京都人同士って、どんな感じなんでしょうね。分かり合える空気みたいなものは共有できるんでしょうね。
by miyata (2007-05-14 01:53) 

miyata

すず音さん、こんばんは。
京都はあなどれないし、手強いですね(;^_^A アセアセ…
私も東北の血が混じっているので、何となくわかるような気がします。良いところはあまりべたべたしてないところでしょうか。東京のような大都会と違って京都の街中では(マンションとかは事情が違うでしょうが)疎遠なこともないですし。まあ、良いもの見たと思って満足できればそれはそれで一番ですよ。
by miyata (2007-05-14 01:58) 

miyata

京都の女性はと、あまり一般化しては怒られそうですけど(;^_^A アセアセ…
だけど、わりあい料理とか出来る人も多いし、いろんな意識は高いですよね。よくわきまえてるというか。そういうのが歴史なんですかねえ。ま、女房だけで十分ですf(^ー^;
by miyata (2007-05-14 02:01) 

京都弁って物腰が柔らかくいいですよね。
でも京都弁を知らない私は京都弁を話す人の本音が見えてきません。
女性の話す京都弁は情緒的で和服が似合うというイメージですが男性が話すと何処か軽く感じます。
東男に京女!いいですねぇ。
一度京都の女性とお付き合いしてみたかった。
by (2007-05-14 09:24) 

練習菌

古くからの都だから、人との付き合い方の分をわきまえているという感じなのかな?
当たり障りのない人は、ヤナギに風で受け流し、
自分の領域にズケズケと入って来る人には、ちゃんと抗議して、自分の領域を守る。
密集した街並だから、長いおつきあいを維持するのは難しいですねえ。
by 練習菌 (2007-05-14 11:52) 

シマリス

miyataさん、こんにちは。
今回の京都のお人編も、読み応えがありました。
登場人物が皆、一癖二癖ありげで、表も中も同じという田舎者の私など、翻弄されてしまいそうです。
私も病気になる前は、100名近いオバサン達いっぱいの会社で働いておりました。
その中に京都の町の中心部で生まれ育ち、ご主人のお仕事の関係で今のところに住まわれている方と、チョット親しくしておりましたが。。。
まさしくその方の豹変ぶりも見事な!
お年のためだったか、リストラ対象となったトタンに私など無視されてしまいまして、「やはり、京のお人は怖いわ~」と思ったものです。
関西へ転勤になることや、関西人とお付き合いすることがなくて、正解だったのでしょうか・・・
皆さん、プライドが高そうですね。
by シマリス (2007-05-14 16:55) 

左膳

近くに住んでいるのに、敷居が高く感じられた場所でした。
また、京都の人は他国の人には冷たいと評判でした。
「一見さんお断り」のせいかな・・・。
by 左膳 (2007-05-14 18:58) 

miyata

だるまさん、こんばんは。京都の男言葉はそれほど違和感がないというか、普通の関西弁のようにも聞こえるんですけど、女性のいわゆる京言葉は今でも緊張します。それから、やっぱり京都の人は都会人だなあという気がしますね。
by miyata (2007-05-15 02:02) 

miyata

練習菌さん、こんばんは。
田舎者はというか、私の育った環境は向こう三軒両隣はおろか周囲の家の晩ご飯は全部わかるという環境でしたからねえ(笑)。敷居は高くなかったですよね。京都は敷居は高いけど皆おおむね親切ですよ。我慢する限度もかなり高いのではないでしょうか。町内会でちょっとしたいざこざがあっても、それを解決する手腕はそりゃあ、見事というかたいしたもんです。懐が深いんですね。二枚腰、三枚腰みたいな。
by miyata (2007-05-15 02:19) 

miyata

シマリスさん、こんにちは。
昨日、コメントを書こうとしたら途中でなかなか書き込めなくなり、今書いています。京都の人はプライドは高いと思いますね。私が書いた人が京都的だということについては、ちょっと?です。たぶん京都でも異質の人ではないかと思いますが、逆にああいう個性が京都以外でもいるのかと考えると、私には京都だからああいう個性が出てくるんじゃないかと密かに考えたのです。だから「京都原人」です(笑)。
by miyata (2007-05-15 12:38) 

miyata

左膳さん、こんにちは。
京都の人はなんだか神戸があこがれというか、好きそうですよ。海がないからでしょうね。うちの娘なども休日にはよく神戸に行っていました。ハイカラな感じは京都にはあまり無い感覚ですものね。
一見さんお断りは、記事に書いた西陣の人によると敷居を高くするためではなく、一種の信用システムなんだそうです。冷たいというのは、京都は昔から他国の人に何度も荒らされているのが原因かもしれませんね。
by miyata (2007-05-15 12:46) 

tomoko

東北人の田舎者としましては、あくまでも京都は憧れで別世界って感じですね。関西は子供の頃居住してたので違和感は有りませんが、やっぱり京都は建物ばかりで無く、人間も観光の一部になって其れが全部ひっくるめて京都ですね。でも数年前行って余りの変わり様で、がっかりしましたが、又がっかりするのでしょうね。
東北はまだまだ奥が深いですよ、しかし仙台は中途半端な都会になって目指す物が何か見えてきません。
by tomoko (2007-05-17 07:26) 

miyata

tomoちゃん、こんにちは。どうして皆京都に憧れるのでしょうかね。中途半端な都会という意味では、京都一番の目抜き通り、高島屋前から四条河原町、四条通の交差点は、阪急電車から降りて出てみると仙台はおろかどこかの地方都市よりレベルが低いと最近言われるようです。私もそんな気がしますね。駅から下りたときは仙台の方がはるかに大きな都市のように感じます。
by miyata (2007-05-17 12:55) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

京都雑感 1消えた元気 ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。