SSブログ

バカの自覚 [自分のこと]

近所に一軒の本屋さんがある。中心街から少し外れた町中ではそれなりに大きな本屋さんだ。結婚した頃にもあったから京都でも古い本屋さんかもしれない。一階は新刊書と雑誌と実用書、及び文庫とか新書で中二階はコミック。店にはいるとエロ本(雑誌に写真集の類)が所狭しと並んでいる。雑誌の棚をほとんど占領し、最近実用書の棚にも浸食を始めている。これは店主の趣味なのだろうか、それともこの町に需要がそれだけあるのだろうかとちと不思議になる。たまにしか行かないが買い物帰りに立ち寄って毎月買う雑誌がある。内容が変わってしまってもう止めようと思いながらずるずると買い続けているパソコン雑誌「マックパワー」と「MJ無線と実験」の二誌。あとこれらの雑誌を買うついでに行き当たりばったりに買う雑誌。新刊本はあまり充実していない。話題になった本はほとぼりが冷めた頃に入ってくるようで、不思議な時期に平積みになっていることがある。文庫や新書もあるがとても充実しているとは言い難い。が、フランス書院の文庫はほぼ揃っているから、やはり店主の嗜好がかなり色濃く出ているのだろうと推察している。時に雑誌以外に新書を買うときがある。期待して買うというよりも暇つぶしに半日もかからずに読める物をと求める。その中で思わぬ収穫だったと思える本に出会うこともある。
最近では、「生物と無生物のあいだ」-(福岡伸一著・講談社現代新書)がそう。帯の推薦文によしもとばななと茂木健一郎(最近は見なくなったが最初の頃NHKのプロフェッショナルという番組はよく見ていた)の名前が見えたので買ったのだったが、読んでよかったと思えた本だった。

一昨日そんな感じで件の書店で一冊の新書を買った。「バカのための読書術」-(小谷野敦著・ちくま新書)という本。この著者は新潮社から発行されている「考える人」という季刊紙に連載されていた「売春の日本史」が面白くて覚えていた(この連載で自分がかなり傾倒した網野善彦がケチョンケチョンにけなされていて驚いた)。

で、この本だが救われたというか、肩の荷がおりたというか力が抜けた。そもそも私は昨年、一念発起して三好春樹の本を読み解くために、彼の著作で触れられている書物を全部読んでやろうと思い立った。それはフーコーであったりレヴィー=ストロースであったりした。ブログにもそういう決意を恥ずかしげもなく書いたりしていたのだ。ところがこれが間違いだった。三好春樹の本はもともと難解さとは無縁の内容で、時には嚙みくだきすぎるのではないかと思ったりもしていたのだ。なのにそう思ったのは、かつて読もうとして読み切れなかったという苦い思いが自分のどこかにあったからに違いない(これについては、妻が倒れてからそれ以前とそれ以降で自分の自分の意識が断絶してしまったというかある種の失語状態を抱えて今に至っているという感じが拭えないでいる)。書棚から引っ張り出してきたフーコーには読み始めた当時の意気込みの証というか挫折の印があちこちに記されていてなんだかトラウマに触れるようで嫌な気がしたが、今なら読めるだろうと勘違いしていた。

バカのための読書術にはこう書かれていた。難解な本が理解できないバカは歴史を読めと。そういえば、この10年ばかり歴史物や歴史小説(民俗学的なものも)が突然面白くなって暇なときにはそういう類の本ばかり読んでいた。これはこれで目を見張らされるような体験を何度もした。視野が広がったような気もしていた。だから勘違いしたのだと思う。ところが手始めにと手に取ったフーコーが読み切れない。要するに私には難解すぎた。諦められないで入門書も読んだ。「フーコー」-(桜井哲夫著。講談社刊)など。これは面白かったがいざフーコーに戻ってもやはり読解できない。すっかり諦めてしまった私は、Mさんのブログで引用されるフーコーとMさんの文章を読み解こうとすることで自分を繋いでいた(これもなかなか難解だが…)。要するに私は単なるバカだったわけだ。するとバカはバカなりに10年前くらいから私は正しい道を無意識に歩んでいたことになる。小谷野敦はいう。バカは歴史を読めと。読みながら何度も吹き出して笑った。ちょっと扇情的な書き方をする傾向があるけれどもある種の切実さと誠実さも滲んでいて(それがなんだかよくわからないが、「もてない男」とか「恋愛の超越」とかそういう著書もあるようだし、そういう方面にかなり真摯に向き合っている人かもしれない。あとがきで自分でも古典的教養人と呼ばれると書いているが、ちょっと時代がかった硬派風教養人的なところがあるかな)面白かった。

少し気分が晴れた気がして久しぶりに書いているが、なかなか浮上するきっかけが見つからない。何をやるのも億劫で、自信もなく自分が嫌で嫌で仕方がない。まるで憂鬱な少年期に戻ったようだ。ここまで長引くとつい他に原因を求めたくなる。だけど、新しく始まったNHK朝の連ドラを見て他愛もなく喜んでいるから、さして深刻な状態ではないのかもしれない。


nice!(4)  コメント(22)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 4

コメント 22

Silvermac

久しぶりの書き込みでお元気と知り、安心しました。余り永く休まれていたので、体調でも悪いのでは、と少し心配していました。私などは若い頃から難解の書物には、近づかないことに徹していますので、余り悩むことはありません。歴史書が一番好きですね。(^_-)
by Silvermac (2007-10-25 06:34) 

お元気でしょうか。
最近、暇はあるのに本を読まないですねぇ。本を読むことは読めるのですが理解力が落ちて読み終わった後で何だかよくわからないことがしばしばあります。視力の低下と共に脳の低下も原因のようです。
奥様のお加減如何ですか。
やがて冬ですね。読書の秋といいます、短い秋を堪能してください。
by (2007-10-25 09:14) 

M

小谷野敦は「猫を償うに猫をもってせよ」というブログが時折、話題になりますが、非モテの代表格だったのが、ブログで知り合った20以上も年下の美人の女子大学院生と再婚しました。「猫猫先生」と呼ばれています。その結婚が希望なのか裏切りなのか、ぼくには判断できません。
ところでぼくも同じです。読めないフーコーはさっぱりわかりません。それはやっぱりなぜそんなものを考え、書いているかといったモチーフに理解が届くかどうかという問題だと自分では思っています。反対に女子高生のブログもさっぱりわかりませんが、それは感性に届かないのが原因です。どんなに進んでも世界は広いですね。
by M (2007-10-25 11:55) 

左膳

小さいときから読書が苦手で、元気なときでもパソコン雑誌を読むぐらい。
今は、もっと本を読んでおけばボキャブラリィも増えていたのにと
反省しています。
by 左膳 (2007-10-25 18:15) 

hana

miyataさん、今晩は。
本当にお久しぶりです。しばらく更新がなくて、私もどうなさったのかと思っていました。
気分がすぐれないのは同じ、私も何をするでもない日々が続いております。
時間はあるはずですのに、パソコンの前に座って時間をつぶしてしまったりです。
最近では年のせいか、思考力の低下は大いにありますが、またそれも良しとして、流れのままにお気楽に過ごして行こう・・・・などと、思っております。
長く辛い冬が近づいてきていますね。miyataさんも、あまりお考えになりませんように。
by hana (2007-10-25 20:56) 

読書の秋ですね。私も自分の世代では、それなりに(自分の世代あったものしか読みませんが・・・)は読んでいる方だと思っています。
コンビニの雑誌コーナーも成人誌やパチンコとかグルメばかりで、ビジネスやパソコン雑誌など、以前置いてあったものがなくなっていますね。
時代書といえば、NHKの人形劇だかの影響で、中学生のころに三国志(吉川英治)を読んでいたら、続きの巻を本屋のオヤジがなくならないように別途取っておいてくれたのを覚えています。
介護し出して、今は通勤も車になって、ブログなんぞやれば、なかなか書も読めないですね。今買って、待機中のものを2,3冊持っている状態^^)
「生物と無生物のあいだ」も候補でした。今は、作者や書名が確定していれば、ネットのAMAZONを利用して購入しています。ただ、あの本屋をぶらぶらして、表紙や帯などを見て買う感覚も楽しいのですが。
by (2007-10-25 22:20) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
ご心配おかけしました。鬱というほどの事ではないのですが、なんだか力が入らない日々を送っています。原因がよくわからないのです。社会の出来事に目をやっても肌に突き刺さるような痛みしか感じなくて目も耳も塞ぎたくなってしまいます。これはひょっとして男の更年期のようなものでしょうか。だったら安心するのですが。あるいはこんなに家にいる時間が与えられているための充足感が過ぎるせいかもしれませんねえ。いずれにしても溜まったように感じる「なにかを」の排水口を見つけるか作るかしてやらないと、駄目だなあと思っています。「難解」からは手を引きます(^^ゞ
by miyata (2007-10-26 00:09) 

miyata

だるまさん、こんばんは。
私もだるまさんと同じで、理解力の衰えをすごく感じます。それから、目が悪くなったのもかなりこたえていますね。ほんの四ヶ月ほど前までメガネなしに新聞も本も苦労なしに読めたのですが、今は駄目です。老眼鏡を買うべきか買わざるべきか。ああ、そうか…。こういう肉体的な問題が多少なりとも影響しているかもしれませんね。
女房はおかげさまで元気です。生活自体はとても落ち着いているのです。だるまさんの呼びかけに応募しようと思っているのですが、最近女房がとんと絵に興味を示さないのです。少し寂しくあります。
by miyata (2007-10-26 00:16) 

miyata

Mさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。小谷野敦がブログを持っているというのは意外でした。読んでみようとネットに検索をかけたらすぐに出てきました。検索を追っていくと彼はいろいろと論争家のようですね。

Mさんがフーコーを読めないなんて信じられませんね。それがほんとうならますます私が読み切れるような思想家ではなかったということで、諦めがつきます。

若い頃、知識は着ている自分の衣服をはぎ取って、身軽に、なによりも自由を与えてくれるものでした。だけどその知識から疎外されていると感じたとき、すでに以前の身軽さや自由さも奪われていました。これは一種のリバウンドなのでしょうか。この歳になってこういうことをいうのもなんだかなあと、なんとなく苦いのですが。考えてみれば今の生活があまりにも充足しているがゆえに、突き当たった贅沢な悩みかもしれません。
by miyata (2007-10-26 00:37) 

miyata

左膳さん、こんばんは。
読書というのはキリがないですねえ(笑)。あんな本もこんな本も、もっと若いときに読んでいればと、やはり反省します。むしろ本なんて読まない方がいいんじゃないかとさえ思えるときがあります。娘には小さいときに、ときおり絵本を買い与えたり、本や詩集をプレゼントしました。だけど強制はまったくしませんでした(そのはずですが)。息子には本なんて読んでる暇があれば遊べという感じで本を与えた記憶がありません。だけど不思議なもので娘はほとんど本は読みませんが、息子は読書好きです。
by miyata (2007-10-26 00:51) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
ご心配をおかけしました。大きな問題もなく、むしろ淡々と日々生活は続いているのですが、なんだか心が晴れない毎日を送っていました。自分のどこかに老いを忌避するものがひそんでいるのかもしれません。私に必要なのはhanaさんのように「流れのままに」という、知性の獲得なのかもしれません。この歳になって思い知らされたのは、私はとても不器用な人間だったのだということでした。ふり返ると、自身ではまったく別の評価をしていたのです。そういう自分に出会うとどんどん嫌になっていきます。美しいものを美しいと心から言えない心性は持てあますほどにとても辛いのです。
by miyata (2007-10-26 01:03) 

miyata

タケノコさん、こんばんは。
本屋さんの主人との馴れ合いではない交流というのは、思い出深いものがありますね。私も田舎から少し離れた高校に入学して寮生活をしていたのですが、小さな町に一軒だけあった本屋さんの主人との思い出があります。京都に来てからもありました。ツケで購入させてくれたり、お小遣いをくれるようにちょっとだけまけてくれたり。
「生物と無生物のあいだ」は、ほんとに面白い本でしたよ。かなり啓発されてしまいました。スリルもミステリーのような面白さもあります(これは帯によしもとばななが書いていましたねf(^ー^;)。ただ、その研究と学説故にエコロジーの流れに抵抗なく飲み込まれるのではないかという危惧も感じました。出来るならば、この著者には踏ん張ってもらってもっともっとわたし達を啓発してもらいたいと願いたくなります。しかし、あらためて科学者というのは文章が上手ですねえ。
by miyata (2007-10-26 01:21) 

miyataさん 過去の作品でもかまいません。お願い致します。
by (2007-10-26 20:04) 

ANAの皆さんやタクシーの運転手さんにお世話をかけて戻ってきました。憂鬱少年にお電話でもすればよかった。
こんな馬鹿に会うと馬鹿らしくなって欝を逃れるとか

よく言われます
1、冗談がわからない
1、カマトト

どちらも自分ではそう思っていないですから
アッハッハ
by (2007-10-26 23:47) 

mi-

miyataさん こんばんは。
最近私も歴史本に興味を持ち始めたところです。
本に書いてあることが、頭の中で風景となっているのか、素直に頭を通り過ぎるような気がします。(頭で止まってくれれば、ちょっとは利口になるのでしょうが、瞬く間に過ぎ去っていきます。)

難解な本というのは、自分と作家では住んだ世界と環境(境遇)が違いすぎるために、自分のフィルターを通過できないのでしょうか。
日本語で書いてあり単語は読み進められるにもかかわらず、ちっとも意味が理解できない本は、単なる模様に見えてきます。。。。。

ある本の冒頭に書かれていた”読む(理解する)努力をしない読者に理解させる方法を知らない。”(というような内容)の一文を思い出すものの、読み易い本でもなんでも乱読するような人になりたい今日この頃です。
by mi- (2007-10-27 00:52) 

miyata

だるまさん、こんばんは。
今、準備しています。ただ、最近は全然駄目なので(良いものがないという意味ではなく、描きたくないという気持ちがありありの乱暴な線くらいしかないのです)ひょっとすると、既発表のものの再投稿になるかもしれませんがお許しください。
by miyata (2007-10-27 02:18) 

miyata

なかなかないさん、こんばんは。
押しかけるべきか、行くべきでないか悩んでいました。夜の八時を過ぎたところで、諦めました。
私はカマトトと言われたことはありませんが、冗談は言えませんし、ユーモアのセンスにもおおいに欠けているようです。うーん、やっぱり昔からただのバカだったんですね(笑)。お会いしたかったですが、楽しみが先に増えたと思っておきます。よい結果が出ることを祈っております。
by miyata (2007-10-27 02:41) 

miyata

mi-さん、こんばんは。
なんという偶然でしょうか。無性にアイラモルトを喉に流し込みたいと思い、mi-さんに連絡をして連れ出してもらおうかと思い浮かべたところでした。ところでmi-さんのような科学の専門家の場合は、また読み取る視点が違うのでしょうね。現代思想の難解さと科学の関係では小谷野敦も紹介していましたが有名なアラン・ソーカル事件というのがあります。これはアメリカの物理学者のアラン・ソーカルが現代思想の難解な用語をちりばめた論文を学術雑誌に投稿して、審査に通り掲載された時点で無意味なものであったことを暴露した事件です。これは現代思想の無意味な難解さに対する物理学者のアンチテーゼだったわけです。その点、歴史の史実はどのように解釈は出来ても史実という座標軸は定まっているから取っつきやすいという面はありますね。ただ歴史哲学となるとこれまた頭がグラグラしてきますが(笑)。ま、こういう方面にはしばらく近づかないことにします。
by miyata (2007-10-27 03:20) 

mi-

燻製のようなスッコッチいいですね。
静かな平日の夜でも、休前日に生演奏を聞きながらでも、どちらでもO.K.です。
時間がとれるなら、亀岡で運動した後、竹の郷温泉→宴会コースでも可です。

本日は、小雨の中亀岡に運動しに行こうとしたのですが、ブーツを忘れてU-ターンで、只今ぐれているところです。

話し変わって。

面白い実験をした物理学者がいたのですね。
評価(審査)した人に難解な文章のどこをどのように評価したのか聞いてみたいです。
でも世の中には変わった人も多く、そんな難解な書物をありがたがっている人も多いように思います。
私の人生モデルのひとつに”白痴の主人公の行動”があります。
同じバカでもこっち(白痴)のバカが好みです。

ちなみに私は、専門家と呼ばれるとかなり恥ずかしい偽者レベルでして、最近ようやく、足し算引き算レベルで判断が下せるところまで分解しないと物事が理解できない、ぐらいの実力しかないことが分かりました。

では、いつでも連絡してください。
by mi- (2007-10-27 14:55) 

宮田さん損害保険会社とのこともあり折角のむすこさんの焼き物を分けていただくチャンスを逃すお知らせをしてしまいました。

私のほうも1時半から始まって4時に試験がおわりまして宿舎に入ったままでした
自己採点に夢中でした。

あの宿舎はトーフとお野菜が主たるお品でした。

人生は長い又キット後子息様の焼き物を拝見できる機会はあると信じています。

料理の腕を上げておきます
たかが昆布巻きですが。
いやいやされど昆布巻きですね
by (2007-10-27 22:54) 

miyata

mi-さん、こんばんは。
>私の人生モデルのひとつに”白痴の主人公の行動”があります。
ちょっと興味深い。今度会ったときにゆっくりお話を聞かせてください。

分解できるということがすごいというか、そういう方法論(認識論)をお持ちになっていることが羨ましい。こっちはよく考えてみると、基本は気合いと根性で見る前に飛ぶのは当たり前の飛躍命の人生みたいなもので、その条件が満たされなくなると、失墜するのは当たり前というしごく当然な結果の中に生息していたんですね(笑)。

ところで、今週末の金曜日くらいいかが?もしくは木曜日でも。私も子供に予約を入れなくちゃ。
by miyata (2007-10-29 00:50) 

miyata

なかなかないさん、こんばんは。

自己採点に夢中になっておられたんですね。押しかけなくてよかったです。
京都のトーフは素直に美味しいと思えるのですがいかがだったでしょうか。

息子は11月に京都市内ですが二人展をまたやるようです。写真でも撮っておきます。
by miyata (2007-10-29 00:55) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。