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甲子園・伝説の名勝負〜星稜vs箕島から30年を見て [徒然]

自分がそのスポーツに属していなくても高校野球は熱中して見ていた。
記憶は怪しくなってきているが、浪商の尾崎や法政二高の柴田の活躍は覚えているし(ラジオだったような気がする)、三沢高校と松山商の引き分け再試合や、雨の中、対銚子戦での江川の押し出し、高校野球の常識を打ち破るトレーニングをした(と評価された)蔦監督率いる徳島・池田高校の優勝や、その池田を破って優勝した一年生ピッチャー桑田、清原のKKコンビを擁するPL学園等々。もちろん怪しくなり始めた記憶でも石川代表星陵高校と和歌山代表簑島高校の延長18回の戦いは今でもはっきり覚えている。

だが好きだった高校野球も最近はすっかり見なくなった。きっかけははっきりしている。
それは高知の明徳義塾高校が、石川星陵高校四番であった松井秀喜を5打席連続敬遠をしてからだ。この5打席連続敬遠は当時社会的にも大きな話題となった。当時の私にとって、この監督が指示した連続敬遠は許し難いものだった。
太田幸司や、バンビこと坂本選手、荒木大輔など甲子園のアイドルと騒がれた選手たちはいた。だが、それでも高校野球は高校野球だった。比喩的に語れば戦後を引きずっていた。監督を頂点とした絶対的な服従体制、従順、訓練、忍耐、自己犠牲etc。この高校野球の戦後に明確な線を引いたのが、徳島の蔦監督率いる池田高校の登場だった。そしてPLの桑田、清原の登場で決定的に戦後を離脱したと思った。個の解放によるスポーツへの通路が開けたと考えたのだ(あくまでも比喩的にである)。
ところが、明徳義塾の監督はこうした流れを一気に戦後の枠組みの中に引き戻した。高校野球は教育の名を借りた抑圧装置であることを再び目の前で再現して見せたのだ。当時の私はそんな風に思っていたのだった。そしてそれは許し難いと思った。当時の怒りの正当性を根拠づけるとしたら敬遠された松井秀喜の姿は記憶に残っているのに敬遠した投手のことはまるで思い出せないではないかと。監督が選手から野球を奪っていたのだと。
だけどほんとうはそんなことはどうでもよいことだと今は思う。そんなせこいことをするなよという程度の声は上げたとしてもそれ以上でも以下でもない話だと今は言える。本音と建て前を見事に反転することでスポーツの持つ残酷さを隠しているのに、この監督はつい本音を露出させてしまったにすぎない。スポーツのルールは社会のルールに対抗することはできなかったのだ。私の怒りは、本意ではないがこの社会のルールを補強していたわけだ。

余暇や気晴らしとは少しずらせて考える。競技スポーツは、その本来の姿が差別的であり、階級的であり、排他的であり、激烈な競争を前提にすることによって成立している。対立する相手との間に覆し得ない差別化が現実として現れたときにこそスポーツはその価値を一方に与えるのであり、決定的に奪うのである。その決定的な競争と対立を再生産し継続可能とするためにルールを設け、この継続的な対立が社会を危うくしないような仕掛としてリスタート可能な独自の精神的領域を準備する。それはスポーツマンシップであり、ノーサイドやフェアプレイである。

競技スポーツの生の実態は、耐えられるもの、受け入れられるもの、目的化できるものだけが生き残れる世界である。功成り名を遂げた現役スポーツ選手は、仲間や対戦相手を蹴落とした結果の存在だ。だがその残酷な目的達成に向けた剥きだしのひたむきさが美しさを時に表現し、なにものにも代え難い感動を与える。唯一人(チーム)の勝者とその他大勢の敗者の存在が同一平面で俯瞰できること。物語を第三者にゆだねること。これがスポーツの感動を支える基本構造だ。例えば100メートルで驚異的な世界記録を作ったボルトがたった一人で走りこの記録を作っていたとしたら、感動が驚きを超えることはあるまい。この、スポーツがもつ宿命的な構図は、容易に光と影の世界を際立たせる。

ようするにスポーツってそんなに良い世界じゃないと言いたいわけで、スポーツ選手の持つ爽やかさなんて一皮剥けばろくなもんじゃないという程度の評価しかしない自分がいるのは事実である。だけど、野球もサッカーも水泳もバレーも、そしてボクシングや柔道も観るのを止められない。

前置きが長くなった。8月3日深夜、NHKアーカイブス「甲子園・伝説の名勝負 星稜vs箕島から30年」を見た。この時期になると繰り返し語られる名勝負だが30年後の選手たちを見ながら涙が出てきた。彼らは語り継がれる物語の、与えた感動の大きさから遠い別の物語の住人だった。彼らはずっとあの勝負の意味を問い続ける人生を送っていた。まるであの時から未来を奪われたようにである。意外だった。
あの試合の球審を務めた永野さんが番組に出ていた。「白球有情」の人である。そして試合をふり返り「この試合には勝敗がついてほしくないと思った」と語ったとき、ハッとした。甲子園で引き分け再試合はなんどかある。だがあの試合にそれは許されなかった。誰に?
誰かがあの絶体絶命の展開で二度もホームランで追いつくなんてまるで野球の神様が作ったような試合だと言った。逆だと思った。試合を観ていたほとんどの観客が主審であった永野さんの気持ちと同じ気持ちを持ち、望んだ瞬間があったと思う。観客は結果を望む欲望を放棄しようとした。それを野球の神が許さなかったのだ。なぜ?観客を欲望の世界に閉じこめておくためである。野球を(スポーツを)終わらせないために。

永野さんもまた問いに囚われた人だった。九回二死、甲子園の優勝旗が目に入った時におかした小さなそして決定的なミス。もちろん小さなミスを決定的にしたのはその後の結果である。延長戦に入り逆転負け。甲子園の優勝は果たせなかった。永野さんは大学、社会人として野球を続けたが、審判として甲子園に再び立つ。1979年8月16日永野さんは簑島-星陵戦の球審としてグラウンドにいた。

「昭和三十九年の高校野球大会で初めて高野連から審判を依頼された永野元玄(もとはる-引用者注)は、以来、高校野球大会のたびに勤務先の住友金属鹿島総務部から休みをもらい甲子園に来ている。彼には彼自身が現役選手であったころの甲子園野球に強烈な思い出がある。1953(昭和28)年、永野は土佐高校の捕手として甲子園のグラウンドを踏み、決勝戦で松山商業と対戦した。試合は土佐高校のリードで進んだが、粘る松山商業は最終回同点に追いつき、延長13回に逆転してしまった。
 《その同点に追いつかれた9回なんですが、同点打を放った松山商の空谷君は、その直前に2-0と追い込まれているんです。そして3ストライク目の球がチップして私のミットにおさまりかけた。捕っていれば三振、ゲームセット。土佐高の優勝です。そのチップを、私は落球してしまったんです。
 星陵の加藤君が、16回の裏にファールボールを落球しました。私自身の体験とオーバーラップしてしまいました。なんと不運なんだろうと思わざるをえませんでした。》中略

 両チームの選手たちがホームプレートをはさんで整列した時、永野主審は他の審判に同意を求めるようにいった。《このゲームに限り、選手同士、握手をするのを認めよう》。本来、それは妙な流行になるという理由で禁止されていることだった。
 選手たちが、それぞれのベンチに帰って行くと、永野主審は、一塁側ダグアウト横の出口のところで堅田を待っていた。三塁側から引き上げてくる堅田を見つけると、この試合で使っていたボールを一個、堅田に手渡した。
 堅田投手は帽子をとって、それを無言で受け取った。その夏に、カクテル光線の下で演じられたドラマはそんな風に終わったわけだった。」
八月のカクテル光線ー山際淳司著・「スローカーブを、もう一球」所収 角川文庫 昭和六十年二月十日 初版発行
平成二年十二月十日 二十版

スローカーブを、もう一球 (角川文庫 (5962))

山際淳司は、「江夏の21球」で一躍脚光を浴びたノンフィクションライターだった。そして95年に47歳でなくなっている。作家の重松清はこの山際淳司の登場をもって、スポーツノンフィクションの世界は、”以前/以降”に分けられるのではないかと書いている。山際淳司はスポーツの世界における光と影を、カメラの視線を媒介させることによって書き手の推察や解釈に過ぎない内面の世界に数字以外の”客観性”という表現手法を仮装し、スポーツ世界の内面を美談や過剰な湿っぽさからすくいだしたといわれる。それはたしかに新しい手法だった。無機的な視線が内面をえぐり出すのではなく、無機的な視線がたえず内面と絡みあうことによって、光と影を浮かび上がらせる。だから、彼が獲得した手法は聞き出した事実のエピソード重ねるだけではなく新たなエピソードも発見できた。場面場面を人生や世相に重ねた寺山修司のノンフィクションの世界ではなかった。彼はカメラのファインダーを覗くことによって自分の直接の視線を対象から遠ざける。私自身は画面からどんどん自分を消し去っていくことによって対象を浮かび上がらせようとする山際の手法はあまり好きではない。
ところで、引用した「八月のカクテル光線」だが延長戦になった試合を照らしたカクテル光線を比喩として、この試合の光と影を浮かび上がらせようとしたこの作品は微妙に輪郭がぼやけている。焦点が定まらないのだ。まるで金網越しにオートフォーカスカメラを向けたように、核心の周りを彷徨している。山際は、この試合を何度もファインダーから目を離して直接視ようとしているのだがそれでも捉えきれないためらいが作品に滲み出ている。山際も、この試合がその後なぜ選手たちをまるで囚人のように捕らえて離さなかったのかを描ききれていないのだ。山際は早く死にすぎた。彼は30年後の選手を書かなければいけなかった。

永野さんはアナウンサーやゲストの三平の使い古された高校野球賛辞に、控え目に同意しつつ30年後の選手たちと同様の淡い影を背負っているようにみえた。試合に勝っても「あの時ホームランを打たなければ今の現実は変わっていたはずだ」と語る選手や、ファールを取り損ねて勝利を逃し、その後務めた銀行も辞めて建築会社の倉庫に務める選手、プロでそれなりの成績を残した後も独立リーグの運営に奔走する選手等々。今もあの試合の意味を問い続けるあの時の今の彼らの姿がきっと永野さんには見えているのではないかと思われた。

甲子園のグランドに審判として戻った堅田は、永野さんからもらったボールを見ながら「少しずつ永野さんが言いたかった意味がわかるような気がしてきた」と言っていたが、私が印象的だったのは選手として甲子園を狙う自分の子供の応援に行き、スタンドでインタビューに答えながら言葉を詰まらせる場面だった。堅田はどうしてあそこで思わず涙ぐみそうになったのだろう。あのシーンは子供の成長に対する単純な喜びではなかった。言いようのない悲しみにも似た慟哭への衝動が彼を突き動かしているように見えた。わからない。
私は永野さんや堅田の姿に手塚治虫の漫画火の鳥に出てくる八百比丘尼の話を思いだし、かさね合わせた。あれはたしか残酷な父の病気を治すと民が苦しむというのでどんな病気でも治す尼を殺してしまい、自分がその尼になりすますのだが何度でも自分を殺しに来る自分が八百比丘尼となるという因果応報の話だった。八百比丘尼の話に通じるものがあるとしたら、尼(自分)ではなく父を(相手を)殺しきれなかった優しさだろうか。
わからない。
山際淳司は八月のカクテル光線で「勝利と敗北は、どこかで分かれていかなければならない」と書いた。世の中には声にならない膨大な敗北が抱える沈黙をさらに封じ込めるかのような勝利への言葉が満ちあふれている。そんな中で数少ない、勝利を無化する敗北の物語がこの試合だったような気がしてきた。

永野さんに初めてお目にかかったとき無理をいって色紙を書いていただいた。そこには「白球有情」と書かれている。その言葉に込められたものを少しだけ理解したように思った。

さて、記事を書き始めて三日経った。いつもの事ながら話があっちこっちと違うところにとんだり、眠くて翌日時間を見つけて続きにかかると、ぜんぜん前とつながらなかったり(笑)。おかげで、思い出したこともあり別の記事もできた。ただ、自序のような事を書き始めるとお終いだなという気もあり、少し考えてから後日アップしたい。

今年の夏、高知は明徳を破った高知高校が出場する。記事をきっかけに久しぶりに高校野球を見てみたくなった。この時期、私の住む界隈は陶器祭りで落ち着かなくなる。そして大文字があり夏の終わりが始まる。曇り空を見上げながら、今年の夏は短い夏になるのだろうかと考えた。

※この番組の再放送があるようだ。
  1. 番組タイトル:NHKアーカイブス特集
  2. サブタイトル:「甲子園・伝説の名勝負〜星稜vs箕島から30年」
  3. 放映予定日時
  4. ◎ NHK総合テレビ 8月7日(金) 午前0時10分〜1時30分(80分間)(8月6日の深夜放送です)

※8月7日少し記事修正
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SilverMac

まさに、我が意を得たりの記事です。松井の5連続敬遠、この試合を見るまでは、私も欠かさずに春、夏の高校野球を見ていました。この試合における明徳高校野球部監督の指示は永久に許し難いものです。指示通り敬遠した投手も、このことを引きずったことでしょう。この監督は愛媛出身、もし、高知出身監督なら絶対になかったと思います。彼は高校球児の純粋な戦いに大人のエゴを持ち込んだものと考えています。あれ以来、高校野球は見なくなりました。明徳が高知代表と言われるのは耐え難いことです。
by SilverMac (2009-08-06 19:10) 

hana2009

こんばんは。
スポーツに限らずテレビを見るときは、いつも何かしながらの「ながら観戦」です。
それに、他のものと同じで全てがミーハーな私。
ここで白状してしまいますと・・・子供の頃から運動は大嫌いでした。運動会やスポーツテストは思い出すと・・・トホホな事ばかり・・・

スポーツ関係の本も、あまり読まないのですけれど・・・・
沢木耕太郎の「一瞬の夏」は、知り合いに勧められて読んでみたら面白かったです。
彼はその後に、ナチスドイツ政権下で行われたベルリンオリンピックとそれを監督したレニ・レーフェンシュタールについての本も書いています。

以前はマラソン観戦は好きでした、駅伝もです。ただ人が走っているだけなのに、好きなのです。
miyataさんが書かれていることから、その理由が解りました。
私も今は高校野球を見ることもあまりありません。スポーツって、見るにも体力が必要なのでしょうか。
by hana2009 (2009-08-06 22:24) 

うしさん

くわしくはないですが公立追手前高校がぎりぎりまでのこったこともうれしかったです。。高知高校がんばってほしいです。
by うしさん (2009-08-06 23:00) 

Allora

いやぁ、長い文章で。これだけ書けるって、まずはスゴイと思いました。

高校野球は、甲子園に出場できそうな高校に全国から生徒が集まってるんだと知って(それがマスコミで報道・問題ではとされるようになった時期)一時しらけてしまった事もありましたが、それでもやっぱり始まると見入ってしまいますね。

ここに書かれている事と論点が少しずれるかもしれませんが、西欧のスポーツ観と、日本のそれは違うようで、西欧は体を鍛え楽しむもの。片や日本は「道」であり人として成長するための手段。剣道・柔道・武道・相撲道、全部道が付いてます。西欧から入ってきた野球さえ、野球道なんて言い方をする事さえありますから。
高校野球も野球道なのかな、その観点からすれば明徳監督の松井連続敬遠は許されざる事だし、西欧的スポーツ観からすればアリになるのでしょう。

野球は筋書きのないドラマと、これも言い古された言葉ですが、その通りだと思います。それにしても山際氏の死は早すぎましたね、大袈裟に言うと日本のスポーツジャナリズムにとって大きな損失ですかね。

と、こちらもあれこれ書くと長くなるので、この辺で^^
by Allora (2009-08-06 23:54) 

Allora

ごめんなさい、少し訂正。
明徳の連続敬遠のこと。西欧のスポーツにも、スポーツマンシップ、フェアプレーの精神はあるから、やっぱり×、ブーイングが起きるでしょう。
by Allora (2009-08-07 00:05) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
あの連続敬遠は、あの監督が考えた以上に高校野球の汚点として歴史にも記憶にも刻まれましたね。自分にとって少しだけ利点があるとしたら、デラシネのような感覚を持っていた自分が想像だにしなかったほどの郷土主義者であることを発見させてくれたことです。土佐を背負ったことは一度もありませんが屈辱と恥、怒りをおさえられませんでした。今から思うと不思議なくらいでした。ことしは時代が変わった高校野球を久しぶりにみようとおもいます。
by miyata (2009-08-07 04:34) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
運動が苦手な人、私もそんな時代がありましたからよくわかりますf(^ー^;
運動会なんてなくなればいいと思ったこともありましたよ。

沢木耕太郎はスポーツライターというより”元祖自分探し派”のノンフィクション作家というような印象があります。一瞬の夏は確かカシアス内藤のことを書いてたんですよね。

マラソンは私も観るのが好きです。ただ走っているのを観るだけなのに二時間以上もテレビの前に座り続けられるのはなぜか、考え込んだことがあります(笑)。
スポーツは、みる側の欲望と活力に火を点けてくれますね。こちらの活力がない時は楽しめません。
by miyata (2009-08-07 05:07) 

miyata

うしさん、こんばんは。
高知は私学王国ですね。公立の甲子園出場はほんとに回数が少ないですよね。だけど出ると中村高校とか話題を呼びました。かつては土佐高が出ると安心してみていられました。明徳は別にして高知や高知商業は大型選手で暴れるのですがどこか危うい感じをもちながら観ていました。土佐高は小粒なんですけどあれこそ高知の野球だと思いつつ観ていました。
by miyata (2009-08-07 05:14) 

miyata

Alloraさん、こんばんは。って、もう朝になってしまいましたが(^^ゞ
Alloraさんのコメントで、何か忘れていることを気づかされました。どうしても出てこなかったのがスポーツマンシップという言葉でした。ちょっと記事を修正します。
西洋と日本で分けるといろいろ書きやすい構図がたしかに出てきますね。スポーツそのものは西洋からの輸入ですし、それを「道」に接ぎ木することによって日本的な発展を遂げたという説明もしやすいですよね。あの敬遠はルールという点だけに立脚すれば誰からも非難されるいわれはないのでしょうが、社会の存在なくしてはスポーツも個人もまたないわけでして、それをあの監督は見逃していたのだと思います。高知でもあの件で評価がいっぺんに地に落ちたと友人にも聞きました。今では明徳が出場しても高知の人はあまり観ないそうです。昔は、地元の試合が始まるとほとんど人通りがなくなりました。みんなラジオかテレビの前に釘付けだったんです(笑)。
Alloraさんのコメントが私の記事よりずっと明晰にスポーツを語っていると思いました(^^)
by miyata (2009-08-07 05:38) 

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