台風一過 [徒然]
朝五時過ぎ、ゆさ〜と揺れはじめて目が覚めた。地震かなと思いつつ布団の中で様子を伺っていた。大きな揺れではなかったがかなり長い間揺れていたので、これは遠い地震だがかなり大きな地震ではあるまいかと布団から起き出してテレビをつけた。五時十三分だった。震度六弱の大きな地震があったことを確認した。早朝の大地震は阪神大震災を思い出す。明るくなるにつれて被害がわかりはじめるのもあの時とそっくりだ。いまでも覚えているのは阪神大震災の時、テレビで最初の被害は滋賀県でおばあさんが転倒して救急車で運ばれたというものだった。その後七時を過ぎた頃、ヘリコプターでの映像に愕然とした。
今回の地震は東海地震とは関係がないとのことで、マグニチュード8クラスの地震が来た場合には壊滅的な被害をもたらすのだなとあらためて思わされた。台風の影響による雨の被害が大変なことになっている。自然災害に対する常識的な感覚を一度捨て去って備える必要があるのだろう。
台風といえば田舎のことを思い出す。家の前の海岸線に教科書にも載った日本で一番高くて大きな堤防(当時)が完成したとき、学校から見学に行った。だが次の台風の時その堤防はもろくも崩れ一部落がほとんど消滅した。そこにはお好み焼き屋さん、貸本屋さんなどようするに日常の生活が詰まっていた。波に洗われたそこは瓦礫と砂に覆われ、その平坦さとその狭さに驚いた。救助活動をしていた大人たちの間から倒壊してほとんど埋まった家から身体半分出た屍体を初めて見たときの衝撃は忘れない。
台風の記憶はほかにもいくらでもある。なかには心にしまい込んだ台風の記憶もある。あの時の共通の記憶の住人であるはずの子供だったみなはどうしているのだろうか。
昔、山奥の魚梁瀬というところから切り出された木材は森林鉄道をつかって私の町の貯木場に集積され、海に突き出たコンクリートでできた桟橋から海に落とされ、少し沖に待機する運搬船に積まれ、大阪方面に出荷されていた。トロッコに積まれた木材を海に落とすときの水しぶきの勇壮さは心ときめいた。海に落とした木材は、作業する人が海に飛び込んで(それもふんどし姿だった)集め、船から下げられたワイヤーをもって潜ってから束ねていた。この桟橋も台風でなんどか崩れた。木材はやがてダムができダムと共にできた道路をつかって運ばれるようになり、森林鉄道の役割は終わった。この桟橋と桟橋につながる貯木場はグラウンドにもなっていてここにまつわる記憶は多い。中学生の時、台風で破壊された桟橋の残骸を描いてたった一度だけ絵で褒められたことがある。しかし、それは学校の課題ではなく若い新任の教師に無理矢理教えられた空手と同様に描かされた油絵だった。学校での成績は語るも恥ずかしいくらいさんざんだった。教師が転任した途端、絵は描かなくなった。
森林鉄道には芥川龍之介の小説そのままのような記憶がある。虹の橋が出ているところまで線路を伝って見に行こうとした。歩いても歩いても目的地に着かず、どこが目的なのかもわからなくなった頃トロッコがやってきて私は拾われた。それでやっと帰ってこれた。つっかい棒でブレーキをかけると大きな音と火花が車輪から出るのをトロッコにしがみつきながら見ていた。
メールの受信はできるのに送信ができない事に気がついたのは一週間ぐらい前のこと。最初はさしたる用事もなかったので気にしていなかったが昨日メールを送信しようとしてそのトラブルがまだ続いているのに気がついて焦った。メールソフトを見直しても設定を一からやり直しても送信できない。さんざん調べたあげくやっと解決策を見つけた。ポート25を528に変えろというものだった。なんのことかわからないが、セキュリティーのためにそうなったということがソネットのホームページに隠れていた。
だいたいこういうわからないトラブルに見舞われたときは練習菌さんに聞くとたいがい解決していたのだが、今回そうしようと思ってもメールの送信ができないのだから尋ねようがなく(菌さんは携帯をもっていない)、苦労した。たった今ポートを528に設定し直すと無事送信ができるようになった。めでたしめでたし。
今日は曇りという予報だったが、青空がでている。気温もどんどん高くなっている。これからたまった洗濯物を片付けることにしよう。
今回の地震は東海地震とは関係がないとのことで、マグニチュード8クラスの地震が来た場合には壊滅的な被害をもたらすのだなとあらためて思わされた。台風の影響による雨の被害が大変なことになっている。自然災害に対する常識的な感覚を一度捨て去って備える必要があるのだろう。
台風といえば田舎のことを思い出す。家の前の海岸線に教科書にも載った日本で一番高くて大きな堤防(当時)が完成したとき、学校から見学に行った。だが次の台風の時その堤防はもろくも崩れ一部落がほとんど消滅した。そこにはお好み焼き屋さん、貸本屋さんなどようするに日常の生活が詰まっていた。波に洗われたそこは瓦礫と砂に覆われ、その平坦さとその狭さに驚いた。救助活動をしていた大人たちの間から倒壊してほとんど埋まった家から身体半分出た屍体を初めて見たときの衝撃は忘れない。
台風の記憶はほかにもいくらでもある。なかには心にしまい込んだ台風の記憶もある。あの時の共通の記憶の住人であるはずの子供だったみなはどうしているのだろうか。
昔、山奥の魚梁瀬というところから切り出された木材は森林鉄道をつかって私の町の貯木場に集積され、海に突き出たコンクリートでできた桟橋から海に落とされ、少し沖に待機する運搬船に積まれ、大阪方面に出荷されていた。トロッコに積まれた木材を海に落とすときの水しぶきの勇壮さは心ときめいた。海に落とした木材は、作業する人が海に飛び込んで(それもふんどし姿だった)集め、船から下げられたワイヤーをもって潜ってから束ねていた。この桟橋も台風でなんどか崩れた。木材はやがてダムができダムと共にできた道路をつかって運ばれるようになり、森林鉄道の役割は終わった。この桟橋と桟橋につながる貯木場はグラウンドにもなっていてここにまつわる記憶は多い。中学生の時、台風で破壊された桟橋の残骸を描いてたった一度だけ絵で褒められたことがある。しかし、それは学校の課題ではなく若い新任の教師に無理矢理教えられた空手と同様に描かされた油絵だった。学校での成績は語るも恥ずかしいくらいさんざんだった。教師が転任した途端、絵は描かなくなった。
森林鉄道には芥川龍之介の小説そのままのような記憶がある。虹の橋が出ているところまで線路を伝って見に行こうとした。歩いても歩いても目的地に着かず、どこが目的なのかもわからなくなった頃トロッコがやってきて私は拾われた。それでやっと帰ってこれた。つっかい棒でブレーキをかけると大きな音と火花が車輪から出るのをトロッコにしがみつきながら見ていた。
メールの受信はできるのに送信ができない事に気がついたのは一週間ぐらい前のこと。最初はさしたる用事もなかったので気にしていなかったが昨日メールを送信しようとしてそのトラブルがまだ続いているのに気がついて焦った。メールソフトを見直しても設定を一からやり直しても送信できない。さんざん調べたあげくやっと解決策を見つけた。ポート25を528に変えろというものだった。なんのことかわからないが、セキュリティーのためにそうなったということがソネットのホームページに隠れていた。
だいたいこういうわからないトラブルに見舞われたときは練習菌さんに聞くとたいがい解決していたのだが、今回そうしようと思ってもメールの送信ができないのだから尋ねようがなく(菌さんは携帯をもっていない)、苦労した。たった今ポートを528に設定し直すと無事送信ができるようになった。めでたしめでたし。
今日は曇りという予報だったが、青空がでている。気温もどんどん高くなっている。これからたまった洗濯物を片付けることにしよう。
こんばんわ。
地震すごかったですね~
前日も地震があったのでなぜか心構えはしていたのですが・・
地震の際は主人も眠っていたのかと思いきや
「すごかったね~静岡の方がすごかったんでしょ~」
って言われたことに対し 驚きました。
by tonton (2009-08-11 18:37)
南海、阪神と二度の大地震を経験して、私は被害に遭うのは運命と考えています。
by SilverMac (2009-08-11 21:31)
webメールやらmixiのメッセージはsmtp使ってないから、
連絡とれたのにねえ〜
って、私はこの件を聞かれても判らなかったかも〜〜
事前にsonetから連絡がいっているはずなんだけどね〜
by 練習菌 (2009-08-11 21:40)
あんぱんち〜さん、niceありがとうございます。
by miyata (2009-08-11 23:31)
tontonさん、こんばんは。
そちらでは驚かれたことでしょうね。こちらでも、ゆら〜って不気味に揺れましたから。
ご主人、そういうことはほとんど特定できるんですね。
by miyata (2009-08-11 23:34)
SilverMacさん、こんばんは。
なんとなくですが、わかるような気がします。まさか自分の身内がって泣いておられたご遺族の方がいました。ああいうときどうやって自分を納得させればいいのか、なんともいいようがありませんでした。
by miyata (2009-08-11 23:38)
練習菌さん、こんばんは。
あ、そうか。mixiはぜんぜん頭になかったな。練習菌さんに聞けないとなるとと、本気で探っていましてソネットのwebメールで送信できることも初めて知って(普段は迷惑メールの振り分けだけにつかっていました)自分宛メールで確認して、設定上の問題だと確信に至りました。
案内が来ていたかもしれませんねえ。基本的なことが理解できていないんではどうにも具合が悪いですね。そういやあGメールもあったなあ。ソネットはメールアドレスだけの契約なんで接続の際になにかトラブルがあるとは想像ついたんですけどプロバイダのメールも同時に送信できなくなっちゃってかなり焦りました。
by miyata (2009-08-11 23:54)
SMTPはMailやらEudra等の電子メールのソフトが、メールを送信する時に使う通信手順、
POP(POP3、APOP)は、電子メールのソフトが、メールを受信する時に使う通信手順、
mixiやらwebメールはSafariやらFireFoxなんかのブラウザを使うので、SMTPの不都合とは
関係なかったりします。
だからyahooやgoogleとかの画面でメールを出す事は可能だったでし。
by 練習菌 (2009-08-12 10:46)
とりあえず、webメール(yahoo、Google、etc)はネットに繋がっている時には問題なく送れることは了解済みです。
メールソフトは、ずいぶん昔から設定していたのでなんとなくsmtpとかpppはわかります。が、ここでのポートの割当というのがどういうことなのかがよくわからないです。モデムとかルーターの設定の時もこの辺りはよく理解できなくて適当にやってました。
by miyata (2009-08-12 14:36)
ポート番号は暗黙にアプリケーションを指定するもんじゃないかなあ?
と漠然と考えてましたが、調べたらその通りでした。
通信回線に流れているのはたいていは文字のデータなのですが、
複数のソフトを使っている最中に、それをどのアプリケーションに渡すかというところで、
ポート番号がその配送先を特定する鍵となるわけですね。
telnet(端末ソフト)ではポート番号を指定して接続できて、
手順通りに文字を渡してやると、SMTPだろうがPOPだろうが
対応できます。
たまに奥様のメールソフトがハングした時に、telnetでつないで異常なメールを削除するということをよくやったなあ。
by 練習菌 (2009-08-12 16:45)
おお〜、そういうことだったのか。って書きつつ、わけわかりません(笑)。物理的なポートをイメージするからなんですけど。
セキュリティーの問題で25を528に変えるということは、ようするになにかよくある文字確認みたいな仕組みをソフト的に介在させるってことなんでしょうか。
by miyata (2009-08-12 19:49)
25番の窓口には日本語しか読めない受付係が居るのに対して、
528番の窓口には、暗号化したメールを受け付けてくれる
係員が居るという事でしょうか?
by 練習菌 (2009-08-12 21:47)
こんばんは。
私は地震を大阪で阪神淡路地震の時に初めて経験しました。恐かったです。
南海地震をテレビで盛んに警告しているので対策を考えなければと
思いながら、つい延び延びになっています。(-.-;)y-゜゜
豪雨 大水害禍 地震・・・次々と降りかかってきますね。不安です。
by yakko (2009-08-12 21:49)
静岡の地震は名古屋でも揺れたようですが、まったく気づきませんでした。朝方の5時ごろ、全くの白河夜船状態です^^
阪神淡路の時は京都にいましたから、飛び起きましたが。
なんかお盆の時期って自然災害が多いように感じます。台湾も台風被害がひどいようですし・・・
山が荒れて保水力が落ち地盤が弱くなって、大規模な土石流も起きやすくなっているのは、日本も台湾も同じかもしれませんね。
by Allora (2009-08-12 23:25)
yakkoさん、こんばんは。
私も地震の経験と記憶といえば阪神淡路地震に京都の伏見で遭遇した体験だけです。震度は5でした。それでも恐いを通り越したものを感じました。
南海地震、津波がどういうものかスマトラ沖地震で衝撃を受けました。備えで助かるものならばしておくべしですね。
by miyata (2009-08-12 23:50)
Alloraさん、こんばんは。
なんだか、ひどい災害が続くなあという感じですよね。だけど、ひょっとしたらインフラが進んだからこそこれくらいの被害ですんでるかもしれないし、いい加減な開発で被害を呼び込んでいるかもしれないし、これまでの想定を超えた自然現象が起きているから被害が出ているのかもしれないし、この辺りがスキッとわかればいいのですがねえ。
by miyata (2009-08-12 23:58)
ヤナセの森林鉄道のこととても興味深く拝見しております。私は手漕ぎでう浦戸湾に出て引き潮になってしまって、偶然であった飲み屋のだんな差案が船外機をつけていましてひっぱってかえってくれました。
by うしさん (2009-08-13 09:09)
うしさん、こんにちは。
私の住んでいた町の海は遠浅ではなく、波打ち際から1メートルも過ぎるといきなり深くなって足なんか着きませんでした。だけど広い海岸線の中で一カ所に、ほんとに時々ですけど5、6メートルの幅で10メートルくらいの遠浅ができることがありました。激しく潮が動いていたんですね。
記事中のリンク先の写真にあります、桟橋手前の堤防は、台風が来るとたやすく波が乗り越えてきましたね。昭和30年頃に波返しのついた堤防が出来たと思います。それまでは松林がありハマユウが群生していました。何年かに一回このハマユウの実を採り、乾してから枕にしていました。何ともいえない香りがする枕でしたよ。
それから、近所の人たちも一緒に夕方浜辺でご飯を食べる「浜弁当」という風習もありました。楽しいというよりなんだかもの悲しい感じがした記憶があります。
by miyata (2009-08-13 14:35)
こんにちは。
台風と地震と続いてきたと言うのに、そのどちらも気づきもしない内に終わってしまって・・・こういうのを本当に何も考えていない、お気楽っていうのでしょう(笑)
海の近くの生活は、私から見れば憧れです。
美しい海と涼やかな潮風、目の前の海からは食べ物だってとれてしまう・・・でもそれだけが現実ではないのですね。
今日は、久しぶりに格別の暑さと感じます。
それでも、今月ももう半分終わってしまいます。
メール、私のところにはしっかりと届いています。ありがとうございました。
by hana2009 (2009-08-14 14:19)
hanaさん、こんにちは。
海辺の生活は、離れてしまうとよかったなあと思うのですが生活してる時は、人はどうしてこんな大変なところに住んでいるのだろうと思っていましたね。でも、今から思うと映画館は二軒あったし飲食店も喫茶店もあったし、過不足ない町だったのになにが足りなくて田舎を出ようとしていたのか不思議です。まあ、私の場合よそ者だったということもあったんですけど。
メール届いていてよかったです(^^)v
by miyata (2009-08-15 10:58)
海辺での生活は憧れたりもしますが、やはり雨風や波の強い日、砂害など、苦労も多いですしね。地震は帰省先の福岡で朝ニュースで知りました。
なんとなく寝起きにぼやーっと事の重大さが分かってきて、段々と情報が入ってくる感じはまさに阪神淡路のときと同じような感じですね。
時間帯的に火災が少なかったのは幸いかと思いますが、東海地震への備えのある地域でもこうなので、関東大震災など起これば心配です。
by タケノコ (2009-08-15 14:51)
タケノコさん、こんにちは。
心の傷は少しは癒えましたか(^_^;
小さい頃の生活を思い出すと、やはり深夜とか早朝の静かな時の波が打つ音ですね。私の家は浜辺ではなかったのですが聞こえたんです。太平洋の波とうねりは日本海とまったく違います。日本海と太平洋では漁船の船底も違うんですよ。台風になると大きな波で家が揺れたこともあります。風が凄い時は色が失われます。灰色の世界です。台風が近づくと雨戸の上から板を打ち付けました。強い風が吹くたびに家が土台から浮き上がるようでした。家がふくらんだり縮んだりしましたね。ぼろ家だったからかえって無事だったかもしれません(笑)。
大地震、備えられることがあれば備えておくべしですね。
by miyata (2009-08-15 15:38)
yuki999さん、niceをありがとう。
by miyata (2009-08-18 12:25)