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眠りは目覚めの方途を彷徨っている [介護と日常]

東北地方太平洋沖地震はマグニチュード9.0というとてつもない巨大地震であったと伝えられた。地震のスケールはそのまま直接私たちに及ぼす被害の大きさに直結しているという現実をまざまざと見せつけている。比喩ではなく比例だ。

詩人は「希望が験されている」と書き、若い作家は「この圧倒的な善意といつくしみの奔流の中で沈黙を続けよ。」と発言し、呼吸器が弱いらしい心理学者は『「圧倒的な善意と慈しみの奔流の中で沈黙」するな。』とつぶやいた。私に語るべき言葉があるか。無い。無い言葉を抱えてじっとテレビ画面を凝視している。

東京のあるサラリーマンは電車が止まった通勤途上でのインタビューに「ぜんぜん苦労ではない。これは第二の敗戦です。きっと復興します」と答え雑踏の中に消えていった。彼は「敗戦」という言葉の中に何を見ていたのだろうか。これ以上ない堅固な防潮堤を津波が来る10分前に閉め終わった職員がカメラに向かってさわやかな笑顔で「作業終了です」という姿がオーバーラップする。

死者と不明者の数が積算されようとした瞬間に歴史に貼り付けられる。だが現実は圧倒的にその枠からあふれ出て抗う。あふれるのは一人の生であり死なのだ。

電気が止められている家がある。ガスも水道も止まっているその家の住人は厳しすぎる寒さに耐えかねて家の中でゴミを燃やし暖をとろうとしてぼや騒ぎを起こした。そこに住人がいることを初めて知った。なんどか見かけた男だった。凍てつく道を靴下もなく歩き、ひとときの温もりを得るためにコンビニに行く。臭気に耐えかねた客の訴えで彼は追いやられる。彼は昨年の秋からずっとまるで被災者のような生活を生き抜いている。何度顔を合わせても彼の用心深い視線が弛むことはない。年が明けたある日、寒さが弛み春を感じる朝、彼はいつも閉じている玄関の戸を開け、明け方の空の明かりを頼りに土間に座り込んで分厚い法律の専門書を見ながら一心にノートをとっていた。ペンを持つ手は真っ黒だった。

妻が入院して手術を受けた。大腿骨頸部骨折。動く方の足だった。血小板が少ないまま、万全を期して輸血をしながら人工関節に置き換えた。痛みを訴えたのは2月17日夜だった。テレビを見ていた。9時も過ぎたのでトイレに行こうかと誘った。車椅子から立ち上がろうとしたとき突然痛みを訴えた。じっとしていると痛みはないという。いったんベッドに移動し、横になるとスヤスヤ寝始めた。翌朝ベッドから起きて車椅子に移動するときやはり痛むらしい。その日はデイケアの日だった。朝食もすませ迎えを待っていたが気になって迎えの人に相談した。それはデイケアが診療所内にあるからだった。しかしデイケアの送迎で診察目的の移送は出来ないと言われた。特別痛がる風もなかったが、仕方がないので救急車を呼んだ。近所の知り合いが驚いて様子を見に来たが妻は担架で階段を下ろされながら笑顔でピースサインを出して救急車に乗り込んだ。結果は重傷だった。思い当たることはある。ずっと前からベッドに移動して横になって足を乗せるときにいつも痛がっていた。また、17日は入浴の日だったが着ているものを脱ぐときに車椅子から転倒した。この転倒は不意打ちだった。だが、たいしたこともなく痛がりもせずにそのまま入浴を済ませた。風呂の中で妻は気持ちよさそうに湯船に浸かっていた。そして夕食も済み、前述したトイレのときに戻る。手術は無事に終わり、順調ならすでにリハビリ病院に転院ということになるはずだったが、地震が起きて以降体調を崩した。まず低ナトリウムになりそれが回復したら高ナトリウムとなった。体調が回復するまで転院は延期となり今に至っている。(30日に転院が決まった)

昨年の11月頃より、ずっと安定していた糖尿病の数値が上がりはじめた。血糖値はそうでもないがHbA1cが6.1から徐々に上がりはじめ2月には7.3まで上昇した。理由がわからない。医師はここで診てもらった方がよいと紹介状を書いてよこした。精神化・心療内科の病院だった。「鬱傾向」という診断で薬を飲み始めた。

3月16日。病院の待合室で診断を待っているとき、下腹(したばら)に違和感を感じ始め徐々に鈍い痛みに変わりはじめた。座っていても立っても落ち着かずだんだんひどくなり、冷や汗が出始めた。痛いという声を出すタイミングを逸したままベンチで意識を失った。気がつくとベッドに寝かされていた。気づいたときには痛みは引いていたが、尿検査の結果顕著な潜血反応が見られたので「結石」の疑いが強いということだった。超音波の検査で石は見つからなかったが後日CT検査をすることになった。CTの画像では黒く写る腹腔の空洞の中にちょうど腎臓から尿路に近いところに小さな白い点がまるで遊星のようにぽつんと写っていた。診断後、何日か痛みを覚えたがその後まったく消えた。石が排出されたのかまだ留まっているのかわからない。そのかわり、耐え難い睡魔に襲われるようになった。目を閉じると泥沼に吸い込まれるような眠り。仮死を纏うことで救われようとする自分の生があるのではないか。そんなことを考えざるを得ない日々を送っている。

ブログに復帰します。
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Silvermac

 復帰を心から歓迎です。
 私も糖尿ですが、先般大きなストレスがあって、6.3だった数値が7.7まで上がりました。現在、ストレスの方は自分の中で解決、徹底したカロリー・糖分制限をしています。
 一ヶ月後の検査で数値が下がらなければ、糖尿専門医を訪ねるつもりです。
 奥さまのご回復を心からお祈り申し上げます。
by Silvermac (2011-03-29 07:03) 

うしさん

いろいろ大変だったのですね
今はヘモグロビンA1Cでこれをつき1階してはひとつ期間の血糖の変化がわかるのですが、私は投入病の在宅介護者には週一1日食べたものを記録して空腹食後数回血糖値の検査をしました。

とにかく食事のときにまずは熱湯処理した野菜を食べる(生ではたくさん食べられない)
私はこの方法で糖尿病の悪化は予防できました。
とにかく後はバランスよくでした。
by うしさん (2011-03-29 09:35) 

yakko

お早うございます。
私も大震災の日よりブログを閉じたままでした。
miyataさんもまた大変でしたね。わが家にもいろいろありました。
miyataさんと奥様、お二人のご回復をお祈り申し上げます。
私も31日から復帰します。
by yakko (2011-03-29 09:37) 

hana2009

こんにちは。
ご夫婦の際した日々を思うと、ブロガーとしての復帰を喜んでよいものかどうかわかりません。
大腿骨頸部骨折のくだりは、同じ骨折&人口骨頭手術経験者として自分の身体まで痛むような・・・あの時の尋常とは思えない痛みが思い出されてしまいました。
身体をホンの少しでも動かす事で生じる、飛び上がるような痛さ。
これも個人差があるのでしょうか。
術後も麻痺側でったことから、その痛さにはずっと悩まされぱなしでおりました。
そう思えば、今ここでこうしているのが不思議なほどなのです。
miyataさんも心身ともに非情な状態であったとの事。
よくぞ、戻ってこられましたね。

震災後の日々、被災された方々が言葉にならない状況にあるに関わらず、自分の些細な体験や思いをブログにぶつけてしまったのはこんな事であってもだれかに聞いて欲しいとのストレスのはけ口であったかと思います。
今日もまた、つまらない内容のものを書いてしまっております。
お二人の回復を、私も心から願っております。
by hana2009 (2011-03-29 14:38) 

tomoko

色々大変で神経がすり減り、ストレスが溜まって居ます。
今週あたりから会社も始動し始めましたが、何しろ
ガソリンを買うのが大変で、朝3時から並び、買って居ます。

そんな訳で比較的被害の少なかった仙台市内でも
衣買い出しに大きな袋をしょって歩いています。
其の買い物も、納豆一ケ、パン一斤、牛乳一本、
と制限され、其れも買えれば良い方です。

余震も有り、ちょっとの揺れにびくびくしてます。
何時になったら、普通に生活できるか不安がつのります。

でも今日は近くの明治屋にてチョコレート、フランスパン、
バター、等ゲットし、喜んで居ます。

今は灯油も買えづ寒さを炬燵だけでしのいでいますが、
さもしいようですが、好きなフランスパン、バターで
小さなしあわせをかみしめています。
まずは元気にしています。
by tomoko (2011-03-29 16:35) 

tonton

こんばんわ。

奥様大変でしたね・・・
miyataさんもまた大変な状態・・・
気絶するほどの痛さ・・・想像を絶します・・・。

今回の震災でテレビでの悲惨な状況を目にした
被災地以外の人たちが心のケアを必要としているようです。
もしかして奥様も災害のストレスが原因ではと思ってしまいますね。
早い回復を願っています。


by tonton (2011-03-29 20:55) 

タケノコ

奥様、大腿骨頸部骨折で入院されていましたか。転倒起因というよりも、骨が弱くなっているのでしょうか。
miyataさんは気を失いましたか。「石」に関しては、初めてでしたら、私の方が先輩のようですね^^
多分、そのときブログにも書いたと思いますが、当時まだ介護関係のブログをされていた方も同様にイシモチ仲間でした。這うようにして、駆け込んだ近くの病院で、極小さいので薬対応となり、のちの精密検査ではすでに流れていってしまったようで、痛みも治まりましたが、それからは水分を意識的に多めにしております。
リハ病院転院後も、何かと大変でしょうが、お身体ご自愛ください。
by タケノコ (2011-03-29 22:59) 

miyata

SilverMacさん、おはようございます。
糖尿病はやはりストレスと大きな関係があるようですね。私は自分のストレスがあまりよくわからなかったもので、精神科に行けと云われたときはちょっとビックリしました。精神科で聞くと鬱傾向の人が糖尿病を悪化させることはよくみられるとのことでした。
なにか動揺するようなことがあったのですね。大事ないことを祈っております。
by miyata (2011-03-30 07:29) 

miyata

うしさん、おはようございます。
バランスのよい食事ですね。はい、心がけております。
by miyata (2011-03-30 07:30) 

miyata

yakkoさん、おはようございます。
どうしたのかなと心配しておりました。ブログ再開とのこと。よかったです。私も元気出します。yakkoさんも元気でいきましょう!
by miyata (2011-03-30 07:34) 

miyata

hanaさん、おはようございます。
骨折がわかって手術が決まったとき、ほんとにどうしてこうなるんだろうと思いました。私の心身はべつにそれほどたいしたことはないと思います。ただ歳をとってみると自分の軟弱さがよくわかるようになりました。震災の渦中にいる方に心配してもらうようではいけませんね(苦笑)。
余震に停電に品不足。大変なストレスだと思います。ブログでそれが解消できるなら、それに越したことはありません。hanaさんのブログ、読むのが楽しみなのです。
by miyata (2011-03-30 07:41) 

miyata

ともこさん、おはようございます。
まだまだ混乱が続きそうですね。とにかく、もう少し我慢していてください。とりあえず、こちらからものが送れるようになりましたので送ります。明治屋は真幸が以前勤めていた会社です。とにかく健康には気をつけてください。
by miyata (2011-03-30 07:45) 

miyata

tontonさん、おはようございます。
妻は地震のことはテレビもみていないし知らないはずなのに不思議なほど時を同じくして体調を崩してしまいました。私は、あの地震の当日絶句して以来テレビの前でやはり今も絶句しています。痛みで逃げ出したかったのかもしれません。こんなことではいけませんね。
by miyata (2011-03-30 07:58) 

miyata

タケノコさん、おはようございます。
骨折の原因はどこかにあったと思いますが、医師の判断では病的骨折の可能性が高いとのことです。ヒビが入っていてそれがなにかの拍子にずれたのではないかと言うことでした。
「石」に関しては実は私も経験者でして、胆石で胆嚢をとりました。あの時の痛みは筆舌に尽くしがたいものがありました。が、まさかその後自分の体内に石があるとは思ってもいませんでした。今日リハ病院に転院です。もう一回やり直しです。やり直せるから幸せです。ご心配いただきありがとうございます。
by miyata (2011-03-30 08:05) 

tomoko

貴方も色々大変なのに自分のことだけをあれもこれも
書き連ねてゴメンね。

此方は乳製品、など手に入らない物は有りますが、
今日あたり、街の中を歩くとコンビニに物が無いだけで
ドラックストア、スーパー、等で少しずつ物が買えるように成りました。

孫の紙おむつも沢山集まりご心配お掛けしましたが大丈夫です。
00子さん入院で色々大変な処どうぞご心配無く何とか頑張って
いますので、ご安心ください。

貴方も無理をしないでゆっくりして下さい。
私も老体と云ってもたかだか70歳まだ頑張る余地が有ります。笑
お互い健康でいれば又お会いできます。
元気でいて下さいね。私も頑張ります!!!

by tomoko (2011-03-30 14:52) 

すず音

奥様大変でしたね。頚部骨折はOP後の体位が大事なのですが、リハビリ次第で 回復します。この大震災で骨折が急増し、ずっと泊り込みの日々でした。水と電気は戻ってきましたが、エコキュートは壊れました。
東北電力さん どうしてくれるの?地震には何も勝てません。妹は津波は間一髪で免れました。対向車線の車はのみこまれました。10メートルの大波に 全部何もかも持っていかれました。もう2度と 海の近くには住みたくないと言っています。中2の息子と夫 義母が見つかりません。体だけが残りました。それでもその分生きていかないといけませんよね。
私も友人を随分亡くしました。地震の後津波警報のサイレンが鳴らなかったというのです。津波は夜まで何度も何度も押し寄せたそうです。
食べ物は少しですが買えるようになりました。井戸水を飲んだのが嘘のようです。エコキューとは壊れました。80万と言われましたが、直すしかないです。台所もお風呂も洗面所も動かないので。
何もいいことありませんが、サバイバル精神で頑張っています。
今に見てろよと。石巻 いつかきっと明るく再生します。心配かけました。
元気でいます。
by すず音 (2011-03-30 17:22) 

野田明宏

miyataさま

微妙な言い回しになりますが、
良かった よかった。
しかし、miyataさんにはファンが多いけれど、
エキサイティングな方が多い。
久々にmiyataさんの文面と向き合い、
上手いなあ!
ご自愛のほど。そして、ファイト!
by 野田明宏 (2011-03-30 18:45) 

miyata

ともこさん、なにをおっしゃいますか。こんな時はなんでもどんどん言ってください。私の所の日常は、平穏すぎるほど平穏です。ご心配なく。
by miyata (2011-04-01 04:00) 

miyata

すず音さん、おはようございます。
なんと言ったらよいか、言葉を失います。逆に元気づけられるとは。私も頑張ります。すず音さんもお体には気をつけてなんとか乗り切ってください。
by miyata (2011-04-01 04:03) 

miyata

野田さん、おはようございます。
エール、しっかと受け止めました。ありがとうございます。
お母様の体調変化など野田さんも大変なときにほんとうに感謝です。やはり野田さんは男気の方です。野田さんのように、しっかりと社会に受け止められるような文章が書けるようにもう一回自分の穴をひっぱたきます。
by miyata (2011-04-01 04:08) 

ほんのり

おはようございます。
しばらく更新が無かったので、奥様の状態か?miyataさんが体調をくずしたのかと心配しておりました。

母も、父を在宅介護をしていた時に、右大腿部骨折をしてしまいました。
1ヶ月の手術・入院で父は、施設入所になりました。
もう、そろそろ6年になるのかな?

3月11日は息子のお誕生日でした。大変な記念日になりました。
そして、5ヶ月になる孫を抱いて東京に来ていた娘は、帰宅難民に…
横浜の自宅には小4と小1の二人が留守番に…
高田馬場に来るように連絡するも、上の二人の子供が心配な娘は横浜まで歩くと…
母乳で育っている孫だから、ミルクの心配はない。
でも、東京から横浜までは、赤ちゃん連れではとても無理。
何とか、ジージが横浜に駆けつけ、それで娘と赤ちゃんは我が家に避難、途中で出会ったパパと一緒に親子3人で一晩ゆっくり眠った後、タクシーで朝一番で自宅に戻りました。

息子のお誕生日用に奮発したステーキは、サイコロステーキになって、おにぎりとお味噌汁をたっぷりと…
忘れられないお誕生日になりました。

奥様、しばらく大変でしょう。
お疲れでしょうが、寄り添ってあげていてくださいね。
by ほんのり (2011-04-02 09:18) 

yakko

お早うございます。お越し戴きアリガトウございます。
次女母娘が帰ってきています。31日は堀川から出ている遊覧船に乗りました。今日は夜間照明の高知城花回廊に行って来ます。(^。^)
by yakko (2011-04-02 09:34) 

miyata

ほんのりさん、おはようございます。
それは大変なお誕生日となりましたね。その日電車が止まって家に帰り着いたのが翌日の朝10時だったという人もいたらしいです。
ほんのりさんのお母さんが骨折したとき、お父さんがホームに入られた経緯は覚えています。妻が手術した病院の病室は四人とも同じ手術で入院をされていました。リハビリ病院に一日遅れで転院してきた方と再会して、お互い励まし合ったりしています。
by miyata (2011-04-03 06:18) 

miyata

yakkoさん、おはようございます。
昨日はとても暖かい日で京都の桜も咲き始めてきたようです。今朝はまた寒くて炬燵に入りながらテレビをみています(^^ゞ
娘さん親子が帰ってきて賑やかになっておられるのですね。そちらはもうすっかり春なのでしょうね。写真を楽しみにしております。
by miyata (2011-04-03 06:26) 

Allora

お久しぶりです、如何なさっているかと気には掛かっていたのですが。
今回の大震災に関しては、被災者の数だけそれぞれのストーリーがあるし、
原発問題も収束するまでは落ちつけません。
身近な場所にも被災者同然の人がいたんですね、ホームレスの人達も被災者と同様。でも彼らに援助の手は差し伸べられない。

それはさておき、奥様もご自身も大変な事でしたね。お大事にとしか言いようがなく、被災者の人達に対すると同じような、自分の無力さを感じるばかりです。
それでも言葉を発するしかなく、言葉の届かない人へは念ずるしかないと思っています。どうぞお大事に。
by Allora (2011-04-06 20:04) 

miyata

Alloraさん、こんにちは。
神戸の時にある種の無力感を感じましたが、そこにはまだ「耐震構造」の強化という希望が漠然とあったように思います。しかし、今回の震災による津波はそうした希望を根こそぎ押し流してしまいました。原発の事故はただただはやく落ち着いてくれることを願うばかりです。
ようやく暖かくなってきたので、妻もはやく体力を回復して欲しいと思っております。私もボチボチ起きだせそうです。ご心配いただきありがとうございます。
by miyata (2011-04-07 12:36) 

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