古い写真 2 [介護と日常]
スクーターの前に乗せられて風を切りながら走った記憶はある。その記憶は、あまり快適な感覚とは結びついてない。ほとんどが病院に連れて行かれるときだったからだ。いつからそうなったのかわからないが、喘息だった。発作が起きると夜昼問わず病院に行く。お尻にペニシリンを打たれる。すると決まって猛烈な吐き気に襲われて病院の外の溝に戻す。そしてぐったりしたままスクーターのハンドルにしがみつく。これが父とスクーターにまつわる記憶のほとんどである。だから、オートバイに興味を持つことはずっとなかった。
中学生になって喘息から解放された頃、父はスクーターからカブに乗り換えていた。台風が近づく前の断続的な雨や風が吹く深夜、こっそりカブを出して何度か海岸線を走った。オートバイに乗ってみたい欲求よりも、むしろ背徳への傾きだった。
高校生の頃父が出張の時、通学バスに乗り遅れた。学校に遅れないための唯一の方法はカブで学校まで行くことだった。どうしてそこまで遅れないようにしようと考えたのか今ではわからない。隣町を過ぎた頃、後ろから追いかけてくるバイクがバックミラーに見えた。近づいてくるとアクセルを開け引き離したりしつつ快適なツーリングを続けた。20キロ先の学校の正門前でカブから下りたとき、後ろからずっとついてきていたバイクが前に止まった。警官だった。私はその場で捕まり学校を停学になった。まったく馬鹿げた思い出である。父は呆れて何も言わなかった。その頃は入学時に寮に入っていたが事件を起こして退寮させられていた。私は学年最初の落ちこぼれであり、すでにいっぱしの不良になっていたのだった。
写真は昭和27か8年。二歳頃だろうか。写真を撮られるのは嫌いだった。太陽がまぶしすぎるのだ。外で撮られた写真のほとんどはいつもこうやって眉間にしわをよせている。露骨に泣きそうな顔もある。とにかく写真は嫌いだった。父が乗っていたスクーターの機種がわからない。父は三十七、八歳ぐらい。今の自分よりはるかに若い父の姿を見てなにか突き上げてくるものがある。涙腺が弛むとかそういう類の感情ではない、なにかがである。うまく言えない。
今回はよけいなことを書き加えないでこのままアップすることにする。妻の様子は次回にまとめてということで。元気です。
中学生になって喘息から解放された頃、父はスクーターからカブに乗り換えていた。台風が近づく前の断続的な雨や風が吹く深夜、こっそりカブを出して何度か海岸線を走った。オートバイに乗ってみたい欲求よりも、むしろ背徳への傾きだった。
高校生の頃父が出張の時、通学バスに乗り遅れた。学校に遅れないための唯一の方法はカブで学校まで行くことだった。どうしてそこまで遅れないようにしようと考えたのか今ではわからない。隣町を過ぎた頃、後ろから追いかけてくるバイクがバックミラーに見えた。近づいてくるとアクセルを開け引き離したりしつつ快適なツーリングを続けた。20キロ先の学校の正門前でカブから下りたとき、後ろからずっとついてきていたバイクが前に止まった。警官だった。私はその場で捕まり学校を停学になった。まったく馬鹿げた思い出である。父は呆れて何も言わなかった。その頃は入学時に寮に入っていたが事件を起こして退寮させられていた。私は学年最初の落ちこぼれであり、すでにいっぱしの不良になっていたのだった。
写真は昭和27か8年。二歳頃だろうか。写真を撮られるのは嫌いだった。太陽がまぶしすぎるのだ。外で撮られた写真のほとんどはいつもこうやって眉間にしわをよせている。露骨に泣きそうな顔もある。とにかく写真は嫌いだった。父が乗っていたスクーターの機種がわからない。父は三十七、八歳ぐらい。今の自分よりはるかに若い父の姿を見てなにか突き上げてくるものがある。涙腺が弛むとかそういう類の感情ではない、なにかがである。うまく言えない。
今回はよけいなことを書き加えないでこのままアップすることにする。妻の様子は次回にまとめてということで。元気です。
私の時代はスーパーカブもなく、自転車すら高嶺の花でした。
by Silvermac (2011-10-13 11:05)
こんにちは。
高校時代 いっぱしの不良だったんですか〜〜σ(^◇^;)
そういう時代が懐かしいでしょうネ〜〜〜
スクーターとボクとお父さんと・・・良い写真ですね。
by yakko (2011-10-13 14:51)
こんにちは。
これはまた、可愛いおでこちゃんです事!
男の人がよく言う台詞「俺って昔、ワルだったんだよなぁ~」を思い出してしまいました(笑) 失礼!
私も中学生の時、学校へ行くのに近所の幼馴染の運転する車に乗っていったことがありましたよ。
こんなところで、不良合戦をしてどうするつもり!?って感じですけど・・・
以前、スズキのバイクの機種をピタリと言い当てたのはmiyataさんでしたね。
ブログの方は訪問も含めて、ご無理をされていませんでしょうか。
by hana2011 (2011-10-13 16:56)
なんか今、「ピジョン号」という言葉がひらめいて、調べてみたら似ている。
http://etizennya.blog.so-net.ne.jp/2011-03-18
しかし、ステアリングの位置が違うなあ。う〜ん、ビミョー
by 練習菌 (2011-10-13 17:30)
SilverMacさん、おはようございます。
そうでしょうね。すでに時代が違うんですね。父のスクーターは兄に確かめると社用車のようなもので、これで馬路とか魚梁瀬まで行っていたそうです。父は製材会社に勤めるサラリーマンでした。
by miyata (2011-10-14 07:12)
yakkoさん、おはようございます。
いっぱしの不良は、あくまでも自称でございまして(;^_^A アセアセ…
いやあ、自称不良時代は懐かしいというよりふり返りたくない時代ですね。恥多き青春でした。写真の子はいかにもボクって感じですね(笑)。
by miyata (2011-10-14 07:15)
hanaさん、おはようございます。
はい、おでこちゃんでした。ところがですね、成長するにつれおでこが狭くなっていったんです。変わるんですねえ。
「男の人がよく言う台詞「俺って昔、ワルだったんだよなぁ~」を思い出してしまいました(笑) 失礼!」
ぷぷぷ。これには負けましたー。なーんだ、男ってみんなそうなんですね(大笑い)。
適当にリハビリをしております。ある時は徴だけになるかもしれませんがご容赦下さい。
by miyata (2011-10-14 07:20)
練習菌さん、おはようございます。
なんでしょうね。兄に聞くと「ラビット」という名前が出てきましたが違いますよね。
by miyata (2011-10-14 07:21)
おはようございます。
いっぱしの不良~なんだか想像するに石原裕次郎的なイメージを勝手にしてみました ^^
お父様が私の父の若い頃に似ています♪
まぶしくて眉間にしわよってる写真我が家にもありそうです。
by tonton (2011-10-14 09:15)
おはようございます。
そうそう、アルミサッシが出てくる前まではガラスのこんな窓でしたね。
私も先日、父の結婚前の写真を見つけて、「父もこんな時代があったのだ~!」と、何とも不思議な気持ちになりました。
by ほんのり (2011-10-14 10:04)
tontonさん、こんにちは。
石原裕次郎なんてとんでもございません。あちらは湘南、こちらは土佐。坊主頭に下駄履きに腰には手ぬぐいという私の時代でもいささか相手にされないスタイルの「自称」いっぱしの不良でございました(^^ゞ
この頃の写真はとにかく太陽を向きながらでないとうまく写らなかったようです。
by miyata (2011-10-14 11:23)
ほんのりさん、こんにちは。
ガラス屋さんがガラスを切って窓に入れるとか、いろいろ興味津々な事が生活の中にいっぱいありました。
親の若い頃の写真というのはこの年で見るととても不思議な気がします。ほんのこの前までそんな感覚はなかったんですが。ほんのりさんのお父さんはさぞやダンディーな方だったんでしょうね。
by miyata (2011-10-14 11:26)
昭和4年生まれの夫はカブの90cc
だったと思います。昭和30年ごろから乗っていたのでしょうか。昭和37年車を買いましたが43年にはいったんやめましたこのころは役所には運転手というかたがかならずいましたね。
娘3歳保育園私は仕事、親子3人でのっていました。
私が自転車通勤にしまして4歳の娘はカブの後ろにお父さんのベルトを持って乗るのがとてもうれしかったようです。(保育園)
日曜日のお出かけは3人が自転車でした。
子供の補助輪をはずしたときの喜びよう!
by ミッチー (2011-10-14 18:16)
懐かしいですね
昔は みんな こんな色の写真ばっかりでした。
この頃の 自分に 戻りたいですね
震災の後 かなり生活は 落着きました
今 被災して 何もかも失くした妹と
妹の夫の 弟が お金で もめています
震災のあと 何もかも無事だった 夫の弟が
今頃になって 金が 欲しいと言って来ました
震災で 一人250万 生計を立てている人は 500万でたのですが
その250万 母親の分を寄越せと
通帳にある分も欲しいと
やっぱり 現金で欲しいと
どいつもこいつも 馬鹿ばっかりです
金 金 金 金 金
まともな人も 目の前に金があると 変わるのか
元々そういう 人だったのか
人間不信です
by すず音 (2011-10-14 22:34)
ミッチーさん、こんばんは。
ご主人はちょうど父とひとまわり違うのですね。昭和37年に車をお持ちになられる方はまだ少なかったのではないでしょうか。その時分に私が記憶しているのは「バタバタ」と呼ばれていたオート三輪です。
by miyata (2011-10-15 04:17)
すず音さん、こんばんは。
生活がかなり落ち着いた聞いて、さらに取り返しようのない現実が拡がっていることを想像させられます。
お金の問題は避けては通れない、向き合わざるを得ない問題ですね。そこに必ず人間そのものが憑いているからでしょう。
by miyata (2011-10-15 04:29)
当時はラビットも似たようなデザインでした。
当時はメーカーも沢山有ったし、みんなデザインを真似っこしてたら、判別が大変かも?
by 練習菌 (2011-10-15 09:16)
昭和37年に車を持つことはは珍しかったのですか
昭和41年家を建てたらその車はあ空き地においていました。何かの修理で専門店にあずけました。そこで盗難にあったのです。見つかりましたが。夫は縁起が悪い(知らないとところで人でも怪我さしていたらいやだ!
とうとう当時車のエンジン講座にエンジンが不足して困っていました国立高専へ寄贈。
by ミッチー (2011-10-15 09:28)
練習菌さん、おはようございます。
でも、ビジョン号が一番近そうですね。
by miyata (2011-10-15 09:29)
chihiroさん、ありがとうございます。
by miyata (2011-10-15 09:30)
私の子供の頃の特に幼少時の写真は、あまりありません。
両親は私が生まれて間もなく離婚し、それぞれ家を出て、私は祖母に育てられたので、父親との写真があるというのはうらやましい限りです。
by Allora (2011-10-15 22:37)
ミッチーさん、こんばんは。
当時高知市では普通に自家用車を持っていたのですか。田舎ではあまり見ませんでしたね。家の前の県道も夕方になると野球場になったり普通の遊び場でした。
by miyata (2011-10-16 02:09)
Alloraさん、こんばんは。
ご両親が離婚されていたんですか。私は両親が比較的早くなくなったのですがそれでも恵まれていたんですね。
by miyata (2011-10-16 02:12)
まだ盗んだバイクで走り出す~♪でないだけいいですかね。(という問題でもないか)親父によれば、昔は結構無免許で車乗っていた人もいたようです。私は、「俺って昔、ワルじゃなかったんだよな~」です。
お酒のほうが九州なので早かったですね^^
by タケノコ (2011-10-17 23:10)
タケノコさん、こんばんは。
あはは、それをやってると少年院行きでしたね。昔はほんとにみんな普通に無免許でしたね。ただし、おおっぴらに県道とかを走っていると捕まりましたが、農道や山道で仕事を手伝っている連中はお巡りさんに見つかっても捕まるということはなかったようです。お酒はもう、土地柄ですね。九州も似たようなものでしょう。私は中学生になったときに公民館で大人たちに飲まされましたから。役場の人とか教師とかみんないたと思いますが(^_^;
by miyata (2011-10-18 01:55)
ラビットかも~
似たようなモデルが有る
http://nirinsi4.shop-pro.jp/?pid=24336078
by 練習菌 (2011-10-18 23:28)
ほんとだ。兄の記憶が間違いなかったのかも。
by miyata (2011-10-19 12:22)