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古い写真 4 お終い [介護と日常]

今日は入浴の日だった。寒くなったので10月からシャワーだけではすまなくなり、湯船に入ってもらっている。冬の到来を想起させるこんな日は、妻は湯船で温もりを楽しんでいる。入浴用のリフトを設置するか少し考えたが、トラブルも多く、また手伝いをしてくれるベテランのヘルパーさんも、工夫しながらやってみましょうと力づけられてやってみたら案ずるより産むがやすしで、人工関節を入れる前よりもうんと楽に入浴ができるようになった。
手順はこうだ。更衣室に車椅子に乗ったままで入り着ているものを脱ぐ。つぎに浴室のシャワーチェアに座らせる。洗髪と身体をヘルパーさんが洗ってくれる。下半身を洗うときは私が正面から妻を抱えて立たせ洗い流す。浴槽にはいるときは浴槽に渡したボードにシャワーチェアから移動してヘルパーさんが浴槽の中から妻を立たせる。すぐにボードを抜いて私が後ろ側から湯船に入り支えながら湯船に浸かる。ヘルパーさんは浴槽から出てタオルを洗ったり片付けをする。その間、私の脚と足を利用して浴室の中で滑らないように安定させる。妻は安心してタオルで顔をふいたり肩に湯をかけたりして楽しむ。出るときは私が浴槽で妻を立たせヘルパーさんがボードを渡してそこに座らせる。それからシャワーチェアに座らせ、椅子のまま移動してタオルを敷いた車椅子に座らせる。それから身体をふいてヘルパーさんと協力しながら服を着せる。頭を乾かすのはヘルパーさんがやってくれる。
お風呂から上がった後はリハビリパンツを通常は穿かせる。なぜなら、車椅子に座った状態で着替えがすんでしまうからだ。ところが今日はうっかりリハビリパンツが切れていた。いったん身体をふいて上だけ着替えをすませタオルをしっかりかけて、髪を乾かしてもらいその後ベッドに移動してオムツを着けた。じっと見ていたヘルパーさんから「上手だ!」とほめられて、喜んだ一日であった。

古い写真は今回でお終い。だんだんブログを書く調子がつかめてきた。アルバムにきれいに整理されていた写真であったが、記憶にない写真ばかりを選んだ。とはいえ、この時期のことをなにも覚えていないわけではない。写真に撮られた記憶がないだけだ。ここに写っている父や母を見ながら、重なり合ってひとつの記憶となっている両親像から、断片として取り出された父や母と出会った。鮮やかであると同時にすぐに輪郭が滲みはじめてイメージとしての記憶にとけ込んでいこうとする。
ここに写っている私はまだ目一杯両親からの養分を吸収し、自分が関わっていかなければならない外の世界をまだ夢想だにしていないようだ。と書いて理解した。だから覚えていないのだと。
ネコと.jpg

この猫の記憶はない。だが、幼い頃確かにまどろみの中で自分以外の重さ、意外なほど熱い息と早い呼吸を記憶している。病気で早く死んだのだろうか、それとも何かの事故でいなくなったのだろうか。この机の記憶もない。兄の机だろうか。わずかに電気スタンドの記憶が残っている。赤いガラスがカットされていた。紙をあてるときれいな模様になって光を写した。
母と.jpgこの写真の母はずいぶん印象と違っている。こんなに角張っていなかった。ただよく見ると私の頭の上に顎を乗せているようだ。母に対してこんなに無防備に抱かれていた自分もあったのかとみょうに感慨深い。基本的には甘えんぼだった。そういえば小学生の頃はよく甘えるなと怒られていたことを思い出した(苦笑)。
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