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ドキュメント「山で最後を迎えたい」 [その他]

メモ代わりに
今日(昨日日曜日)夕方、たまたま「山で最後を迎えたい」というドキュメントを観た。
ほんとうに泣かされてしまった。筋書きは書かない。
老夫婦の夫は、結局最後は山ではなく病院で亡くなり、残された妻は認知症で夫の死がわからない。二人が過ごした山の家で、残った妻が三女に促され山に向かって夫を呼ぶシーンがあった。二人が過ごした山の家に三女に連れられて帰った時「おじいちゃんがおらんね」と残された妻が三女に問いかける。三女は「やまにおるんじゃない。呼んでみたら」という。
妻は山に向かって「おじいちゃーん、おじいちゃーん、おじいちゃーん!」と呼ぶその声が大きくて澄み切ってかわいい声だった。
心をかきむしられるような、思わず自分の残された生をかき抱きたくなるような呼び声だった。
三女は「いま、返事したやろ。聞こえんかった?」というと年老いた妻は「聞こえんかった・・」と不安げに哀しげに山の方に視線を送る。
この残された妻は、たぶん夫が亡くなっているのを知っているのだろう。
最後に果たされなかった二人の意志、山で最後を迎えたいという想いの断念と鎮魂があの呼び声に貫いているように思えた。
もはや失った隙間を埋めるのは、残された彼女の死以外にしかないことを残された妻も取り巻く家族も知っている。

定型化された悲しみを組織し、動員するような演出のない番組だった。その事が逆により高度に切なさを表現していて胸を打った。こんな風に人生に向き合って生ききろうとする夫婦がいたんだ、最後の最後に思いは果たせなかったが、よく戦ったと自然に賞賛する気持ちになる。こんな風に自分も最後まで抵抗できるのだろうかと考えさせられる番組だった。

※番組紹介のHPがあった。
http://www.kry.co.jp/tv/tougenkyou/contents.html
読むと平坦で薄っぺらいあらすじが書いている。この番組はぜひもう一度みたい。
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不信 [その他]

月曜日の午前中。妻をデイケアに送り出して、台所の片づけものをしていた。隣の部屋のテレビから聞き覚えのある名前が出たのでテレビをのぞき込むとJR高槻駅、長岡京住まいの会社役員、年齢59才という条件が合致して愕然とした。
心当たりの知人友人に電話をして確認しようとしたが誰も知らなかった。自宅は留守電。職場にも電話したが、逆に事務員さんにショックを与えただけだった。新聞は休刊日。ネットを検索してみるとその時点で一件だけ産経新聞が報じていた。

8日午後11時半ごろ、大阪府高槻市白梅町のJR高槻駅で、線路上にいた男性が、ホームに入ってきた姫路発米原行き快速電車にはねられた。男性は全身を強く打ち、搬送先の病院で間もなく死亡が確認された。事故の影響で、上下計24本が最大約1時間遅れ、約5200人に影響した。

短い記事では落ちた携帯を拾おうとしてホームからおり、電車にはねられたと見て調査していると結んでいた。その後テレビでは関西地方のニュースとして何度か流れ、新たな証言として快速電車の運転士の証言が加わっていた。それは新聞記事を裏付けるものであった。午後二時過ぎに彼の職場に再度電話をしてやはり本人であったことを知った。その日に通夜があり、葬儀は親族だけでということなので気持ちの整理がつかないまま通夜に行くことにした。

事故の翌日の事で生前の交友関係から考えると知人友人はいないにも等しい通夜だった。
遅れてやってきた彼の会社の同僚とは25年ぶりだった。彼は棺の中の姿を見て大声で泣いた。
「もう青天の霹靂ってかんじよ。運転士さんによるとなにかを探していたようで、警笛を鳴らしたら列車の進行方向に走って逃げたらしいの。いっぱい骨折してて、後頭部の脳挫傷で、顔も半分がおかしくなって」ここまで話すと彼の奥さんは堪えきれなくなって顔をハンカチで覆った。
しばらくして
「ここ数日体調が悪くて心配だから帰るときは連絡をメールでもらうようにしてたのよ。そうしてたんじゃないかしら。それを落としたものだから拾おうとして線路に降りたのかしら」
「ところで、miyata君はどうして知ったの?」と聞いてきたから偶然ニュースで知ったことを伝えると
「そのニュースでは名前を言ってたんだね。彼のお母さんもニュースで知ったらしいけど名前は言わなかったそうなのよ。だけどなぜかひどい身震いがしたそうなの。はあ、今は何が何だかわからなくて大混乱。ちょっと時間をおいてまた。」

連絡を取り合って通夜に出かけたもう一人の友人と少しだけ駅前の居酒屋で話をした。
「彼は体調が悪かったんだね。携帯を落としてのぞき込んだときにフラッとしたのかな。」昔話を一通りした後、駅で彼と別れた。
電車の中でなにかが違うという思いが離れなかった。

十代の終わり頃から結婚するまでの間、私は彼の家に入り浸るかのように頻繁に出入りしていた。彼はその時すでに今の奥さんと同棲していた。大学では劇団を主宰していて、劇団員もまたしょっちゅう出入りしていた。強烈な個性で引っ張るタイプとは違った。むしろ忍耐と許容の人だった。一度劇団の合宿に同伴したことがある。日本海の海辺のお寺が合宿所だった。私は皆が稽古しているあいだは海で泳いだり潜ったり遊んでばかりいた。午後の稽古が終わったのだろう。皆が泳ぎにやってきた。私が皆に潜って取った貝などを見せていると、彼は海に入りしぶきも上げないようなそれは見事な泳ぎで沖の方に出ていった。私も皆とともに感嘆した。東京育ちで一件貧弱そうな彼の普段の姿からは想像できなかった。すでに大学を卒業して社会人として劇団に参加していた年長の知人が「彼らしいね。」といった。

私と妻が結婚することになったとき、彼と彼の通夜の後居酒屋で話をした友人二人が全部仕切ってくれた。いろんな事情で結納とか一通りの儀式を経ることが避けられなくなったとき、嫌がる私を説得して着るものまで用意してくれたのも彼らだった。私はほんとうに、なにもできなくて、なにも知らないただの世間知らずの馬鹿な若者だった。


不信の芽が大きくなっていく。私の記憶の中の彼は関西の言葉で言うところの「どんくささ」とは無縁の人物だった。新聞記事の判で押したような内容が違和感に輪をかける。
「事故の影響で、上下計24本が最大約1時間遅れ、約5200人に影響した。」

私には携帯電話を落としたとしてもそれを拾うためにプラットホームから降りるような執着はない。彼もそういう私世代の感覚の中にいた。五年は会っていなかったがその五年の間に彼が激変するとは考えにくい。私ならばそうしてしまうかもしれない迂闊さは彼にはなかった。また、体調が悪くてホームから転落したとしても運転士の証言とも新聞記事の内容にも矛盾がある。事故があったその時間にはまだ乗客が駅にいたはずなのに、それらの証言が記事にもない。映像で確認されたという事も載っていない。

秋葉原の事件と同じ日に私の敬愛する先輩であり友人が「誤って」ホームから転落し、列車にはねられて死んだ。
抒情とは真逆の色のない空白が秋葉原と繋がってしまう想像から逃れられないでいる。私の不信もこの色のない空白に荷担しているのだろうか。
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