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記憶違い [読書]

梅雨入りした。冷たい雨が降り続いてる。昨日やっというか、ようやく暖房機を納戸に入れた。炬燵は五月の連休に掛け布団の洗濯とともに片づけていたのだが、小型のガス暖房機はひょっとすると寒い日が戻ってくるかもしれないと残しておいたのだ。
折り重なって足の踏み場もなくなっている納戸の入り口から多分ほとんどいらないだろうガラクタを少しずつかき分け、やっと暖房機を置く場所を確保した。壁に積まれている段ボールの蓋が少し開いているところから本が見えたので開いてみると、古本屋にはとうてい売れない古紙にしか出せないような本が入っていた。ちょっと何冊か取り出してみると中から寺山修司の「競馬の果て」という本が出てきた。カバーなんかなくて、表紙もよれよれだった。買って読んでいたということに白々しくも驚いた。
二畳ほどの納戸に積まれたガラクタ入り段ボールにもたれ掛かりながら中をめくってみるととても懐かしい世界がそこにはあった。
目次の中にユリシーズの章があった。さっそく読んでみると私が「占い遊び」で書いた事はかなり記憶違いがあり、誤っていた。私の記憶では寺山は馬主となったユリシーズのデビュー戦だけを見に行ってその後はほとんど見に行かなかったらしいと思いこんでいたのだが、改めて読んでみるとユリシーズが走ったレースだけではなく、船橋の競馬場に足繁く通っていた事が書かれている。ユリシーズが初勝利をあげたときには人参まで持っていって祝っていたのだった。
私は記事の中で
寺山はユリシーズが初めて出走したときに応援に行って、まるで自分が走る姿を見せられたようで恥ずかしくなったというようなことを書いていたと記憶している。
と書いたが、実際にはこう書かれていた。
ユリシーズは逃げ馬だったが、コーナーワークが下手で、「うまくカーブを切れない」という難点があった。「なあに、おれの馬は曲がったことがきらいなのさ」と、私はうそぶいていたが、三勝までトントンといったあとスランプになって十戦ほど立てつづけに負けた。しかし、馬主になってみれば、勝ち負けだけが競馬の楽しみ、というわけではない。予想紙にユリシーズと印刷されてあるだけでも、私はなにかが胸につきあげてくるような感じをおぼえたのである。
 ある日、「おれは馬主になったよ」と言うと、いきつけの酒場の直美という女が「馬は、そのことを知ってるの?」と訊いた。
 その時、私は「当然さ、おれが行くとシッポふるもの」と言ったが、内心ドキリとしたのである。馬がほんとうになついているのは、厩務員や、調教師であって馬主ではない。馬主は、ただのスポンサーにすぎないのだ、ということに気がついたからである。
 それから、私は「馬主」という言葉を強調するのが恥ずかしくなってやめた。ユリシーズは、連敗のあと浦和で特別を勝って、私と森さんに(寺山が馬主になるきっかけをつくった地方競馬の調教師。寺山の競馬エッセイは中央競馬中心だと批判した・引用者注)乾杯させてくれたくれたこともある。そして、年とって走れなくなり、引退した。
全然違っていた。記憶とはあてにならないものだ。

記憶違いがわかったついでといってはなんだが、急に思い出したので以前に読んだねじめ正一の「荒地の恋」について簡単な感想を書き留めておきたい。一気に読めたので面白かったのは間違いない。へえっと思ったのはプライバシーをほとんど明かさなかった鮎川信夫が結婚していた女性が同じ荒地の同人であった加島祥造の別れた奥さんだったということ。
実はそれ以上は、別にない。ただ、荒地の同人であった詩人たちが実名で出てきただけの通俗恋愛小説。中年の色恋沙汰の人間模様を実名の詩人に変えたところで同じ事じゃないか。みなが絶賛するのが全然わからない。これがなぜ「荒地の恋」なのか。ねじめはちっとも「荒地」に触れていない。
と、私は思った。
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「京都の平熱」を読んだ [読書]

「京都の平熱」鷲田清一 講談社刊を読んだ。たいへん面白かった。講演を聴きに行ったセンターのことも少しだけ書かれていた。鷲田清一は京都の出身だったんですね。河原町のジュリーも出てきたし、女装の前衛芸術家も出てきた。そればかりではなく、いろんな「三奇人」のことも書かれていた。女装の前衛芸術家が下鴨の住人であったことや河原町のジュリーがすでに亡くなっていることも知った。しかも京都には至る所に三奇人がいたようなのである。都市の猥雑さ、京都人の歴史知らずや新しもの好きとか、読んでいて自分が鷲田清一になったような錯覚を覚えてしまった。当時の(70年代当時)都市伝説のようなエピソードも出てくる。もちろんそれ以上に思わず傍線を引きたくなる箇所も随所にあった。いくつか引用しようかと思ったがあまりにもたくさんあるので断念。年齢を見るとこの人はほとんど同世代の人だった。私もブログに京都のことを少しだけ書いたけれども、内容的にはこの本の1ページにも満たないというか数行にも達しないレベルだ。講演の時と同じように語り口は柔らかい。京都人でありながら、京都人ではない影のようなものがある。大学の総長にまでなった哲学者ということで典型的なハイカルチャーの住人かと思っていたのだが、そうではないようだ。むしろ同じサブカルの住人だった臭いがする。その分、京都を語ってもいわゆる「玄人」の趣はない。世代的にそういう断絶があるのか、あるいは社会が少し身をずらしてしまったのか。いや、どうもそうではなくて鷲田清一自身がそういう世界からはじかれていたというか、疎外されていたのではないか。玄人さんはだいたいが自分を卑下するように語ってもその実、強烈に自己肯定的である。鷲田には京都を語りながら玄人とは正反対の傷のようなものを感じる。のっけから、「十何代続かないと京都人とは言えないというのは真っ赤な嘘である。」なんて書いてあって読んでいてほんとに楽しい本だった。
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