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認知症についての疑問 [介護と日常]

やっと梅雨明け。夏らしい青空が広がった。
ベランダにでて洗濯物を干すだけで汗が噴き出してくる。

先月の初めに三好春樹の著作をまとめ買いしてそのままになっている。本を開く気がしない。読む前に無力感というか虚しさに支配されて読書に向かう意欲が出てこない。認知症や介護について認識を深めたり、新たな発見をしたりしてもそれが今の現実を変えることになるのだろうかというある意味功利的な考えに囚われてしまったのだ。日々当たり前に日常生活がこなしていければそれ以上を何を望むというのだ。拾い集めた知識の断片に宝物のような真理が眠っているなんて幻想はいい加減に捨てたらどうだ。それこそが「病気」ではないのか、等々。ある介護殺人事件と、ちょっとした自問自答がきっかけとなって水底に沈んでしまっていた。歯痛が誘因になったかもしれないが、そうとは言い切れない。こういう感覚が逆に歯痛を誘発したかもしれない。
沈んでいるのもエネルギーを消費するものだから、最近になってそろそろ浮上しなくてはと思い始めた。

手始めに、認知症に関する自分の疑問を簡単なメモに。

医療に関しては素人なのでその内容には踏み込めない。
痴呆の問題行動が全部脳の障害に原因を求められるのかということについては最近疑問を持つ。
身近で三度くも膜下出血で倒れて、水頭症にもなった患者が復帰して普通に社会生活を営んでいる。たんなる運が良いだけの偶然なのか。
あるいは前頭葉の部位がほとんど欠損状態なのに、全く普通の生活をしていてたまたま何かの検査でその事がわかり驚かせた例。
痴呆の患者の多くが脳の萎縮を示しているようだが、年齢的に脳の萎縮があっても痴呆症状を起こさずに生活している例が圧倒的。
脳の萎縮ー痴呆の因果関係が結論的に証明されているのだろうか。痴呆が脳の萎縮を引き起こす可能性はないのか。
アルツハイマー症とピック症は、病気として脳に原因を求める事が出来るようだ。
前頭葉の障害は見当識障害を伴うとされているようだ。昼夜の区別が出来なくなる、季節感覚の喪失等。しかし、この症状と所謂痴呆症とは同一視できないのではないか。

問題行動はこちら(家族及び介護者)との関係において認知される。関係が切断されている時の行動は問題行動と、私には認知されない。想像の上で認知しているだけだ。ここが大きな肝になるところではないかと直感的に思っている。
例えば、家族・私との関係では問題行動を伴うけれども、あるヘルパーさんとの関係においては問題行動はない。そこでは安定した関係を保つことが出来る。
すると妻を客観的に認知症としてだれが判断するのだろうか。

問題行動の原因について医療機関ではその因果関係を探ろうとしない。
医療機関では問題行動を抑える薬を処方する。つまり風邪と同じで対症療法でしかない。この事による弊害はないのだろうか。
妻を観察する限り、相当あると思う。

脳の障害が身体的に現れても認知症とはいわない。妻が脳機能障害患者から認知症を発症する瞬間があったのではないか。


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incrocio

初めまして。
「痴呆」が「認知症」に呼び名を変えたのが2004年でしたが、脳の神経細胞に変異が起きていない状態では、脳の機能障害であっても、「認知症」とは呼ばないんでしょうかね。定義が難しいです。
by incrocio (2006-07-31 05:04) 

M

どんどん定義が変わるのは、医学の治癒の可能性の範囲が変わってゆくからだろうと思います。どんどん機械的になり、排除されるものは平然と排除されます。薬と手術による対処療法が病気を決定しています。
精神病に関していうと分裂病は統合失調症となりました。それ以外はうつ病です。登校拒否もひきこもりも精神障害からは排除されました。突然「正常」だと決め付けられたのです。
それは「孤立」の場所がないのに、孤立を強いられた関係性の問題です。彼らはある日突然、家族や共同体に復讐します。そのとき「問題行動」は、誰の目にも見える、ただの犯罪でしかないのです。

機械的で、俗流唯物論的な医学が問題外にしているところに、全部の問題があるようにぼくも思います。関係性に。原因の究明に。因果関係の解明に。必要なのは、暖かい愛情によって包むことではなく、孤立できる場所を作ることかもしれません。

miyataさんの疑義は深いと思われます。誰かが、その問いに答えなければならないと思います。
by M (2006-07-31 11:44) 

Silvermac

医学は進歩したと言われていますが、精神医学は、まだまだ未知の分野が多いようですね。精神鑑定なども医師によって全く正反対の結論が出ることもあるようですね。
by Silvermac (2006-07-31 14:08) 

honnoridesu

こんばんわ。
又、又難しい問題にぶち当たってしまっているのですね。。。
私は、認知症と言う事に直面する前に、子供の発達遅滞と言う問題で壁にぶち当たった経験があります。
誰がそれを認定するのか?本当にそうなのか?それではその原因は?どうやって育てていったらいいのか?
もう、本当に???だらけで、しかも一番身近にいる母親の責任と言われる状態でした。
いっぱい苦しみながら、医療機関もいっぱい回って…
私なりの考えは、「原因なんか探ったって治る訳でもない。
一人一人みんな状態が違うのだから、みんなの意見は参考にとどめておいて、子供が一番安定して楽しく過ごせるように子供の目線になって一緒に歩いて行こう。。。」って事だったように思います。
今でも、手探りで子供と泣いたり、笑ったりの毎日です。

こんな体験があったからかな?
比較的、認知症と言う事にとまどいがなく入っていけたかと思います。
ただ、これは子供の障害の時と違って、家族間の意見、考えが複雑です。今は、父の事はもちろん、実家でのギクシャクした関係に凹んでいます。
みんな父を大事に想う気持ちは同じなのですが、とても難しいです。
by honnoridesu (2006-07-31 18:20) 

miyata

incrocioさん、こんばんは。
初めまして。コメント&niceありがとうございます。
認知症の定義ですがいくつか提唱されているようです。
代表的なものにICD10(国際疾病分類10版)やDSMーⅣ(アメリカ精神医学界精神医学診断統計便覧第判)などがあり、内容は大同小異であると「認知症とは何か」小澤勲著・岩波新書で紹介されています。中核の定義は「獲得した知的機能が後天的な脳の器質性障害によって持続的に低下し、日常生活や社会生活が営めなくなっている状態で、それが意識障害がない時にみられる」とされています。
私をこれをほんとかな?とちょっと疑っているのです。
by miyata (2006-08-01 01:22) 

miyata

Mさんこんばんは。
>それは「孤立」の場所がないのに、孤立を強いられた関係性の問題です。彼らはある日突然、家族や共同体に復讐します。そのとき「問題行動」は、誰の目にも見える、ただの犯罪でしかないのです。

これを読んで、芹沢俊介という評論家が心理学者(名前は失念しました)の「暴力はイノセンスから生まれる」という説から、人間の「根源的受動性」という概念を導き出して家庭内暴力に論究しているのを思い出しました。
思いだしたということは、Mさんの指摘にハッとさせられたということです。こういう事だったのかという事で今頃腑に落ちました。
by miyata (2006-08-01 01:51) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
コメント&niceありがとうございます。
脳に全ての原因と結果が求められれば、心の問題はほぼ解決したことになるから、こりゃあすごいことですよね。でもいくら精緻に脳のマッピングをしても、やっぱりアトムは誕生しないんじゃないかと思います。
by miyata (2006-08-01 01:59) 

miyata

ほんのりさん、こんばんは。
コメント&niceありがとうございます。
私も、ほんのりさんの境地を獲得したいという段階にようやく辿り着いたのかなと思います。でも、これから一あがきも二あがきもしなくちゃあいけないんだろうな。
なんかものすごい遠回りをしてしまいそうな不安もありますけど(笑)。
遠回りしたあげくに迷路に入り込んで、帰ってこれなくなってそこらで人生はお終いなんて、うーん、もう答えが出ているような気が・・・(__;)
by miyata (2006-08-01 02:08) 

シマリス

miyataさん、スゴイ難しい問題ですね。
とても私の頭では無理・・・
でも、最近よく「うつ病」が特集とかされていますよね。
私から見ればなんと贅沢な、自分自身のこんな身体でこれから生きていくことを思えば(身体半分麻痺状態、足首・膝の曲がりも日々悪くなるばかり、大腿骨頭置換手術による諸々の障害)。
日々、夜になると今日も無事終わったことに安堵するのです。
自己管理が悪いと言われればそうですが、誰も好きでそうなったわけではない。
私はもう何も考えないでいるようにしています。
現状維持、無理はしない、思い詰めない・・・単純すぎますか?
でも出来るだけ明るく生きていきたい!
by シマリス (2006-08-01 13:36) 

本人にとっての幸せ
私はそんなことを一番大切にしようとしました
多発性脳梗塞でした。

確かに家族にとって困ることでも本人がそうしたいこと。

意外と強いものがありました。
by (2006-08-01 23:58) 

miyata

シマリスさん、こんばんは。
やっぱり不器用というかアホなんですかね(´ヘ`;)ハァ
いつまでもあがいてしまうんですねえ。
蜘蛛の糸を見つけたいんですね、結局。
シマリスさんの「単純」は、実はとても複雑なんだと思います。
どうすればそこに到達できるんでしょうか。
もっと地獄をくぐれということなんでしょうか。
矢でも鉄砲でも持ってこいという心境になりたいものです。
by miyata (2006-08-02 00:21) 

miyata

なかなかないさん、こんばんは。
あやかりたいです。
私には本人の幸せがなんなのかわかりませんが、幽閉することなく、できる限り一緒にいたいと思っています。
by miyata (2006-08-02 01:08) 

シマリス

miyataさん、こんにちは。
いつもコメントありがとうございます。
昨日は書きすぎてしまったかと思い、気になって来てしまいました。
自分のブログ内で「シマリスさんは素直な方ですね」と言われたときには、やはり私って単純バカなんだと少しショックでした。
でもその通りなんですもの、仕方がありません。
もう今から修正できるはずもなく、まして頭の病気をしているのですからね。またまたくだらないコメントをしてしまいました。
by シマリス (2006-08-02 12:24) 

認知症の場合は、本人が申告して症状を訴えるわけでもなく、周りが正常でないと客観的に判断して、医者に掛かるわけで、その度合いといいますか、症状の程度については、医師や行政等で認定されるものというよりも、むしろ主たる介護者や周囲の者が感受したものの方を、重視してほしいなとも思います。
水頭症でも同様の症状が出たりしますし(正常圧水頭症)、脳の萎縮も若い人でも見られると聞きましたし、因果関係については、一概には言えないのかなと素人ながらに思っております。
薬等で軽減できても、治らないなら、医学研究での原因究明はさておき、では、認知症の本人がこれからどう過ごしていくのがいいのか、また家族や周囲がどう接していくのがいいのか、この辺りをケアしてほしいなと思います、
by (2006-08-02 23:19) 

miyata

シマリスさん、おはようございます。
相手に見えている自分の像に少なからず異和感やショックを感じることはありますね。
ブログでも、自分とブログの距離に対応するかあるいは比例するかのように自分が感じている実像から遠ざかる気がします。自分が感じてる自分の実像もかなり疑わしいですが(笑)。分かり合えるということは、簡単じゃないですね。無理かもしれないし・・。でも求め続けることが大切なんだろうなと思います。それにしても、暑いですね。脱水症には気をつけてください。では。
by miyata (2006-08-03 10:26) 

miyata

タケノコさん、おはようございます。
コメント&niceありがとうございます。
介護に関わると、制度に関してはタケノコさんのおっしゃる面が大きな問題として切実になってきますね。この辺りは黙っているのではなくて、声を上げていくことが(それも積極的に)必要だなと最近感じています。
by miyata (2006-08-03 10:41) 

FUJI

miyataさん、ご無沙汰しております。
読んでいるブログ欄に自分の覚束ないブログがあって
少しビックリして出てきちゃいました(^^;
読んではいない、としても嬉しいです(笑)

今は脳外傷とは全く関係のない、ただのほのぼの育児ブログですが
介護の息抜きに(なるのか?)遊びにいらしてくださいね。
主人(元ですが)も昨日で多分40歳になったはず。
事故は34歳の時だったから、、、時の経つのは早いものです。
また遊びにきますね(^^)/
by FUJI (2006-08-04 19:54) 

miyata

FUJIさん、こんばんは。
コメントありがとうございます。以前にMLで紹介いただいたときからずっとお伺いしてました。ここにも最初からリンクをしていたんですが、RSSがずっと反映されなくて、最近になって反映されるようになりました。設定を変えられたんですかね。コメントもせずにすみませんでした。なんだかストーカーみたいですね(^^ゞこれからもよろしくお願いします。
by miyata (2006-08-04 23:40) 

初めまして。訪問介護員を生業としていますkuri-cat(くり)と申します。
私は介護の仕事を始めて5年になります。認知症のお客様のお宅にもお邪魔させていただく機会が多いのです。
そこでいつも思う事は「家族介護に休みが無い」という事です。家族が介護しているお宅に入る時は、1日24時間の内のほんの1時間でも休んで戴ければ・・・等と差し出がましい事(?)を考えながら入らせてもらってます。
by (2006-08-09 15:32) 

miyata

kuri_cat さん、こんばんは。
コメント&niceありがとうございます。
とても大変で、また頼りがいのあるお仕事をされていますね。
私は妻が倒れるまで、介護の仕事というのは関心もなかったのですが、どこか選ばれた人こそができる職業だと思っていました。選ばれたという言い方はちょっと誤解されるかもしれないんですが、自分がお願いするようになってから訪問介護の方と接していてちょっとだけ分かったことがあります。それはある体験を超えた人が多いということでした。身内の介護経験とかご主人を病気で亡くされたとか、食べるための職業をプロとしてこなしているのとはちょっとだけずれた部分を持っているということでした。それは、これまた誤解されるかもしれませんが所謂「玄人さん」と呼べるような孤独さというか寛容さを持っているんですね。この観察は私の家庭だけの経験によるものですが。理念とか理論とかとはちょっと違うところでこの仕事を成立させている事に気づき、その部分が私の安心感につながっているのだと思います。いずれにしてもあなた方の「職業」が職業としても報われるように願うものです。僭越ですがヘルパーさんに時折聞くその報酬に私は怒りを感じます。これからのご活躍、心から願っております。
by miyata (2006-08-11 00:04) 

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