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2008年、秋。 [介護と日常]

清原という選手のことは、ほとんど関心がなかった。それにリザルトを見てもさほど評価できる選手とは思っていなかった。プロレスラーのような身体にして馬鹿だなと思ったり、年齢のわりには野球を浪花節にしてしまってとかと過小評価していた。見方が根本的に間違っていた。西武の時にはそう思っていなかったので、評価できない背景に巨人の姿があったのだということに、引退試合を観て気がついた。長嶋の引退の時、もうこんな選手は出てこないだろうと思ったがそれは私の世代が持つ傲慢さだと思った。全部の打席と引退セレモニーを観てKK以降の世代が繰り広げるプロ野球の世界が少し理解できるように思った。そういう打者だったのだということも初めてわかった。花束を渡した王が生まれ変わったら一緒のチームでホームラン競争しようと言ったそうだ。その時の清原の涙を理解した。ドキュメントも見た。桑田が泣いたことも知った。すごい手術のことも知った。野球というゲームを突き抜ける存在感をこの選手がずっと持ち続けてきたことを認識した。清原をはじめとするこの世代がプロ野球を変えるだろう。そんな想いを強く持った。

三十代の若い人に「おじさん」と呼ばれてはたとそうか、おれはおじさんなんだと自分の年齢に気がつく。そんなこと言われなければ、ほとんど気がつくことはない。老いはわからないと過去何度もこのブログで書いてきたが、やはり今もわからない。だが、生き延びていれば逃れられないものとして必ず訪れてくるはずであり、それがどのように自覚として捉えられるのか。
今でも「反射」という意味ではもう若い頃のように反応できないという自覚はある。車の運転をしていても、それは感じる。五年前にはダッシュしてアスファルトにスライディングして妻の怪我を防ぐような芸当は普通にできたが多分今は無理だろう、と思う。この「と思う」事が果たして老いなのか。きっとこれは老いに向けてなだらかな推移の中の一こまのようではあるが、こんなことが積み重なっていったとしても、それが「老い」にぶつかり自覚することにはつながるのだろうか。今の段階ではよくわからない。皆目わからない。ほんとうに呆けにつながるほどのストレスとしてそれは現れてくるのだろうか。自分にとって今のところこれが唯一未来にむけて理解可能かもしれない謎だ。だけど少年期も青春期も中年期を振り返っても余りよくわからないから、理解できないまま終わるんだろうな。

自分の誕生日を祝ったり、祝ってもらうのは好きではなかった。ようするにあまり自分が好きではなかったからだ。だけど、こんなことを主張すると逆に人以上に自分にこだわるからそうなるのだろうと揶揄されるのは決まっているので、祝ってもらえば普通に喜んだ風をしていた。感動もなく普通にその日をやり過ごすようになって、やがてほんとうにその日を忘れるようになっていった。今年も2日、古いMacに教えられて、「ああそうか、そういう日だったんだ」と57回目の誕生日を迎えたが例年以上に誕生日祝いのメールやポストカードを頂いた。うれしかった。というのは「誕生日はあんたが生まれた記念日じゃなくて産んでくれたお母さんに感謝する日だよ」という読みかえを教えてもらったからだ。だけど、家族で私の誕生日を気にかけていたのは妻だけで子供達は気づかない。妻にこっそりその事をいうと目を丸くして笑いながらちょっと声色を変えて「おめでとう」と手を握ってきた。これもうれしかった。

「あじねフライパン」さんから封筒が送られてきた。中を開けると手作りの「あじね通信」が入っていた。中の記事は食べ物のことと、地元の歯科医さんの記事。ふたつともとても良い記事だった。食べ物の記事は「噛むこと」について。現代人は噛む回数が歴史的に最も少ないという記事を紹介していろいろと調べたもの。記事では噛む回数が減ってくると大きな時代の変化が起こるという歴史の見方があるそうですと書いてある。時代ごとに大きく噛む平均回数が減ったのはまず、平安時代で、つぎに減ったのが江戸時代から明治にかけて。このテーマは確か柳田国男の「明治大正史・世相編」の中でも現代は食べ物が軟らかくなっていると取り上げられていたのを思いだした。うーん、これは勉強させてもらった。
もう一つの歯科医さんの記事は介護との関連で。そこは夜遅く診てくれる歯科医さん。母を介護している歯科医(女医さん)さんが自分の介護の体験を通して介護する人にはほんとうに時間がないこと。自分の母が寝てからでないとなんにもできない。これは介護を抱えているところはみんな同じではないだろうかと思って、歯の治療も満足にできない家族のために夜の診療を始めたというインタビュー記事だった。ちょっとジンとした。
我が家の食卓を支えるあじねフライパンはまったく焦げ付きもなくますます馴染んできている。ここで買って良かったなあと思う。

※タイトルはchihiroさんから拝借
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SilverMac

清原については、私も表面から受ける印象で、可成り先入観を持っていました。
by SilverMac (2008-10-04 16:28) 

タケノコ

福岡にいたころは、ライオンズのなごりで、西武、ダイエー(当時)ファンでした。ですから、清原は西武時代のイメージです。成績以上にチャンスに強く、巨人との日本シリーズで一塁守備の際に泣いていたのが印象的でした。記憶に残る選手ですね。今のホームラン打者にはあのような強烈な個性がちょっと感じないですね。

歯科の休日や夜間の診療はありがたいですね。訪問とかもあるようですね。
by タケノコ (2008-10-04 16:45) 

chihiro2

わたしは(よく知りもしないのに)未だに清原にはいい印象を持っていません。でも今日、仕事先の若い人達は彼をかなり評価していました。「そんなに凄い選手だったのか。。。」と思っていたところです。

老い。。。は感じるようになろうと思います。例えば、わたしが今年の連れ合いの年になったら、見場が良くないのでもうアトラクション巡りはやめようとか。。。(笑)
気だけ若いのは時として不格好な事が有ります。。。。
潔いその年齢らしさが美しいのではないでしょうか。。。

by chihiro2 (2008-10-04 17:20) 

yakko

私は野球を見ないのでよく分かりませんが
王さんとイチローさんは尊敬しています。
あじねフライパンは中々良さそうですね(^。^)
by yakko (2008-10-04 22:12) 

tonton

こんばんわ

奥様のおめでとうが キュン としますね。
私は自分が好きではないけれど自分の誕生日会は
開きます。なぜかと言うと・・・
他の人を祝いたいからですね~
今では大事な友達の誕生日会は
必ず集まる習慣が出来ました。
すごくうれしいことです。

人を祝うと自分の事も祝いをされる
これは仕方ないことですね ^^

歯医者さん・・その女医さんのような方が
一人でも増えるといいですね~
歯医者・・彼も連れて行かなくちゃ。
by tonton (2008-10-04 22:43) 

hana

miyataさん、今晩は。
お誕生日のお祝い・・・家庭を持ってから一番大切にしていたのは、子供の誕生日でした。
世のお母さん方はどなたもそうかと考えます。
子供の一年事の成長ほど嬉しいものはありません。
それに引き換えて自分と夫の誕生日は、あまり印象に残るものがありません。
私達、同じ12月ということ。
私の時には、何時もケーキとお花のプレゼントをもらっていますが、夫の方は年末とのこともありどうしてもおざなりになっております。
奥様との握手、さりげなくて、でもなかなか出来ない事ですね。

野球のことはまったく解りません。まるでやくざの様な清原の姿、私にはあまり良いイメージがないです。


by hana (2008-10-04 23:46) 

miyata

SilverMacさん、おはようございます。
実は私も同感でして、あのみかけには嫌悪感を感じていました。いまでもそうなんですけど(^^ゞ
by miyata (2008-10-05 06:29) 

miyata

タケノコさん、おはようございます。
私もそのシーンをよく覚えていますよ。オッサンみたいな高校生だったけど、傷ついていたんだなあ(ドラフトで巨人が指名しなかった件)と思って見てました。清原の存在感とか強烈な個性というのは当時の巨人中心主義、セリーグ中心主義のテレビ放映では実感することがなかったんですね。
落合が巨人に来た時「落合よ、おまえもか」と思い、清原の時には逆に反発しか感じてなかったんです。今から思うと巨人中心主義に反発も含めて洗脳されていましたね。清原が頭染めたりピアスをつけたりとか、巨人に入ってからじゃないでしょうかね。ただ、今頃になってこの選手のことがちょっと理解できた感じです。

歯科医さんの話しよかったです。やっぱり目線というのは大事ですね。その立ち位置によって受ける印象が全然違ってきます。
by miyata (2008-10-05 06:39) 

miyata

chihiroさん、おはようございます。
勝手に連続してリンクはらせてもらってすみませんでした。
清原に関しては、私もそうでした。だけど、この選手はそういうのを突き抜けて迫ってくるものを持っていたとことを実感しました。評価を変えます。

自分もなんとなく子供達にとって困ったオヤジだなあと思われ始めた節もあり(苦笑)、昔二十歳代の時に五十代の人に感じた「大人」になりたいなと考えるこの頃です。
あまりに潔く老いたがために、爺むさくなるのも嫌だしなあ(´ヘ`;)ハァ
結局良い先輩(SilverMacさんとか)を見習うしか私にはありませんね。
by miyata (2008-10-05 06:54) 

miyata

yakkoさん、おはようございます。
野球に関心がない人でも王さんとイチローは知っているんですね。
あじねフライパンは重宝しています。
by miyata (2008-10-05 06:59) 

miyata

tontonさん、おはようございます。
おめでとうと言ってくれる事を忘れてはいないので、キュンとしました(笑)。
歯医者さん、記事では清楚で美しいと書かれていました。治療が始まるとすぐに丁寧さがわかるとも書かれていました。とても苦労されているんでしょうね。こういうお医者さんだったら歯医者が嫌いにならずに通えるかもしれません(笑)。神奈川県厚木の方のお医者さんで、住所や電話の案内が載っていました。もしお近くならばどうですか?
by miyata (2008-10-05 07:07) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
子供の誕生日を大事にしたのは我が家でも同じでした。あまり家庭を顧みない私に気を使って、私の名前でプレゼントを用意してくれたりして、子供の関心が私から離れないようにしてくれたりとか。今子供達とあまり遠慮なく話ができるのも妻のおかげです。
妻も息子と同じ7月の誕生日でした。倒れた後、誕生会を開くととても喜んでくれたのが印象的です。
清原はほんとうに見かけを悪くして自分のイメージを作りましたね。なんでそうしたんでしょうかねえ。誰があんな風に作ったんでしょう。よくわからないです。
by miyata (2008-10-05 07:25) 

左膳

清原の引退セレモニーを見て、改めて記憶に残る選手だったんだなと痛感しました。特に、王監督との場面ではドラフトの因縁も消えてすがすがしい思いで見ていました。
by 左膳 (2008-10-05 09:14) 

すず音

こんばんわ
お誕生日おめでとうございます。
誰かにおめでとうと言ってもらえる事って、かなり幸せなことだと思いますよ。奥様可愛いですね。
私も長い間巨人ファンでONコンビを生で見て特に王さんの真摯な態度には
いつも感服していましたので、無冠の帝王みたいな清原は何となく苦手で
もっと頑張ればもっと多く本塁打打てたのにとか、思っていました。
1つのことを長く達成すると言うことは、ものすごい力が要るんですね。
たかが野球されど野球
頑張るって大変な事なんですねえ
by すず音 (2008-10-05 20:36) 

miyata

左膳さん、こんばんは。
よく考えると、王も桑田も清原もみんな巨人から追われた人たちですね。考えようによっては、記憶に残る一大セレモニーが巨人を離れて出現したことの意味は想像以上に大きいかもしれませんよ。
by miyata (2008-10-06 03:45) 

miyata

すず音さん、こんばんは。
ありがとうございます。実は私も長い間巨人ファンだったのです。理由はいろいろありまして初めて阪神がキャンプで安芸に来た時に遡ります。その時村山が選手兼監督の時でした。その時今から思うと不調に苦しんでいた村山監督と不幸な出会いがあり、阪神嫌いになりました。田舎のテレビでは巨人阪神戦くらいしか放映されなかったので、阪神が嫌いになると巨人ファンしか道は残されていませんでした。巨人が嫌いになったのは長嶋監督が解任されてからで、さらに決定的に嫌いになったのは王が監督を解任されてまた長嶋が戻ってきてからです。

清原引退のドキュメントを見ていて気がついたのは、清原が無冠の帝王にならざるを得なかった理由が存在したことに気がついたからです。それは後輩の片岡の話を聞いていてハッと気がつきました。そしてそれは西武時代に遡るのだということにも気がつきました。清原は巨人のV9時代に確立された勝負至上主義の管理野球に徹底的に蹂躙された選手かもしれないと。清原の西武時代の監督は森でした。結局プロ野球(セリーグ・巨人)はON以上の存在を作らせなかったのではないか。清原はそれを背負いつつその背景、悲劇を背負いながら野球を包括してなお突き抜けられたまさにONに匹敵する以上の野球選手だったのかもしれないと、今はそう思いつつあります。
だけど、あの見かけはもうやめて欲しいですけどね(笑)。
by miyata (2008-10-06 04:04) 

うしさん

介護も寝る時間外ですが
私は3歳の子どももって(再就職のために)1年追加の学生生活をしました。
介護は蕎麦で寝る

しかし授業の復習豫予習はきっちりする性格ですから。子どもを寝かして
夫が寝てから勉強でした。今子どもが言います。
「私が風邪を引いてで鼻が詰まって目が覚めると、何時も隣の部屋に電気が着いていてそっと覗くと、おかあさんはいつも勉強していた」
そうしないと着いてゆけなかったし。クラスメートはみんな21歳です。

4時から7時まで寝ていました。
昼は喫茶店で食べてそこで腰掛けて眠るのです。

今から思えば、みんなと一緒に国家試験も合格しましたし。再就職もしました。

若かったから出来たのですね。
by うしさん (2008-10-06 14:55) 

miyata

うしさん、こんばんは。
そうですね。確かに若いときには出来たけれどもという事はたくさんありますね。これが出来なくなったから若くないのかもしれませんが、それが「老い」なんでしょうかねえ。
「あ〜あ、もう年だなあ」というのと「老い」とはなんかちょっと違うような気がしたものですから。
じつは、何が引っかかっているのかというとですね。高齢者の認知症誘因は自分の老いに対するストレスではないかという説があるんですが、どうもそれが納得できないというかよくわからないのです。年齢に応じた呆けはあるでしょうが、認知症まで行ってしまうほどのストレスが自分の老いに対してあるのだろうかというのが、疑問なんです。

ところでうしさんは若いときからパワーがあったんですね。敬服します。誰もが出来ることではないと思います。
by miyata (2008-10-06 18:22) 

うしさん

今は記憶のタンスが小さくて
選択をして能のタンスに収めているツモリですがひょいと1年まえのことがよみがえったりしますね
先日も1年前から2度目の講師が講演に来ました。あったとたんに。

この方あんな話をなさって前の端の私に未熟な私にこの地ではどうと何回も聞かれてことやお昼が誰と一緒に食べたとか思い出すのです。

老いに対するストレスが認知症と関係がある?
私はひょっとまだばだ大丈夫とおもいますが
先日「どんどん若返る私といったら」
「ウソだけど本当みたいな話とみんなで大笑い。

by うしさん (2008-10-06 20:55) 

tomoko

誕生日おめでとう~。
私は9月で68歳!仙台では70歳になると無料バス券が戴けます。
けどチョット寂しさも有りますね。

外見は自分で言うのも変だけど若いです。
でも足が腰が脳が、日々退化していくのが分かりますよ。
又世の中若い人向きに出来てる事を老いて分かる事が
沢山有りますね。
大きな声を出して不便な所を多くの人に話して少しでも
改善されるよう頑張りますよ。笑
by tomoko (2008-10-06 21:34) 

miyata

うしさん、こんにちは。
記憶というのは、不思議な現れ方をしますよね。それは年とは関係ないように思いますよ。
>先日「どんどん若返る私といったら」
「ウソだけど本当みたいな話とみんなで大笑い。
これは、あながち冗談とも言い切れないと思います。なにせ、老人とは「超人間」のことですから。
by miyata (2008-10-09 12:11) 

miyata

ともちゃん、こんにちは。
どうもありがとう。今年はそういわれるととても嬉しい。
世の中が普通の人向けに出来ているというのは、女房の車椅子を押していたり、一緒に出かけたりするときに良く感じます。だけど、では病院のようなのっぺり平坦な空間がよいのかといえば、それも嫌だな。不便を感じたときに、すまなさを感じずに感謝が言えて、それを対価として普通に受け止める人の心が出来るのが一番いいですね。
by miyata (2008-10-09 12:18) 

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