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七月を跨いだ雑記帳の続き [介護と日常]

妻の歌
昨日の早朝のことである。雨が降っていた。5時過ぎに妻が私の手を強く掴んで起こそうとする。トイレかなと思ったが「雨が降っているのでもう少し寝る」というと、「まだおきひんの?」と言った後唐突に歌を歌い始めた。
 
 あめあめ ふれふれ かあさんが じゃのめでおむかえうれしいな ぴちぴちちゃぷちゃぷ らんらんらん

聞いたこともないような鼻歌を歌うことはよくある。仏壇の前や、布団の中で目を見開いて一心に歌う姿はめずらしくない。が、歌詞をここまではっきりと、しかも最後まで歌うのを聞いたのは倒れてから初めてだった。
なんでそんな歌を歌って私に聞かせたのだろう。子どもと間違ってないかと聞いたが笑いながら否定した。なんでその歌なのかを聞いたが「なんでやろ。気がついたら歌ってたわ」といってまた眠りに落ちた。読めない。

主治医のこと
妻の執刀医であり、主治医でもあるH先生から9月で病院を辞めることになったと伝えられた。病院を変わるのだそうだ。北海道の稚内だそうだ。遠いですねと聞けば、そちらのご出身だった。脳外科医であり、認知症の専門医ではなかったが一番信頼してきたし、妻の状態をもっとも理解してくれていたと思う。頻繁に通院が必要だった頃、苦労したのは決められた時間を守ることだった。何度も約束の時間を守れずに病院に行ったが、その都度「気にせずに、来られるときに来てください」と言ってくれた先生はこの人だけだった。ある専門医のところでは、二回目の診察時に30分ほど遅れてやっとの事で診察室に行ったらいきなり怒られた。それからそこには二度と行かなかった。
慎重な検査と緻密な分析から治療方針を導き出す姿は、まったく有能な技術者の姿だった。それほど互いに親しさを表す関係ではなかったが、いなくなると思うとさびしいし残念だ。新たに医師を捜して病院を変えるかもしれない。

秘密作戦
最近ひそかにオムツ脱却作戦を展開していた。作戦の肝は①サインを素早く見抜くこと。②本人に緊張を強いること(苦笑)。
二日間ほどうまくいった。二日前の朝、起きてからトイレもすませ朝食を食べて、テレビを見ながら話し相手になっていた。10時を過ぎる頃にうとうとし始めた。テレビの前で横になろうとするので、ベッドが楽だからと連れて行った。妻はすぐにスヤスヤと寝始めた。これ幸いとばかりに久しぶりに自分の部屋に行き、机の上をあれこれと整理しながら読書をしたりして11時半をまわった頃昼食の準備に台所に立った。ちょっと気になって寝室を覗くと妻はまだスヤスヤと眠っていた。暑くなり始めたのでクーラーをつけてやろうかと、はねている上布団をかけようとしたら染みになっている。うっ!と思って触ってみると着ているものから敷き布団までビショビショであった。久しぶりの大洪水。うっかり油断した。幸い晴れ間が出ていたのでシャワーで身体を洗った後、大洗濯。「しめた!いまだ!」というこの感覚は、結局痛い目に遭うということだった。反省。
オムツ脱却作戦はまだしぶとく展開中だが成果に比して被害は甚大だ(泣)。いったん撤退か前進あるのみか、思案中である。

叔父の小説
家の整理をしていたことは前回書いた。その中で亡くなった叔父の荷物の中から未完の小説がでてきた。作家を目指していたのかと驚いた。出来はさておき、興味深い内容だった。
終戦後「マッカーサー徴用」で復員船に乗り込んだ主人公が、様々な経歴の乗組員との絡みや、かつて戦地であった南方で復員兵や引き揚げ者たちを焼け野原になった日本に運ぶなかで、軍需物資や積荷を捌く闇のシンジケートに巻き込まれていくというストーリー。沖縄やフィリピン、マニラ、シンガポールなど一帯の密貿易に関係するシンジケートには米軍関係者、華僑、それに復員船の乗組員。彼らは復員船から下りた後も朝鮮戦争特需の中で利権に群がり蠢いていく。そして日本の闇市からやがて巨大な百貨店を築いていく男や、ナイトクラブ王と呼ばれる男になっていったりする。そんなストーリーだった。
かなり実体験をもとにした小説だと思う。私の父がやはり戦後進駐軍に徴用されて輸送船に乗り軍需物資の横流しの疑いをかけられてGHQから追われたはてに、土佐の小さな海辺の街に身を隠して結果私がこの世に生まれたという話を伯母から聞いたことはすでに書いた。叔父もまた戦後船に乗っていた。してみると、伯母から聞いた父の話は相当美化された話で、父も叔父が描いた小説の登場人物たちと同様の蠢く人びとの一人だったのだろう。自分を模したと思われる主人公の中に私は父の姿を見るような思いだった。また気になったのは、唐突に主人公の父の妾が短く出てくるのだがこれは私の母がモデルではないかとはっとした。叔父はひょっとすると私の母に思いを寄せていたのではないかと思った。

興味深く読んだのには理由もあって、ちょうど南無さんの一連のエントリーと微妙に交錯したからだった。発端は南無さん経由で勝手に三上先生にリンクしていたのだが、佐野眞一関連のエントリーを興味深く読み、自分も図書館で佐野眞一の作品を何冊か借りて読んだ。読んだのは「旅する巨人-宮本常一と渋沢敬三」「宮本常一の眼差し」「宮本常一のメッセージ」「宮本常一が見た日本」「渋沢家三代」「大往生の島」「沖縄 だれにも書かれたくなかった戦後史」。
正直期待していなかったのだが宮本常一と渋沢敬三を扱った「旅する巨人」がよかった。満州ものや戦後史関係も読もうと思ったが、キリがないと思い止めた。この辺りは南無さんが微妙な含みを残しつつまとめていて、覗き込んでいる深度がさすがだと思った。

私は叔父の小説を読みながら、以前読んだ鶴見良行の「バナナと日本人」を思い出して「ナマコの眼」を図書館で借りて読んだ。これが圧倒的に面白くて他の著作を借りて読んでいる。鶴見良行はバナナと日本人以外は読んだことがなかった。この本に「これ、面白いなあ。困ったなあ」と書き込んでいる。理由はすぐに思い出せた。べ平連をとにかく頭っから毛嫌いしていたのだった。まったく、偏狭そのものだった。この偏狭さはその後の自分の生き方にもずいぶん影響していたんだなと最近思うようになった。

バナナと日本人―フィリピン農園と食卓のあいだ (岩波新書)
ナマコの眼 (ちくま学芸文庫)
アジアはなぜ貧しいのか (朝日選書 211)
海道の社会史―東南アジア多島海の人びと (朝日選書)
アラフラ海航海記―木造船でゆくインドネシア3000キロ

パソコンに珈琲
妻がようやく寝静まった後、珈琲をいれた。居間で珈琲をすすりながらノートパソコンを開いた。何かの拍子に、珈琲をこぼしてしまった。ワインやジュースをこぼしたというのはよく人からは聞いた話だった。自分には無縁だと思っていた。なんの根拠もない思いこみだったことを証明してしまった。即座にパソコンを裏返してこぼれた珈琲をきり、なんとか終了させてバッテリーを抜いた。それから乾いたタオルで何度も水気を取って扇風機で乾かした。翌日起動してみると問題なく起動したが、やはりキーボードとトラックバッドに障害がある。修理の相談をしてみるとキーボードだけなら18000円だがトラックバッドの場合はロジックボードも調べてみないとわからないので何ともいえないという話。ちなみにそれらを全部交換するといくらかと聞くと他の機能も異常があるかもしれないので確定はできないが最低でも50000円はするという。だったら新しくした方がよいかもしれないので、駄目元で自分で調べてみることにした。キーボードは簡単に外れたが、トラックパッドはアッパーケースをむき出しにしなければならない。HDD、DVDドライブ、エアポートカードと順番に外していき、いよいよロジックボードを外す段になってこれ以上分解したら組み立てられなくなると直感的に感じて作業を中断した。外したキーボードを水で洗い(おそるおそる)、乾かしてから、トラックパッドの部分にもヘアドライヤーで少し温風をあてて、なんとか全部もとに組み付け直した。テスターで調べても断線は見あたらない。これで駄目なら諦めるしかないと起動してみたら、全部正常に戻った。運がよかった。キーボードにカバーをつけるのは嫌いなので、これからはパソコン使用中に食べたり飲んだりしないようにする。

ぬか床
男子たるもの、せめて食べものの蘊蓄や家庭料理うんぬんは語らぬダンディズムを持ちたいと思うものの、いかんせん根が小心で小市民であるが故の悲しさで書きたくてしかたがない。25日目である。おいしくなった!
子供は「おかずがいらないくらいだね」といい、妻ですら「これおいしい!」といってくれるようになった。苦虫を潰したような顔で返事もそこそこに箸を進めるが、心の中は喜びで飛び上がらんばかりなのである。なんと悲しいことだろう。かくなる上は、冬になると私はきっと大根を大量に漬けることになるだろう。京都の旧家杉本家のレシピ「朝夕茶漬け、香の物。昼は一汁一菜」というのはなにも非現実的な食卓ではなかったということである。

訃報
平岡正明が亡くなった。脳梗塞だという。68歳
ずっと「せいめい」と思っていた。
南無さんがすでに書いている。





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SilverMac

久し振りのアップですね。奥さまの主治医の転勤、ショックですね。私も高校の同級生が主治医ですが、長生きしてもらわなければと思っています。平岡正明さん、マルチ評論家とでも言うのでしょうか。まだお若いですね。
by SilverMac (2009-07-12 05:58) 

yakko

お早うございます。
奥様の「雨雨降れ降れ」の歌は微笑ましかったです。
信頼していた主治医の転勤は残念ですね。また良いお医者さんとの
出会いがあると良いですね。
PCは私もコーヒーを飲みながらやるので要注意 ! ですf(^ー^;
素晴らしいお漬け物が出来上がって、皆さんに好評で\(^O^)/
by yakko (2009-07-12 08:49) 

タケノコ

うちの妻は、歌はなぜか、幅広いレパートリーのなかから、歌詞も読めないにいろいろ出てきます。でも人の名前とかはなかなか覚えられない。不思議なものです。主治医さんの転勤は痛いですね。
パソコンにコーヒのサービスですか、私は緑茶を差し上げたことがあります
^^)
ぬか床、これからの夏野菜も漬け込むのが楽しみですね~。
by タケノコ (2009-07-12 11:13) 

うしさん

暑さに向かってオムツはずし作戦。おえらいです。

夏はオムツがむれて本人はあついのですね。
認知障害のある方が怒る話はよく聞きますが歌はいいではありませんか
by うしさん (2009-07-12 16:22) 

miyata

SilverMacさん、こんにちは。
ちょこちょことアップしていればいいのですが、結局こんな風にまとめて長文になってしまいますf(^ー^;
主治医は突然だったので驚きました。引き継ぎはきちんとするということなのですが、どうなりますでしょうか。
平岡正明はわりあい古くからの読者でした。最近は読むこともなかったのですけど。
by miyata (2009-07-12 17:30) 

miyata

yakkoさん、こんにちは。
PCにコーヒーはほんとにがっかりしました。だけど無事に復活して良かったです。今もそのPCでテレビの相撲を観ながら横には嫁さんもいて書いてます(∩.∩)
ぬか漬け、いやあ、これはやってみた甲斐がありました(^^)v
by miyata (2009-07-12 17:41) 

miyata

タケノコさん、こんにちは。
コーヒーサービス、やっちゃいました(__;)
タケノコさんも経験者でしたか(笑)。ノートだったので焦りました。
歌なんですけど、なんか「鍵」が開いたような感じでした。ほんとに歌詞を歌うことはまったくといって良いほどなかったですし、メロディーもありませんでした。ただフンフンと歌うだけで。嫁さんにとってはそれが「現在」なのですが全然「現在」に繋がっていない世界を浮遊している感じだったのです。脳は絶えず変化してるんでしょうね。
ぬか床、今では毎日漬けるのが楽しみです(;^_^A アセアセ…
by miyata (2009-07-12 17:52) 

miyata

うしさん、こんにちは。
最近のリハビリパンツはなかなか優れていて、かぶれることはほとんどありません。だけどきっと暑いでしょうね。それはよくわからないのですけど。
オムツをしていると排泄の処理を前提にしてしまいます。それはまったくその通りなのですが、排泄の処理から解放されると楽だなあというあくまでも介護する側のエゴみたいなものでして(^^ゞ
これもやってみないとよくわかりません。本人が不安を強く感じてしまうと頻繁にトイレにいくことにも繋がりかねませんしね。まあ、無理をしないように様子を見て決めることにします。
by miyata (2009-07-12 18:00) 

すず音

こんばんわ
オムツ外しは中々時間とタイミングがあって難しいかも・・・
miyataさんならやれるかも知れません。
昨年ぬか床をダメにしました。長いお出かけがあって
きっと大丈夫だろうなんて思って帰ったら、完全に発酵していました。
父親の具合が悪くてついつい愚痴ばかりとか、短い更新になっています。
選択肢がある場合どっちをとればいいのか、いざとなると決心がつきません。父親には本当に苦労ばっかりかけてしまったので、もう少し手を尽くしたいという思いと、もう79歳なんだからこのまま枯らせてもという、鬼のような気持ちと今悶々と戦っています。行政も福祉も本当に困った時には
手も差し伸べてくれなかったという思いもあって、意地でももう少し生きて親に手をかけたいなと思いますが。。。現実は甘くはないです。この葛藤の中で迷ってばかりでどうしたらいいのか相談に乗ってくれる人も無く。
きっと母子家庭だからお金でも貸せと言われると思うのかもしれません。
今までは家族にどうするか迫ってる方だったから、きっとお返しなんだろうなあ。大好きなお父さんをどうするか。娘が決断するなんて。辛いです。
by すず音 (2009-07-12 19:35) 

miyata

すず音さん、こんばんは。
オムツ外し、難しそうです。反動からか頻繁に漏らすようになりました。こうなると普通の下着を着けておくことはできません。まあ、ぼちぼち進めます。
ぬか床を駄目にしたことがあるんですね。なかなか手間がかかるので家庭に問題がある時はしかたがないと諦めるより他にないですね。私の場合、ぬか床の存在すらわからずに4ヶ月放置後に処理をしました。それはもう凄かったです。なんで臭わなかったのでしょう(苦笑)。

難しい問題にうかつに口は出せませんし、何が具体的な問題なのかもわかりませんので何ともいいようがないのですが、まず出来ないことは出来ません。出来る可能性がある時は出来るということです。つまり出来る出来ないは結果からしか導き出せないということです。そういう結果をいくつも積み重ねていくしかないのではないでしょうか。あんなことも、こんな事もできたのにというのは、出来なかったということです。それは悔やんでも仕方がないといえば仕方がないのです。自分の納得の問題が残るだけです。
あと、個人的には自然の順序と社会の順序がせめぎ合うとしたら自然の順序を優先するようにします。これはかなり厳しい現実に立ち向かうことになると思いますがそれをやってみたいと思います。

いや、ここまで書いてふとすず音さんの別ブログを見てきました。すず音さんの場合、現実的かつ具体的な問題を整理できればぐっと負担が軽くなるような気がします。無責任なことは言えないのですがこれはかなり整理できるような気がします。利用できる制度は徹底的に活用するようにして、したたかに生き抜くことがご両親の今の状態に向き合うことになるのではないかと私には思えます。
by miyata (2009-07-13 03:14) 

hana2009

こんにちは。
今日は暑いです、そしてまるで台風のような強風が吹いている。変な一日ですね。
パソコンにコーヒーは、私もやってしまそうです。でも私の場合はその後が恐ろしい事になってしまうと思うので、今後充分に気をつけることにします。

miyataさんの日記を読むと・・・・家で家族が共に暮らすことの幸せ、そのためにご家族が大変な毎日を送られている事に心が痛みました。
そんな中で早朝のお歌は、私にもホッとする希望のひとすじに思えます。
by hana2009 (2009-07-13 13:52) 

tonton

こんばんわ。
大変ご無沙汰してスイマセン。
いろんなことが沢山ありましたね・・
なんだか大変なことは皆一緒に重なる気がするのは私だけですか??

オムツ作戦 がんばってください!!
病院の主治医の移動も大変ですね。
そうなるとやっぱり地元の開業医が移動がなくてよさそうですよね!
病院の先生は技術だけじゃなく話を聞いてくれる先生も
名医ですよね。なかなかよい先生には会えませんよね・・

アメアメフレフレ はきっと頭が瞬間的に冴えたのでしょうか
うれしい瞬間ですね~
by tonton (2009-07-13 23:19) 

miyata

hanaさん、おはようございます。
なんだかもう梅雨は明けたような感じですね。京都も昨日の朝はとても強い風がほんのいっときでしたが吹きまして、干していた座布団が飛んだので驚きました。ディスクトップのパソコンなら最悪キーボードの新しいのを買ってくればよいのですけど(安いし)ノート型は怖いですね。私もよい教訓になりました。
そうですねえ。希望の一筋になれば良いですのですが、なんだか希望を発見する時期はもう過ぎてしまったような感じです(^^ゞ
ま、その時々が面白ければそれでよいのかなあ、なんて思ってます。
by miyata (2009-07-14 04:44) 

miyata

tontonさん、おはようございます。
いえいえ、更新がされていなかったのでどうしてるのかなあと思いまして。
いろんなことは重なりますね。それはそう感じますよ。なるようになるさっていうのはよく考えるとものすごい覚悟というか、到達の境地ですね。
お医者さんに関しては、体調管理のデータはすでにかなりの程度積み重ねられているので引き継ぎのお医者さんに当面はお願いしつつ、認知症関係のお医者さんをあたってみようかなと思ってます。お隣さんが診療所なのですが、ずいぶんお歳だし、いかんせん皮膚科が専門のようですからねえ(;^_^A アセアセ…近所の利はいかせません。

歌のこと、そうですね。嬉しいと単純に思ったらいいんですよね。なんだかそういうのをもう新鮮な気持ちで見られなくなってるなあと感じて反省です。へんに、なんであの歌であの歌詞なんだろうかとかを考えておりましたf(^ー^;
tontonさんも元気出してくださいね。
by miyata (2009-07-14 04:54) 

Allora

オムツ問題、僕の場合は導尿をしだしてから、睡眠中の失禁もほぼ解決。一応尿取りパッドはセットしてますが、朝と寝る前の2回、その日の出かける状況によっては夕方に、もう1回ってこともあります。
奥様の病態では導尿は難しいのでしょうか?すいません余計な事を書いて。

「ナマコの眼」は、今記録を調べたら92年に読んでます。鶴見俊輔さんはフクムラの常連だったので、よくいらしてましたが、良行さんは従弟になるようで一緒に2・3回いらして、この本について少し話していただいた事があります。

「渋沢家三代」の渋沢敬三のひ孫になると思いますが、雅英さんは僕が行ってた学校の理事長で、全生徒40人ほどの私塾のような所だったので、親しく接していただいてました。

と、よく考えると周りの人には恵まれていたなと感じます^^
by Allora (2009-07-16 23:01) 

miyata

Alloraさん、こんばんは。
今回、オムツ脱却作戦は失敗です。いったん撤退します。反動からかひどい失禁をするようになりました。ちょっと進め方がよくなかったようです。
導尿は考えたこともありませんでした。指導されたこともないのです。入院してて連続点滴は身体拘束をしなければ無理です。もしくはずっとついていなければ無理で、自分ですぐに外します。とても素直なんです(笑)。そんなんでも大丈夫なんでしょうか?
まだ尿意、便意は残っているのでそれを最大限活かそうとしているのですが・・。

「ナマコの眼」は面白い本ですね!夢中になって読みました。一国主義に対する国境を越えた民衆主義の視点、変なたとえですが凝り固まった認識・思考へのマッサージ効果は大きいと思いました。この人の本を今集中的に読んでます。といっても眼から脳に入ってすぐに出ていくこの頃ですから、読むのが早いのは早いんです。図書館の本は文庫ではなくて単行本ですから眼が弱くなった私には助かります。
鶴見俊輔さんはフクムラの常連でしたか。やはりいいところに行ってますね。私は過去二度鶴見さんの自宅に行ったことがあります。一度は呼ばれて、二度目はこちらから出かけていきました。確か79年くらいです。その頃あの方は鬱だったのでしょうかね。表情に生気が無くてとても暗い表情をされていたのが印象的です。

渋沢家のひ孫さん・・へ〜〜。ちょっと驚きですね(◎-◎)。その方は渋沢敬三のご長男ですね。渋沢栄一財団の理事長ですよね。単純にすごいなあと驚きます。それはまたどういう学校だったのでしょうか。Alloraさんは過去記事も読ませてもらっていますが、実に面白い経験をされていますよね。イタリアへの研修・修行の旅はワクワクしながら読ませてもらいましたよ(∩.∩)
by miyata (2009-07-17 04:24) 

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