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経過9 [介護と日常]

「手の施しようがないんです」
「六年、七年になりますか。最初は脊髄が悪くなってそれが脳に転移してしまいまして」
「もう目も見えんし・・。ただ、本人がわからんようになっていて苦しんでないのでそれが救いかなと思うんですけど。ま、じっさいはようわかりませんけどね」
「あと、ひと月。ふた月もってくれるかどうか・・」

隣りのベッドで急に痙攣を起こして部屋から出て行った患者さんのご主人と廊下で顔を合わせたのは二回目だった。最初は1階通路のベンチで座っているのを見かけた。ご主人は私に軽い会釈をした。その時の表情が隣りでいる時と違って明るそうに見えたので、会釈を返しながらきっと奥さんが良くなったんだとばかり思っていた。中学生になったばかりぐらいの女の子も喜んでいるんだろうなと勝手に思いこんでいた。
そのご主人とたまたまエレベータの入り口で出会ったので「奥さんはもう落ち着かれましたか」と声をかけたのだった。するとご主人は影を奪われたような笑顔でぼつぼつと話してくれたのだ。エレベーターから下りて病院の出口まで一緒に歩きながら話を聞いた。玄関で別れる時、なにを言って別れたらよいのかわからなくて無言で頭を下げるしかなかった。

「こわい、こわい。痛い!痛い!」「やめて、もうやめて。さわらんといて」
妻が一般病棟に移った翌日、最初に聞いたのが隣りの患者さんの悲鳴のような声だった。看護師が血圧や体温を測りに来た時看護師に向かってそう言っていた。看護師は「なんにも痛い事してないよ」とか患者さんに言っていたが、いつも重ならない言葉のやりとりを不思議な想いで聞いていた。言葉を発する場所がまるで違うように私には思えた。
私はこの患者さんは脳出血とかではない別の病気、腫瘍かなにかではないかとその時思った。三十代後半か四十代はじめくらいの若いご主人は、夕方病室に来るとあれこれと話しかけるわけでもなく、なにかを諦めたような暗くて重たい表情でベッド脇に座り見守っていた。ときおりベッドから手を伸ばしなにかを掴もうとする仕草にその手をとって、「ん?どうした」とか言葉少なに語りかける。一緒の病室にいる時には声を交わしたり挨拶をしたりすることはなかった。きっと私も暗い顔をしていたのだと思う。
あの時の私より若いご主人の暗さと重さ。そしてなにかを吹っ切ったような影のないさびしげな笑顔に暗さと重さは希望の別名だったのだと知った。

経過3での安全宣言にコメントをいただいたマオさんのご主人が1月10日に急逝された。ブログでその事を知った時全身が凍りついた。わが家と同じく昨年末にご主人は突然吐血して入院されていたのだがまさかこんなにも急に亡くなられるとは思ってもいなかった。マオさんの悔しさにふれるとなにも言えない。私は車椅子で散歩中に膝に犬を抱くご主人の写真が好きだった。捨て犬や捨て猫を抱えて苦しみながらも断固として犬や猫を守ろうとするマオさんをこうやって応援しているんだと思わせる姿だった。ご主人のご冥福を祈るとともに、マオさんの傷が癒えることを願っています。

寒い日が続く。晴れているのに雪がちらついたりする。一昨日は節分だった。この時期が一番冷え込む。
相変わらず、目に見える形で順調な回復を重ねている。右手の指を不自由ながら動かしていたが、肘を動かせるようになった。お茶をこぼしながらなんとか右手で飲める。若い主治医が笑顔で談話室に入ってきて「よくなりました。これからの二ヶ月まだ良くなると思います。どんどん進めましょう」と言ってきた。はじめて見せた無防備な笑顔だった。
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うしさん

思いやる心
我が家のことで手一杯の方もいますが
聞いてあげられること。これがすばらしいです。
中学生のお嬢様がいて若いご主人様が妻の病状をかたれるひとがいた。
聞いてもらえることってものすごい救いですね
人事なのにありがとうって言ってしまいそう!
by うしさん (2010-02-05 16:32) 

hana2009

miyataさん、こんにちは。

病院には、色々な人生、色々な家族のあり方があるものですね。
お隣のベッドの方・・・まだお若いと言うのに、目が見えなくなったらどんなにか毎日怖い思いをしていることでしょう。
ご家族もお気の毒です。

こんなことを言っては、申し訳ないのですけれど・・・
病院は同じような病気をした同士、みんな苦労をしているもの同士がいるから、自分だけじゃないと我慢できる、頑張れると私は思いました。それは、家族も同じかと。

奥様の順調な回復ぶりには、主治医も驚かれているのではありませんか。
フルスピードで回復されていますね。

私もマオさんとはブログをはじめた当初、お付き合いさせて頂きましたので、今回の訃報には驚きました。
ご主人様が突然にお気の毒な事になられて、マオさんもさぞ気落ちされている事でしょう。
心から、ご冥福をお祈りいたします。



by hana2009 (2010-02-05 17:10) 

すず音

こんばんわ
お元気ですか?
奥様のお顔を見てほっとしました。
笑顔が出るって良い印ですね。
おむつ代はあんまりですね。
個人病院でもそんなに取りませんね。
どんなシステムなんだろう?
その点公立は安いですね。母親は国保ですが74歳で
月に7万ですよ。生活雑貨とオムツ はもちこみ
洗濯も家族がして 検査 食事 内服 リハビリ込みです
だから赤字なんだろうなあとは思います。
車いすの1日分のお金も取るところありますね。
世の中金次第なんだろうか?
年寄りと病人は行くところが無くなって 変な世の中ですね
とにかく良かったです
by すず音 (2010-02-05 20:45) 

yakko

こんばんは。
奥様の順調なご回復に安堵しています。(*^_^*)
Macの入院中、病院通いをしましたがいろいろな方の人生を
垣間見ることがありました・・・
by yakko (2010-02-05 23:24) 

SilverMac

奥さまは経過良好とのこと、良かったですね。私も今月で満77歳、死とは背中合わせと思いつつもまだまだ生きる気でいます。
by SilverMac (2010-02-05 23:26) 

miyata

うしさん、こんばんは。
誰に話をしても晴れるわけではなかったでしょうね。きっと自分に言い聞かせていたのではないでしょうか。これから自分や家族が背負っていくだろう「物語」を。
by miyata (2010-02-06 04:08) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
ほんとにそうですね。喜びは悲しみを抱えて描かれなければいけないよってことでしょうか。
比較によって自分を奮い立たせる事ができるという、ある意味残酷な発見をすることは否定できません。事実私も最初に倒れた時、リハビリのために遠い病院に入院したのですがそこで大変な患者さん達を見て勇気づけられましたから。
嫁さんは驚くような回復振りを続けています。もはや一般病棟でも目立たない普通の入院患者のようです。今日車椅子に座ってですが、1階のコンビニと喫茶室に連れて行きました。そこで救急の看護師達が帰るのに出くわしました。彼女たちは思わず目を見開いて「うそ、信じられない」と言ってました(笑)。
by miyata (2010-02-06 04:19) 

miyata

すず音さん、こんばんは。
元気になりました。どうもありがとうございます。
まだリハビリ病院には転院していないのですけど、リハビリ病院のオムツ代他保険適用外費用の高さにはやっぱり驚きます。
京都の公立には回復期のリハビリをやっているところがないのですよ。大学、公立病院は救急指定病院でそこを中核にして私立病院と連携するというのが京都市の体制のようですね。
by miyata (2010-02-06 04:27) 

miyata

yakkoさん、こんばんは。
おかげさまで、まだまだ回復しそうです。カテーテルも抜いて車椅子からトイレに行く訓練も始まりました。自立は出来ないので補助をしながらなんですけど。車椅子からベッドに移る介助は、私がいる時には私がやっています。数日前と比較するとずいぶん楽になりました。笑い話なんですけど、車椅子から立ち上がる時に「私の首に手を回して」と指示したら感違いして首を絞められました(笑)。
病院には、ほんとにいろんな方がいらっしゃいますね。
by miyata (2010-02-06 04:34) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
私も見習って絶対に長生きしてやるという気持ちです。ま、途中でどうなるのかわかりませんけど、それはもうしかたがないと諦めます。SilverMacさんは私の目標です。もっともっと長生きしてください。
by miyata (2010-02-06 04:38) 

ほんのり

( ^-^)ノ(* ^-^)ノこんばんわぁ♪
この記事を読んで、色んな事を思い出していました。
病院って色んな人の人生のるつぼ?のような感じがしますね。

妹がちょっと体調が良くなった時、杖を使って50メートルくらいなら歩いていた頃、最初に看護して下さったナースの人達が「(゚∇゚ ;)エッ!? 〇〇さんが歩いてる!!!」とビックリしていたのを思い出しました。
by ほんのり (2010-02-06 17:22) 

Allora

今日も母の事で病院へ行ってきましたが、色々な患者さんがいてそれぞれの家族・事情があって・・・
日常の生活とは別世界なのか、あるいは凝縮されたものなのか、後者の方なのでしょうが、人生って何?って考えてしまいますね。
by Allora (2010-02-07 21:07) 

タケノコ

三十代後半か四十代はじめくらいの若いご主人は、自分とだぶるものがありますね。きっとあのときはそんな顔をしていたのかと思います。(ただ、なにかと話し掛けまくっていましたが^^)なかなか他の患者さんを見渡すまでの余裕は当初はなかったですが、やはり比較と言いますか、隣は何をする人ぞ的なものはありましたね。
リハ病院では、良きもあしきも同室や隣のベッドの方とは接することになりますしね。

by タケノコ (2010-02-07 22:12) 

miyata

ほんのりさん、こんばんは。
そうですねえ、病院には一言で語れないものが詰まってますね。
散歩中看護師さんに出会ったのは、ひょっとしたら立入禁止のところだったかもしれなくて相談室や会議室が並んでいるところでした。廊下の奥から私服姿の三人の若い女性が歩いてきたので思わずUターンしましたところ、ひそひそ声で「あれはひょっとしてmiyataさん?」「えー、信じられない」という声を背後から聞いたのでした。それを娘に話しますと、きっと救急の看護師さん達だと言われました。
ところで私は白衣を脱いだ看護師さんの見分けがつきません。挨拶されても誰なのかわからないことが多いのです。あとでそれを指摘されて冷や汗をかく時があります。
by miyata (2010-02-08 01:34) 

miyata

Alloraさん、こんばんは。
そうですねえ。凝縮ではなくてベールを剥ぎ取られた生の生活・人生が露出するところかもしれません。
ある方が「希望的観測は数ある偏見の中ではもっとも残酷なもののひとつだろう。」とつぶやいていましたが、反省とともにそれはその通りだと思いました。
by miyata (2010-02-08 01:44) 

miyata

タケノコさん、こんばんは。
そうか、タケノコさんもそういう時期に奥さんが倒れられたんですね。
私はうかつにもつい声をかけてしまいました。みんなが抱えている重さを忘れていたんです。とても反省しました。この記事は実は私の反省だったのです。あの若い家族に悲しみを超えるものが見つかることを祈ります。
by miyata (2010-02-08 01:49) 

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