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経過17 [介護と日常]

五月、さつき。家の横の狭い路地を抜けると少しだけ広い路地に繋がって通りに抜ける。その少し広い路地の横にマンションが建っている。そのマンション一階の敷地から路地に向けて藤棚が伸びてきてすでに房は小さいながらも花を咲かせている。同じ敷地に決まってこの季節に路地に向けて枝と葉をのばす木があった。ずっと不思議な木だと思っていた。あれは葉なのか花なのかがわからない。紅葉のような色でもあり、もう少し淡く沈んだような色の葉のような花びらの中に花弁のようなものが見えるのできっと花なのだとは思っていたが、ずっと気持ちが悪い木だと思っていた。冬が終わろうとした頃に枝についた葉だと思っていたものが色づきはじめ、花のように丸まり始める。普段の姿が擬態なのかそれとも時を見て花の擬態を演じるのか。山が新緑で盛り上がり、充満する青臭い生の匂いに押しつぶされそうになりながらその擬態のような花を拒絶するように通っていた。
これが「ハナミズキ」の花であると知ったのはhanaさんのブログでだった。薄い黄色と薄い緑の色が混ざった花は紛れもなく路地に覆い被さるように咲く紅葉の色を淡く沈めた赤い花と同じものだった。不思議なことにあれがハナミズキだったのかとわかったとたん、路地が親しげな道に戻った。

ぬか床が冬を越した。まもなく一年になる。冷蔵庫での保管はしなかった。寒い日が続くときには三日に一度凍り付きそうになりながら混ぜた。だが野菜は漬けずに冬ごもりをさせていた。四月に入り、糠と塩を加えて新たに捨て野菜をいれ馴染ませた。ほどよく漬かり始めた四月の終わりにキュウリとこかぶを病院に持っていき、妻に食べてもらった。口に入れてポリポリ音を立てた後やっとこちらを見て「おいしい」と言ってくれた。
病院での妻はもはや堂々とした古株で、食堂ではまるで牢名主のような威厳さえ発揮している。ご主人にはいつも苛立ちを隠さずに大声を上げるおばさん(おばあちゃんではなかった)が本格的に妻の正面に座るようになった。そして、ほとんど食事を口にしないほんとうに小さくて、重い認知症のおばあちゃんが右隣の席に座る。小柄なおばあちゃんは自分に配膳された夕食をいつも周囲の人の前に置いたり引いたりして周囲から咎められ、最終的には隔離されるのが常だったが、いつの間にか私には理解できない交感が妻との間に出来ていたようで、いつものように妻の前に自分の夕食の器を並べ始めたとき妻が目で語りかけるようにして顔をしゃくると、おばあちゃんは自分で自分を指さし、それから特別に小さなおにぎりにされているご飯を食べ始めた。介護福祉士さんもおばあちゃんが食べ始めたことに驚いている。妻と正面のおばさんがお互い目配せしながらその様子を見て笑みを交わしている。その時気がついた。重度の認知症のおばあちゃんと妻、そして体の自由と言葉を失ったおばさんとの間で濃密ななにかが生まれていたのだ。そういえばおばさんは相変わらず怒りっぽいが食堂では以前のような大声を上げることは少なくなった。苛立つおばさんが声を上げると妻がちらりとおばさんを見る。おばさんは苦笑混じりに妻に謝る。それとは別に、妻がおかずを食べずにご飯ばかり食べているとおばさんが動かしづらくて震える手を伸ばして、おかずも食べなさいと勧める。妻は素直に従う。
そう、いつの間にかただのうめき声にしか聞こえなかったおばさんの言葉がかなりわかるようになってきた。右隣のおばあちゃんのか細い呪文のような言葉も聞き取れるようになっていることに気がつき、まるで私を含めた四人がずっと前からそうであるように夕食のテーブルを囲んでいるような気持ちになる。だが、五月に入りおばあちゃんの姿が見えなくなった。妻は何事もなかったかのように夕食のテーブルに着く。すでに妻にはおばあちゃんの記憶はない。

昨日少し嬉しいことがあった。正面に座るおばさんが私の姿を捉えると不自由な手で手招きして、となりに座る若い男性を指さした。「わたしのむすこ」だった。わざわざ紹介してくれたのだ。「こんな立派な息子さんがいたんですね」というと、嬉しそうに笑う。それから言った言葉に吹き出した。「いやあ、パーですねん」息子さんも思わず笑いながら「そりゃあ、仕方がない。お母さんの子だもん」と返す。妻もおかしかったのか私の顔を見ながら笑っている。おばさんはご主人の介助でもヘルパーさんの介助でもなく、息子さんの介助でめずらしくほとんど残すことなく食事を終えた。きっと自慢の息子さんだったのだろう。ちょっぴり幸せそうな夕食風景だった。

いきなり初夏のような暑さになった。上着を脱いだ病院帰りの夜風が快い。家に帰ってから七ヶ月ぶりに素麺をゆがいた。おいしかった。ところで、妻が倒れる前富山で買ったうどん玉のように丸く固めた素麺がそれまで味わったことがないおいしさだったことを思い出した。ネットで調べるとまちがいなく「大門素麺」のようだ。
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SilverMac

心の交流が生まれたですね。中々気が付かないことです。
「つかあさい」は「して下さい」の意味で丁寧語です。昔はよく使っていました。
by SilverMac (2010-05-04 13:57) 

うしさん

大門麺食べたことありますゆでかたがむつかしかったような記憶があります。
奥様の適応に感動のような気持ちでよませていただきました。

血管性性認知症のおばを一昨年に見舞ったときに
お弁当を持っていきました。お昼は6人ぐらいの方と食べます。
おばの食事もきて。あまりわかっていないような感じで、「食べましょうか」というとしゃべらなかったおばが「だめ!みんながそろってないでしょう」
「はい」
それからの数時間ははまったくいぜんのおばにもどっていました。
満面笑顔で別れて(私は飛行機で1時間自宅へもどりました。翌朝は蜘蛛膜下出血で意識なくその後になくなりましたが。)カッコ内は余談です。

ちょっとのことでうまくいくときがあるのですね。
by うしさん (2010-05-04 19:30) 

Allora

ハナミズキの木は我が家の近所にも何本かあります。コブシともまた違った感じで好きな花です。

食堂での貴兄を含めた、4人の意思の疎通は意識の深いところで通じ合っているような感を受けます。不謹慎かもしれませんが、言葉を使わずに意思疎通する、スターウォーズのジェダイの騎士を連想しました。

もう一つ、先日貴兄宛にメールを送ったのですが、Undelivered Mailとして送信できませんでした。アドレス変更なさったのでしょうか。
ご迷惑でなければ小生宛にメールをいただけるとうれしいのですが・・・
by Allora (2010-05-04 19:42) 

タケノコ

miyataさんがハナミズキをご存じなかったとは、知りませんでした。でもこの花、福岡では余り見掛けなくて、こちらにきて街路樹にあちこちに植えてあるので毎日見掛ける花になっていますが、遠目で見た方がきれいな感じがします。

食堂では、患者さん同士で言葉ではない交流があるのでしょうね。パーですねん、このような会話も関西ならではのトークでほのぼのとしていますね。


by タケノコ (2010-05-04 20:41) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
ただほほえみを返すだけだと思っていたのですが、積極的なコミュニケーションまで至っていたことにちょっと驚きました。
「つかあさい」って使っていたんですね。私はこの言葉の意味はすぐにわかったのですが、田舎では聞いたこともなくずっと違和感がありました。やはり、東部と言葉が違うのかもしれません。
by miyata (2010-05-04 20:59) 

miyata

うしさん、こんばんは。
大門素麺、食べたことがあるのですね。以前富山方面に行ったときにおみやげでいただいて持って帰りました。妻がそれを見て、この素麺がほんとうにおいしいのだとすぐに湯がいてくれました。確か二つか三つに割って湯がいたと思います。その後なんどか妻が直接注文していました。

認知症というのは、どこがどんな風に何によって受け手の側が異常と感じるのかというのは、ほんとに難しいと思います。混乱や不安にいたるきっかけがわかるようになると本人も周囲もずいぶん楽になるだろうなとは思うのですが。でもたいがいは、受け手の側の無知、無理解が問題を大きくしている、排除、隔離していると自戒を込めて確信しています。
by miyata (2010-05-04 21:08) 

miyata

タケノコさん、こんばんは。
わたしは、ほんとに花の名前とか知らないんですよ。ハナミズキの花はMacさんとか皆さんのブログで見ていたのですが、hanaさんのブログで木と枝と花の関係とかがわかってようやく、あれがハナミズキだったのかとわかった次第です。それも色違いのハナミズキを見て(こちらは赤かった)理解したので少し進歩ですね(苦笑)。

まったく、ベタな関西で笑いました。
by miyata (2010-05-04 21:22) 

yakko

こんばんは。昨日、今日と一気に暑くなりましたね。
奥様の食堂での交流、微笑ましく読ませていただきました。
中央公園のハナミズキも盛りを過ぎました。私も花や木の名前を少しずつ知るようになったのはブログを始めてからです。f(^ー^;
by yakko (2010-05-04 22:42) 

miyata

yakkoさん、おはようございます。
少しずつ退院の日程が近づいてきていることを予感させます。
花の名前はいつも勉強させてもらってます(^^ゞ
by miyata (2010-05-05 04:31) 

hana2009

miyataさん、こんにちは。
ご紹介頂きましてありがとうございます。
調べもせずに書いてしまったものですから・・・思わず私「ハナミズキの花」で検索をしてしまいました。
周りの花びらに見える部分は、正確にはガクではなくて苞のようです。
気になって昨日も見たら・・・真ん中の部分がちゃんと花になっていました。
私もブログを始めてから知る事になったお花が沢山あります。そんな時にPCって便利ですね!

入院中の食事の時間は、一日のうちで最も濃い時間に感じました。それは食事が楽しみだったわけではなく、色々な人が色々な事をするという意味で、私が入院していたところも食事の時間は全員そろって食堂で頂いたからです。
最初はそれがとても嫌でしたけれど、その内に慣れました。

退院の日が近づかれているのでしょうか。

by hana2009 (2010-05-06 16:20) 

miyata

hanaさん、おはようございます。
頭で知っていることと実際とが重なった時ってなんかつまらないことのようでも嬉しいです。
病院の食事、みんな一緒に食べるというのは最初はやっぱり違和感があると思いますよ。特になかに数名認知症の方とおぼしき人がいますけれども最初は対応できなくて食事どころではないという感じです。私の妻もきっと同じだったと思います。最近になってようやく慣れてきたのではないでしょうか。

退院はおそらく来月のはじめくらいになると思います。
by miyata (2010-05-08 10:05) 

ほんのり

こんばんわ♪
退院の予定も立つようになったのですね。
本当に、miyata家の皆さんの祈りが通じたのですね。
やっと、春と言うより初夏らしく爽やかな季節になりました。
奥さまが怪我をなさったのは寒い季節でしたね。
本当に、素晴らしい回復力です(^-^)//""ぱちぱち
by ほんのり (2010-05-09 20:18) 

miyata

ほんのりさん、こんばんは。
ありがとうございます。これもほんのりさんや皆さんが身も知らぬ私達に降りかかった災難に無私のお祈りをしてくれたおかげであると思ってます。この体験を大切に、生きていかねばと改めてその意を強くする毎日です。
by miyata (2010-05-10 04:28) 

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