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思い出したこと [自分のこと]

夕食後、妻と二人でテレビを見ながらチャンネルを探していてNHKBS2の映画に目がとまり、そのまま二人で見てしまった。イギリスの映画で「アイリス」。
とても良かった。日本の映画とちょっと視点が違うなあという気がする。日本の映画の認知症ものはどちらかというと、突然認知症と診断され、搦め手がその現実をどう受け止めたらよいか思い悩み、やがてその現実を受け止めて二人で生きていこうとするところで終わる感じがするのだが、この映画は違った。そこから先が描かれていた。だけど、結末はよく理解できなかった。

ところで、ようやく方向性が見えてきたと書いたところで、取り組んでみたいテーマに接近するために触れざるを得ない範囲が意外に広いことに気付かされ、その準備体操をし始めているところだが、最近あることを思い出した。
思い出したのは高所恐怖症になった瞬間の事と、それから私はどうやら過去に今でいうところの「パニック症候群」に罹っていたらしいという事だ。

高所恐怖症になったときのことは、突然あざやかに思い出した。それは、高校に入学したすぐ後に(まだ四月だった)、研修だったかなんだったか(高校でまさか遠足はないだろうから別の名前がついていたと思うが)高知の五台山にある展望台の外側にあった螺旋階段を上がっているときに、突然身動きがとれなくなった。螺旋階段には蹴込み板(裏板)がなく、ふと階段の踏み板から目線をあげたときに空中に飛び出してしまったかのような錯覚を覚え、恐怖と目眩で引きつった。この事をきっかけに高いところが駄目になってしまった。この頃母が末期癌で死を待つばかりの時であり、しかも入院していた病院が五台山から見えていたという不安定な時期が高所恐怖症を呼び寄せたのかもしれない。それまでそういう兆候はまったくなかった。

もう一つ鮮明に思い出したのは、二十代の後半、四条河原町から乗った阪急電車の中でのこと。本社に行くために同僚の女子社員と電車に乗った。その区間は地下である。電車が河原町を出てすぐ自分の異変に気がついた。汗が噴き出すように出てきて息が苦しくなった。全身の力が脱力したようになり吊革で自分を支えるのも難しくなった。同僚が気がついて次の烏丸駅で降ろしてくれた。ところがホームに降りてしばらく座っていても回復しない。意識が遠くなっていくようで言葉を出すのもおっくうになった。一緒にいた同僚は小柄だったが気丈な女性だったようで、私は彼女に抱えられるように駅から出てタクシーに乗せられた。この時は苦しくなかったけれども意識が遠のいていくのがわかった。どこでも良いからとにかく病院へと叫ぶように指示する彼女の声は聞こえていた。死ぬかもしれないと思ったが不思議と妻や子供のことは思い浮かばなかった。とても失礼な話だが私を助けようとしてくれている女性の「miyataさん、しっかりして!死んじゃ駄目よ!」とかひっきりなしにかけられる騒々しい声から解放されるために、はやくどこかの病院に着いてくれたらと願っていた。「心臓が止まってる!運転手さん、あそこの病院に行って!」と彼女が叫んだとき、ああ、病院に行ける、良かった・・と、安心したとき運転手が「お客さん、あれは犬猫病院ですよ」という声が聞こえた。「どこでもいいのよ!早く行って!」と彼女の声を聞いて、ああ、これは死ぬなと思った。するとシャッター膜が閉じるように光の輪がシューッと閉じていって記憶が無くなった。次に気がついたときには、寒々しい無機質な部屋のベッドに寝かされており、医師と看護師が何もせずに私をジッと見下ろしていた。私が気がついたのを確認してなにやらボソボソと独り言のように喋っていたのを覚えている。次に覚えているのは、同じ部屋に寝かされたまま妻が私の側に医師と共に立っていたことだ。それから、冷たい部屋からベッドごと運び出されて病室に入ってから、はっきりと意識が戻った。その病院は本社の近くにある救急病院だった。医師が部屋に入ってきて説明を受けた。「突発性頻脈」で、心臓の脈が急に速くなって空振り状態になっていたのだという。原因はと聞くと「自律神経失調症」だろうということだった。一時間ほど休んでから病院を出て仕事に戻った。タクシーに乗った駅から病院までわずかの距離であり乗っていた時間は10分ほどだと思うが、ずいぶん長い旅をした気分だった。

しかし、ほんとうに困ったのはこの後だった。とにかく電車に乗れない。特に特急は駄目だった。地下鉄や地下街はとんでもない。エレベーターに乗れない。車で高速に入れない。という状態が半年以上続いたと思う。まず、電車のドアが閉まると途端に心臓が早鐘を打つように暴れ出し、息が苦しくなってくる。冷や汗が吹き出してくる。出張で大阪や東京に行くときはとにかく各駅停で行く。それでも一度は汽車から降りた。車なら大丈夫かと思ったが、カーブでガードや防音壁が近付くと駄目。ある時、どうしても飛行機でなくてはいけないとき、デッキから離れて滑走路に向かう途中で下ろしてくれと席を立ち、座席に無理矢理座らされて頭から毛布を被せられた事もある。到着した空港のソファに毛布にくるまってボロ雑巾のように寝た。会社の同僚達には隠れて何度か病院にも行ったが、どこも代わり映えせず人知れず悩んでいた。同僚達にとって私は元気印、肉体派の典型だった。ほんとうに元気だったのだ。
結局この症状からどうやって、いつ解放されたかの記憶は曖昧だ。ただ、ある時から休みの時に訓練を課したことは覚えている。電車に乗る訓練。何度も何度も京阪電車に乗り大阪と京都を何往復もした。各駅停車から準急、最終目標は特急にのって京都・大阪を往復すること。
これで死んだら仕方がないと、なんだか後ろ向きのあきらめを自分に言い聞かせていたように思う。
初めて海外に行ったとき、南回りの各駅停のような便を選んだのが34歳の時で、運賃の安さの魅力もあったが若干まだ不安を抱えていたような気がする。翌年行ったときには北回りに乗っているからこの辺りでほぼ完全に払拭していたのだろう。今から思うと大事な事は、死んでいたかもしれないけど、死ななかったということだ。それを本能的に知っていたのではないかと思う。
ちなみに、今の私は自分で高所恐怖症だとつい言ってしまうが、高いところは苦手だが恐怖症というほどのこともないような気もする。が、ゴンドラとかリフトはやっぱり非常に怖い。
余談だが、この事があってすぐ妻は私に保険をかけた。この現実的な判断に私はいささか抵抗を感じた。その後何度か怪我や病気で入院した時は保険のお世話になったようだが、勤めていた会社を閉鎖されたとき解約した。ちょっとだけほっとして解放された気分だった。

どうしてこれらの事を思い出さなかったのか不思議で仕方がない。必要でなかったといえばそれまでだが、どういう理由があってその記憶が古層にしまい込まれたのかと考えると、なかなか難しい。また、どうして今この時期に思い出したのか不思議だ。ま、とりあえずこういう疑問は性急に結論を出さないように、あたためておこう。

うーん、ちょっとつまらない話だったかな。


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suzune-k

ある日突然高所恐怖症になることってあるんですね。
私は子供の頃から祖母に虐待を受けました。
両親が仕事にいくとすぐにそれは始まります。
特に怖かったのは井戸に吊るされたことです。
これは決定的ですね。暗い場所、高い所、足が浮くともういけません。
狭い所、水のあるところ全部駄目です。
橋を渡るときはお酒を飲んだり、神経内科を渡り歩きました。
欄干のあるところは渡れるようになりましたが、恐怖心は消えません。
こういう幼児体験が引き金になっている人は多いようです。
若い時はずいぶん祖母を恨んで同じ家に暮らしたくなかったのですが
大人になって寂しかった祖母の気持ちが少しは理解できますが、
子供も大人も愛情のある暴力のない家庭で育ちたいと思います。
ちなみに克服するには慣れるしまないという診断でした。
新幹線に始めて乗って大宮で意識を失ったことがあります。
その頃は上野が始発だったのでよく大宮までもったなあと思います。
今はどこでも車で行きます。
速度が出るのは怖いです。箱ごとどこかにこのまま行ってしまいそうな
感覚がありますね。
早く治してジェットコースターに乗ってみたいです。
生まれてから一度も乗ったことがありません。
by suzune-k (2006-11-01 06:44) 

シマリス

おはようございます。
昨夜BSでこの映画が放送されたのですね。再度見てみようとも思ったのですが、以前DVDで見ましたので。。。
アイリス=ジュディ・デンチ、ケイト・ウンスレットのふたりがが私は好きなのです。
これは夫であるイギリス文学の重鎮、ジョン・ヘイリーが書いた実話が元になった映画でした。
若き日、全てにおいてジョンよりも優れ圧倒的な存在だった哲学者アイリス・マードックが、ある時から書けなくなり日々少しずつ何も出来なくなっていく。その現状をジョンも認めることが出来ず悩み苦しむ課程が描かれていたと思います。
確かに重いテーマですが、主演のふたりのアイリスの魅力が救いでした。ジョンにとってアイリスは最後まで自由奔放で憧れの存在そのものでした。ストーリーの最後にアイリスの死があるのですが、そこははっきりとは描かれていません。
高所恐怖症、閉所恐怖症・・・これは結構多い症状なのでは?わたしもそうです。死を迎えるときには、場所を選びたいものですね。
by シマリス (2006-11-01 08:16) 

Silvermac

「アイリス」、私も観ました。90分映画だったので、結末がはしょられたように思いました。私にとってブログも惚け防止の一環です。
by Silvermac (2006-11-01 09:02) 

honnoridesu

いつも励ましてくれて〃 ̄∇)ゞアリガトォ
少しだけ元気になって来ました。

人間だれにでも、限りある命だと思っていますが、はっきりと大事な人の事で宣言されてしまうと…
どう、自分の心を整理してよいのか? 本当に苦しい2週間でした。
これからも、ますます大変になって行く事であろうと予想はしていますが、自分のできる事は全力でやってあげたいと思っています。
そして、今まで、「面倒くさいから…、予約の日を決められないから…」と無視していた、自分自身の健康チェック急いでする事にしました。
私が、病気になってしまったら…と思っての事です。
きっと、妹が身を持って教えてくれた事だと思っています。

明日は3回目の妹の化学治療の日です。
これが無事に終わって、体力、リハビリが進んでいれば、自宅での療養になります。
自宅へ帰りたがっている妹が、早く帰れますように…
これから、一生、毎月外来での化学療法を続ける訳ですので、これもなかなか大変な事だろうと覚悟はしています。
素直でない妹ですから??? デリケートな性格とでも言ったらいいのかな? サポートするのにも気を使うのです( p_q)エ-ン
by honnoridesu (2006-11-01 09:04) 

左膳

拙者自身経験がないせいか、高所恐怖症・閉所恐怖症の実態が
少し解りました。
拙者も高いところは、何か吸い込まれるような気がして苦手です。
by 左膳 (2006-11-01 10:04) 

練習菌

AEDが必要な状態だったのですね。
犬猫病院では資格が無いから処置してくれないだろうなあ。
同僚の女性には足を向けて寝られませんね。
しかし、突然そうなるとは…‥・明日は我が身か? {{{{(;>_<)}}}}
by 練習菌 (2006-11-01 16:04) 

私も幼少より高所恐怖症です。建物の中でも5階とかになると落ち着かないですね。突然なることもあるのですね。
miyataさんが、倒れられたのはまさに今で言うパニック症候群ですね。しかし、ご自身で訓練を課され克服されたとのこと、当時は大変だったろうと思います。かくゆう私も精神的にまいる、薬の世話になるなんて思ってもみませんでしたが。。。
by (2006-11-01 22:30) 

miyata

すず音さん、こんばんは。
かなり凄絶な幼時体験をお持ちなんですね。やはり、影響するんですね。
ところで、突然高所恐怖症になるというのはあまり例がないのでしょうか。
上の記事を書いてから今、次から次へとわき上がってくる記憶の洪水に押し流されそうです。私は幼少の頃、なんに対しても恐がりではあったけど高いから怖いなんて全然ありませんでした。木登りはもちろん、堤防から飛び降りたりとか学校の屋根裏に上がったりとかぶら下がったりとか平気だったんです。
ジェットコースターは好んで乗る気はしません^_^;
だけどすず音さん、きっといつか乗るべきですよ。

>子供も大人も愛情のある暴力のない家庭で育ちたいと思います。
同感です。
by miyata (2006-11-02 03:00) 

miyata

シマリスさん、こんばんは。
>ストーリーの最後にアイリスの死があるのですが、そこははっきりとは描かれていません。

そうか、あの最後のアイリスが皆の前で語りかけるシーンは彼女の死をあらわしているんですか。なるほど。少し納得しました。
施設に入った後、廊下でアイリスが舞うシーンがありますが、あれは意味深ですね。愛情(男と女の。狭い意味での愛情)という牢獄から解放されたという意味なのでしょうか。その後死が訪れるという前提で遍歴に終止符を打ち、人間に対する愛に辿り着いたという事なのかなあ。プロテスタントだなあ。原作はどうなんでしょうね。
by miyata (2006-11-02 03:12) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
あの映画、見られていたんですね。良かったけれど最後がちょっと難しかったです。
by miyata (2006-11-02 03:15) 

miyata

ほんのりさん、こんばんは。
少し元気になられたとのこと、ちょっぴり安心です。ほんのりさん、次から次へと難題が押し寄せてきて休ませてくれませんね。でも、生きていくということはこういう事なのかもしれません。
悪性リンパ腫から復帰した兄が、今月動脈瘤の手術をします。リンパ腫の検査で偶然見つかったのだそうです。幸か不幸か私は両親が割合早く亡くなってしまったので、残っている肉親は兄だけなのです。兄は親代わりのような存在だったので心配です。
by miyata (2006-11-02 03:33) 

miyata

左膳さん、こんばんは。
高いところとか、狭いところを怖「がっている」わけではなくて、身体が先に反応してしまうんですよね。不思議です。だけど、私はあれは逆に生への執着なんじゃなかろうかと思ったりもします。
そうそう、神戸のマリンタワーの展望台って足下が見えるようになってますよね。あそこでエレベーターから降りて外の景色に感動して窓際に駆け寄ったんですが、ふと足下を見たら固まって動けなくなったことがあります(笑)。
by miyata (2006-11-02 03:39) 

miyata

練習菌さん、こんばんは。
AEDって最近話題の電気ショックですか?
どうなんでしょう。ただ足が氷のように冷たかったですね。病院に連れて行ってくれた女性は、熱心なキリスト教原理主義の信者となりました。ある時突然会社を辞めて猫と共に田舎に帰ってからその後消息不明です。面白い人でしたね。ちょっとうるさくて辟易しましたが^_^;
猫と共に田舎に帰った動機なんですが、住んでいたアパートがペット禁止で大家さんに見つかって、引っ越し先を探してもなかなか見つからなくて、思い悩んでむつごろうさんに相談したんです。で、できたら猫を引き取ってもらえないかと。そしたらむつごろうさんに叱られたんです。動物を飼うということはそういうことではないと。住む家がないとか仕事があるとか猫にとっては関係ない話だと。猫を手放したりせずに、猫と一緒に暮らせる生き方を選択すれば解決する話だと。そしたら、いきなりあっけらかんと、むつごろうさんて素敵だわ。私の人生や仕事なんてたいした問題じゃないんだわと言って、会社を辞めて猫と一緒にさっさと田舎に帰ったんです。ちょっとあっけにとられました。
by miyata (2006-11-02 03:58) 

miyata

タケノコさん、こんばんは。
そうか、タケノコさんも高所は苦手なんですね(・_・)/\(・_・)ナカマ!
たみぞうさんのお母さんの話を読みながら、パニック症候群ってなんなのかなあと気になったりしていたんですけど、調べてみたら、あ、俺はなんか昔こんな事になったことがあるぞって。だけど、なにが原因だったのかよくわかりません。心臓の動悸が激しくなるので病院では循環器の診察を受けました。どの病院も心電図を取って異常なしで自律神経失調症だろうということで、ビタミン剤をくれました。時には安定剤も出してくれていたのかもしれません。
自分で訓練したのは、このままだと生活していけなくなるぞという不安からでした。引きこもるという手もあったんですが(今から思うと女房が仕事をしていたので可能だったなあと思いますが(笑))、不思議とそれはなかったですね。なんとなく、こんな事で死ぬはずがないという確信めいたものがあったような気がします。
それよりも、タケノコさんが心配です。どういう時に人間は精神的にまいってしまうんでしょうね。私の場合は、まだそこまで行ってない(と、思う)ので良く理解できません。タケノコさんが早く何かの出口を見つけられることを切望しています。
by miyata (2006-11-02 04:13) 

色んな恐怖症があるのですね。
という私σ(=^‥^=)も高いところは苦手で、遊園地の観覧車にも乗れません。出来る事なら歩道橋も歩きたくないくらいです。
by (2006-11-02 11:22) 

miyata

kuriさん、こんにちは。
え〜、kuriさんも高いところ駄目なんだ(◎-◎)。
苦手な人意外と多いんですねえ。まあ、確かに高いところが好きという人の方が少ないかもしれない。私は、最近あまり感じなくなっていますが、人が高いところにいるのを見ると自分がおかしくなります(笑)。
by miyata (2006-11-02 14:05) 

小夏

こんばんは。
私もあるんですよ。
出かけられない・電車に乗れない・眠れない・食欲もない・・・
5年前になりますが、神戸で一人暮らしをしていた義母が末期の癌と分かり横浜に連れてきて看病した時夫は単身赴任中、息子は二人とも受験生でした。
不安に押しつぶされそうになった時もありましたが、その時は無我夢中でした。一ヶ月しか看病できないで・・・。
その後の記憶が暫くないのです。
春になって、息子達がそれぞれ無事入学し、ほったらかしにしていた
義母の住んでたマンションの片付けを3日でしました。
そんなこんなで疲れが溜まっていたのでしょうね。
夏の暑い日。その日は実家の父の手術の日でした。朝起きたら、動悸息切れが凄いのです。
息苦しくて、立ってられなくて・・・。
それからです。色んなことが不安になって(もし私がたおれたら夫はいないしとか)眠れなくて、電車にのると汗がでてきてイライラしておりたくなり、病院にいっても待てなくて帰ってきたり。
ヒドイ状態が3ヶ月くらい続きました。
家事もしんどくて、長男には「更年期で疲れてるからごめんね。」言いましたが、夫にも実家にも心配かけるので言いませんでした。
ある日買ってきた餃子を出した時次男が「この餃子どうした?」と聞くので「買ってきた。」と言うと「お母さんのつくった餃子が好きだ。」って。
涙がこぼれました。その頃癌と闘っている友人がいて、その友人にも心配かけてしまいました。
これじゃ、いけないと・・・内科的には問題なかったので、気分転換に散歩したりリラックスできるような本を読んだり、一番は心を許せる友だち
の励まして、何とかじょじょに元気になりました。
ただ、しばらくは電車にのったり出かけるのは不安でしたが・・・。
あの時は苦しかったですね。
by 小夏 (2006-11-02 20:49) 

miyata

小夏さん、こんにちは。
小夏さんもそうだったとは・・。こういう体験は意外と多いというか、ひょっとすると出てくる症状の重い軽いはあっても、誰にでもあるものかもしれないという気になってきました。
普段は気にならない日常生活での何気ない一言が錐のように突き刺ささることがあるんですねえ。これは身につまされる話でした。
人間の心は鎧甲をつけてないと生きられないほど弱いのかもしれません。多分太古から、人類として歩き始めたときから、こういう問題を背負いながら歩んできたんだろうなと。
いずれにせよ、今でも苦しんでいる人がいるのですから過去のこととして語れるようになって良かったですね。私も思い出してみると半端じゃないほど辛かったです。
by miyata (2006-11-03 11:28) 

病気になる前(47歳まで)建築の施工技師をしていました。でも足場を使って上には行けません。怖いんです。3,4階はまだいいんですよ。その上はパイプにしがみついていました。そこで初めて私は高い所が駄目だとわかりました。男だからでしょうか下腹部がキュンとなるんです。
人には言えませんがね。知人に自律神経失調症の方がいます。
高速道路に入ったら「もうおろしてくれ」と真顔で言われ驚いたことがありました。お互いいろいろありますね。
by (2006-11-03 16:12) 

miyata

だるまさん、こんばんは。
キュンとなる感覚良くわかります(笑)。それから足の裏がなんともいえない感じになりませんか?
普通の生活では、3階4階まで行ければ充分実用範囲ではないでしょうか。でも、お仕事であれば駄目かもしれませんね。
真顔でもう下ろしてくれというのは、これまたよくわかります。云われた方はビックリしたことでしょう(笑)。
いやはや、いろいろありますね。
by miyata (2006-11-03 21:04) 

tomoko

 チョッと!心は丈夫で無かったんだね、私も高い所は嫌いですいこまれそうな気持ちになりますが、皆そうだと思っていたので余り深く考えた事も有りません。
前に色々悩んでいた時眠れないと、心療内科に行ったけど、笑われただけで薬も貰わず、ふてくされて帰ってきたときが有りますが、・・・
子供の時から親の職業の都合であちこち行き、人生渡り歩き上手になったのかな~笑い(健爾の事詳しく知りたい)
by tomoko (2006-11-04 20:19) 

竹村@福岡

ご無沙汰しています。
ようやく父も退院しました。まだ検査と継続して行なう
治療のため高知市内に赴くこともありますが・・・。
恐怖症ですが私もありました。今では大丈夫なのですが
広いところが何か苦手で(広場恐怖症?)年齢を
重ねるごとに自然と消えていきました。
カウンセリングなどなかった頃「時が解決してくれる」事が
自然な治療法と今でも感じています。
by 竹村@福岡 (2006-11-05 18:29) 

machiko

お久しぶりです!
私も実は高所恐怖症です。高校の時、学校の屋上に友達と行って下を見ようとした時、その屋上の柵がぐわ~っと倒れていってしまいそうな、そんな感覚になり、下を見れませんでした。それ以来ダメですね~。特に小さな小川にかかる橋だったりとか、短いし低いし、なんてことないんだけど、渡るのは怖い(笑)
今マンションの5階に住んでいて、最初は全然下を覗けなかった…。でも今は多少慣れましたよ。5階ぐらいまでなら大丈夫かな~。
miyataさんは見た目よりも繊細なんだね、と母と話していました。実は私も繊細なんですよ(笑)
by machiko (2006-11-05 21:39) 

69さいの私は
何かに困難でも取り組んでいるときはいいのですが
ほっとしたときにメンドイことがいやになったりします。
でも真剣威取り組んでいると他のことがほったらかしになります。

お金持ちだったら家政婦さんを雇いたいなあ?と思う瞬間があります。
しかし昔の心房細動?などはまったく気になりません。
今は年とともに図太くなるなあって思います。
by (2006-11-05 23:25) 

miyata

ともちゃん、こんばんは。
あはは、薬ももらえずにふてくされちゃったんですか。それは可哀相です。人のことがわからないそのお医者さんに今度怒ってあげましょう。
ところでこれって心が丈夫じゃないせいでしょうかねえ。ある面確かにノミの心臓というところもあるけど(^^ゞ
どっか変調を起こす心の方がまともなんだという感じがしませんか。私はなんかそういう気がする。
by miyata (2006-11-07 23:28) 

miyata

竹村さん、こんばんは。
お父さんの退院、良かったですね。でも、これからが大変ですね。
広場恐怖症というのは、何となくわかるような気がします。結局、閉じこめられてるのと同じなんですよね。
私の時もカウンセリングは言葉としてありましたが、医療現場では一般的ではなかったように思います。開き直れればいいんですがね。なかなかそれを許してくれない世の中になりつつあるようで、胸が痛みます。
by miyata (2006-11-08 01:09) 

miyata

まっちゃん、こんばんは。
まっちゃんも高所駄目なの?なんだかねえ。何ともない人の方が少なそうですね。
>miyataさんは見た目よりも繊細なんだね、と母と話していました。
(-_-メ)

見た目がこうなってから、そんなに繊細な心はなくなったような気がするにゃ(笑)。
by miyata (2006-11-08 01:14) 

miyata

なかなかないさん、こんばんは。
※休みに家族で高知に行っておりました。奈半利でしたが暑かったです!
ところで、心房細動まで経験されておられるのですね。
歳と共に図太くなるのではなくて、なかなかないさんの好奇心と行動力が障害を乗り越えておられるのでしょう。だけど、心房細動は危険だそうですからお気を付け下さい。
by miyata (2006-11-08 01:23) 

ありがとうございます危険は心室細動です。
誰も気にしては呉れなかったです。
ある医師はWPW症候群とも言いましたが
泳げとそれで
治りました。
フォルター心電図では期外収縮や脚ブロックぐらいです。

息子さんの陶芸に奥様の絵筆が生かされる日があると信じています。
by (2006-11-13 19:52) 

メディカルテクニカ

はじめまして
by メディカルテクニカ (2006-12-10 07:32) 

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