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NHKスペシャル・にっぽん家族の肖像を見て [介護と日常]

NHK大河ドラマを見た後、東京の下町「千住」で暮らす老夫婦や商店街の八百屋の家族を追ったドキュメントを見た。近頃のNHKはあまり面白いものがなく(NHKスペシャルとかドキュメントが最近つまらない)たいして期待せずにぼんやりと見ていたが…。
高齢化社会や介護の問題など最近ありがちな啓蒙的な内容ではなく、淡々と一年を追った好感が持てるドキュメントだった。
狭心症で半身不随の妻に寄り添って20年間看病をしてきた夫の話と、商店街の八百屋で認知症になった老母と共に暮らす家族の話。

狭心症と半身不随の妻とともに暮らす夫はすでに90歳を超えている。妻は世話をされるようになってもかかあ天下は変わらない。笑ったのは奥さんの話。「よくあんな真面目な人と一緒になったよね。あたしはよく遊んだしね、別に悪い遊びはしなかったけど」
夫は散歩中に「昔からずっと一緒なんですか。(この辺りはみんな不確かですーmiyata)」と取材者から聞かれたとき「私の結婚は失敗だったんです。まあ、いろいろあるけどこういう話はいいでしょう」と遮った。
何事も類型化したがる下らぬ問いかけに、後の言葉を飲み込む夫。
狭心症が悪化して救急車で運ばれた妻は病院から家に戻り、四日後に亡くなった。
長女との同居を拒否して住み慣れた家で人生を終えようとする両親の姿と様子を見に来た長女の深刻そうな顔。病院から帰ってきた母に寄り添えずに無能な男のように部屋の片隅で立ちつくす長男の姿が印象的だった。

八百屋の老母は認知症が始まってから、同居をけっして許さなかった次男と一緒に生活を始めた。次男は酒とギャンブルが大好きだった。それまでは長女が八百屋を切り盛りしながら母の面倒を見ていた。認知症が始まってから吹き始めたハーモニカ。とても上手だ。次男のリクエストに応える母。次男は仕事が終えると実家に帰り、姉と交替をして夜の面倒を見る。夜お漏らしをするようになり、酒好きの息子は世話が大変だとつぶやく。認知症がこれ以上進むとどうしますかと聞かれて息子は「家族で相談しなくちゃいけないけど、預けるだろうな」という。やがて母を施設に預ける事になり入所日を翌日に控えた夜、息子はマッタケご飯を炊いて母に食べさせる。そこで「今日が最後だよ。明日から別のところに行くんだ」と母に語りかける。認知症の母は「あ、そうなのかい」と云いながら美味しそうにマッタケご飯を食べている。

結婚は失敗だったと云いつつその後の言葉を飲み込んだ夫は、なぜ最後まで妻と寄りそうことを決めたのか。様子を見に来た長女はなぜ自分の両親の前で深刻な顔しか出来なかったのか。母が救急車で運ばれた後駆けつけた長男はなぜ無能の人のように、他人のようにしか振る舞えなかったのか。
八百屋の家族はなぜ母を施設に入れることを決意したのか。どうして息子は最後の夕食にマッタケご飯を奢ったのか。なぜ今日が最後だと自分の母に言葉を投げつけたのか。

自分のことに置き換えてみる。老いの世界はまだ理解できない。若くはないという不確かな実感の中に浮遊している。だが、結婚は失敗だったと言った後、言葉を飲み込んだ先の沈黙には繋がる世界を感じる。愛や優しさ(それは勘弁して欲しい)や憎悪でもない。まして義務や思想でもない。寄りそうという選択は、相手にそれを望まれたり相手に自分を重ねたりすることではない。望まれれば拒否することもできる。逆にけっして同一化できない、むしろ対象である相手の存在に拒否されているために取りうるひとつの立場ではないか。だが、それでも忌避や排除などとともに並び、ようやく選べるひとつの態度に過ぎない。
それにしても、実の子が駆けつけても両親である夫婦の関係の中に入り込めない(つまり奪えない)関係を妻の死に至るまで築いていたのは見事だった。親子の情を許容しつつ拒絶できる可能性がそこにあることを示していた。それは半身不随となった妻の介護をすることによってこそ彼が示し得た世界だった。

ほんとうは、老母に「今日が最後だよ」と告げる息子(家族)の残酷さについてなにかを書きたい気がしたのだ。だけどこれが今の家族が置かれている愛情の限界なのだとしか云えない。この先は口をつぐもう。つぐんだ先の沈黙にしか今は希望を見いだせない。

追記:19日深夜再放送があったので見たが、記事中不確かだと書いた部分は、かなり違っていた。特に取材者が「愛していらっしゃるんですね」と問いかけるところは全然違っていた。記事を一部訂正する。だけど印象としてさして変わるところがなかったので大きくは変えない。


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suzune-k

不思議な家庭をたくさん見てきました。
病院では特に変わった家庭を見てきました。
特異な環境になると、人間って本来持っているものが見えてくるのかも
知れませんね。
東北はすっかり秋です。雨が降って北上川も増水中です。
ついこの前新年を迎えたと思ったら、もう秋です。
by suzune-k (2007-09-18 07:03) 

親の兄弟がまだ一組健在です。私の母の弟。現在は80を超え認知症を発症しながらも存命です。
ご家族は大変です。やがて80の声を聞く奥さんと仕事を持つ娘が介護をしています。物忘れ・失禁などの症状で皆大変な思いをしながら生活してます。
おばが言っていました姥捨て山があったらいいねぇ。病気のおじを捨てるのではなく、自分が行くのだといいます。みんな人生にはドラマがあります。
そのドラマをおじは感じているでしょうか。
足が悪く歩けない為徘徊はできません。せめてもの幸いなのか?
by (2007-09-18 08:59) 

昨夜の阪神淡路の分しか見ていないのですが

私はそのときそのときあるがままでいいといいたいです。
したくてしているの介護が一番いいですね。
夫を17年預けっぱなしの人が居ます。子供や病人は社会が見ればいい。といい妻は遊び続けています。

それは自由ですが傲慢な性格です。
今は後期高齢者になりました。

そのかたの80歳から人生はどんなものなのかなと思います。

元小学校長ですが誰も尊敬をしていない
by (2007-09-18 09:52) 

hana

おはようございます。
狭心症で半身不随の妻に寄り添って20年間看病をしてきた夫の話・・それは我家の未来の姿?
こんなになっても、後何年生きることか、それが解らない、不確かなことだから、生きることって面白いのか。。。。
私達は、選択も何も特に考えていない、それにつきると思っております。
あるがままに人生を受け入れて、生きていく・・それはいつまで続くのでしょうか、あんまり長いのは許して欲しいですね(笑)
by hana (2007-09-18 09:53) 

左膳

86歳の母に世話になっている拙者にとって、いつも頭から離れないのが
一人になったときの心構えです。
母は、足腰が達者なので今は介護する立場ですが、
年齢的にもいつ逆転してもおかしくなく、そうなればと考えるのが
恐ろしいです。
by 左膳 (2007-09-19 10:02) 

我が家も特集などされれば、他人さまから見れば異様に映るもしれませんね。自身でもこんなものなのかなと思っていますから。。。
うちもここまで長い間、元気で見続けられるが不安です。
by (2007-09-20 21:40) 

Silvermac

昨日、やっと帰りました。山陰で37℃を経験、高知てもでなかった気温でした。草臥れました。走行距離1660キロ。この特集は見逃しました。
by Silvermac (2007-09-24 11:46) 

tomoko

世の中色々変わってきてますね、でも我々下々は総理大臣が代わろうとも
我が暮らし変わらず、ですね。
何の影響も感じないテレビのニュースを見てもむなしいだけで、地方の商人の私どもは益々不景気になって、大きな都市部の商社に都市ごと飲み込まれそうなそんな感じです。
街の老舗と言われている商店も次々無くなり、安い喫茶店、安売りクスリ屋
等ばかりで、悲しくなりますね。
我が家の創業70年も何の威厳も無く、父が亡くなったとき墓石の彫った会社のシンボルマークがむなしく輝いています。笑。。。。。。
by tomoko (2007-09-25 23:13) 

miyata

皆さん、こんばんは。ながらくご無沙汰しておりました。コメントの返事を書くのが遅くなりましてすみませんでした。こういう不義理をしてはいけませんでした。
昨日土曜日、やっとというか日中にクーラーをかけずにすみました。四五日前から、夜とか明け方には涼しくなっていたのですが日中はずっと30度を超えて市場へ買い物に出かけるだけで汗がへばりつく日々でした。インターネットもブログもテレビもあまり見ることなく、どちらかといえば内省的な日々を送っていました。妻もわりあい落ち着いていて悪くない日々です。落ち着けば落ち着いたで、ちょっとした粗相が大事件として浮上したりしますから、まあ人(の生活)はそういうものかもしれません。このことは逆にどんな極端も自分の生活の幅の中に含まれるということです。ということは現実的な契機と必然性があれば何者にもなれるということでもあり、それはそれで少し恐ろしいものがありますが。現実の生活は不安に満ちたもので、まさに今は私自身の戦時と言えますが、反射的な行動や判断に過大な評価や期待を込めても仕方なく、私自身が鳥のような視線を持つことによって今を語ったりできるようになるのでしょう。またぼちぼち記事を書いていきたいと思います。
by miyata (2007-09-30 01:26) 

そうですね
女性のように無意識に家事をこなせる人とは違って、
ただ開放された後の空虚な気持ちはこれまた大変です。

大変だった頃あるがままを受け入れていたときが充実していたなんて甘えた考えになったりします
by (2007-09-30 19:02) 

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