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桜の記憶 [介護と日常]

時まさに桜満開で諸氏乱れる頃、新聞に多田富雄(免疫の意味論の著者)が桜に対する違和感と嫌悪感を書いていた。
「ソメイヨシノは自分で繁殖できない。接ぎ木によって植えられたもの。もとは一本のソメイヨシノに行き着く。
花はいわば生殖器であり、種を残せない桜が一斉にその生殖器をひらくさまは不気味というほかはない」と。
多田は脳梗塞で倒れほぼ全的な介助が必要となった。医療制度の変更でリハビリが続けられなくなり、医療制度の変更に対して抗議声明を出していた。ソメイヨシノ(桜)についての見解はなかなかストレートな暗喩(矛盾する書き方だが)だと受け止めることが出来た。
なるほど梶井基次郎の小説も、多田に感じた面から読むとちがった貌が見えてくるのかなと思ったが、個人的な納得を見いだすに過ぎないだろうと読み直すのをやめた。

中学の卒業式の事。母は病に倒れて遠くの病院に入院していた。父は仕事だったから来るはずもなく、なんの感慨もなく一人で卒業式を終えた。田舎のことだから、大半の同級生は就職し三割ほどが高校に行くことが決まっていた。式場から出て校庭に立つとそこら中に涙があふれていたような気がするが、確かな記憶ではない。少数の友人と短く声を交わして帰ろうとしたとき、田舎では数少ない母の知人が(同級の女子の母親でもあった)私を呼び止めてさめざめと泣き始めた。そこに数人の母親たちが集まり私を囲んで泣き始めた。やんわりと受け流してその場を去るという術はその当時の私にはなかった。意外なことに自分が痛ましい存在としてそこにいることに気がついた。涙と慰めの言葉の中で、いたたまれない気持ちのまま立ちつくすしかなかった。私はもうここ(田舎)にはいられないだろうと思った。その時確かに、校庭に植えられたそれほど大きくはない桜の花びらが舞い散っていた(ような気がする)。

妻と一緒に買い物に出かけたとき家のすぐそばにある中学校の校門脇にある桜が満開であった。そこを通り過ぎるとき、卒業式であることがわかった。ふと昔のことを思い出した。

伯母の死以降、いろいろなことが重なった。
先月の末には息子の彼女の家に挨拶に行った。また、今月に入って妻の実家が引っ越しをした。引っ越しの前夜妻を連れて行った。妻はまだ片づけられていない実家の仏壇の前でずっと動かなかった。彼女は夜中に帰る場所を失った。
神戸にあった家を処分することにした。地主と交渉し、家の売却も地主に任せることにした。更地にする場合、解体費用を私が一切負担しないという前提である。伯母の死と共にmiyata家前世代の記憶に繋がる場所は消滅する。
今住んでいる家もいずれ引っ越そうと考えている。妻と二人では広すぎる。そのためにこれから余分なものを徐々に処分するつもりだ。今年は、妻と二人だけの生活になるための準備の一年になる。

ところでフェルガードを飲み始めて約三ヶ月。途中入院などしたが、それは季節的なもので脳の機能障害によるものだからここが改善する可能性はほとんどない(今の段階では)。が、フェルガードはやはり効果があると言わざるを得ない。話す言葉が違ってきた。例えばテレビで野球を見ているとテレビの画面を指して「これは『どこの』『球場』か」と言いはじめた。もちろん一日を通じてこういう状態が出てくるのはわずかなときなのだが、ここの部分が拡大すれば重度の見当識障害から離脱できる可能性もなきにしもあらずではないかと喜んでいる。仮にこのフェルガードがまったく効果がないとするならば、脳血管性認知症患者の大半が術後何年かを境に自然回復する傾向があり、見当識障害などの改善が見られるという開示された情報・知識に置き換えられる必要があるだろう。
とはいえ、抹茶の粉を化粧品と勘違いして顔に塗ったり歯磨き粉を歯ブラシにつけて髪を梳くなんて事は普通に当たり前の状態だから相変わらずといえば相変わらずの毎日ではある。


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SilverMac

私も父の世代で前世代に繋がる場所を失いました。ご近所も同様ですので、これも時代の流れと諦観しました。光も見えてきていよかったですね。
by SilverMac (2008-04-16 11:09) 

hana

miyataさん、こんにちは。

卒業式のときの、miyataさんの困惑ぶりがこちらまで伝わってくるように思えます。
そんなに泣いたり、同情するのだったら、ほっておいて見守るだけにして欲しいものだと。
でもその年齢でのお母様とのお別れ、お辛かったことでしょうね。
私など40半ば過ぎの父の死、自分でも思っていないくらいによく泣きました。
今でも似た感じの方を見ると、思い出したりします。

近々息子さんもお家を出られて、奥様とのふたり暮らしが始まるのですね。
退院してすでに丸二年経ちました。
諦めと、慣れと、私達も自分たちの生活の仕様がすっかり出来て、なんとか毎日過ごしております。

by hana (2008-04-16 17:34) 

ほんのり

こんばんわ♪
相変わらず、重病の家族を二人かかえアタヾ(・・;)ノヾ(;・・)ノフタしております。。。
それでも、なんかちょっとこの頃ブログを更新する気持ちになって来ました。
不動産の処理、大変なんですよね。
私も、今実家の建て替えで、これもアタヾ(・・;)ノヾ(;・・)ノフタしています。
何と言っても動けるのは私だけなんですから…
母と、癌の妹が強く建て替えを希望しているので、やるしかないのですけどね、動いて、文句を言われるのは私ですから。。。

息子さん、おめでとうございます。
お嫁さんが増えるというのは、嬉しい事でもあり、又新しい家族の生活の仕方になるんですよね。

両親の二人の生活、なんか微笑ましくて、私達娘はとても嬉しいです。
私とはっきり理解していないだろうな?と想いながら父と話していて、表情がはっきりしてニッコリしたと想ってふり返ったら、母が入り口から入って来る所でした。
そんな、両親を見ていて私まで心が温かくなりました^^
by ほんのり (2008-04-16 19:52) 

タケノコ

中学の卒業式の出来事はお母様のこととも重なり、今でも記憶に残っていらっしゃるのですね。多感な時期だけに複雑な思いだったのではないでしょうか。
住まいの移り変わり、実家が今の場所でなくなるなど、なかなかなじめない事ではありますね。うちも今は居候ですが、そのまま居続けられるかは?(義父が要介護ともなればなおさら。)夫婦二人だと私たちもそう荷物もないのかなと思っています。
by タケノコ (2008-04-16 21:47) 

左膳

今年に入って母の実家が、叔父夫婦が息子の世話になるため
引き払うことになり、母も帰る家がなくなるためその前に一度帰りたいといっています。
by 左膳 (2008-04-17 09:45) 

miyata

SilverMacさん、こんにちは。
何代も同じところに残るというのは、普通あまりないのでしょうね。
何かの本に5代以上同じ土地に家族や親族が残るというのは、ほんの数パーセントでしかないというようなことが書かれていました。
フェルガードを飲み始めて、かなり現実的な光が見えてきたように思います。
by miyata (2008-04-17 14:31) 

miyata

hanaさん、こんにちは。
卒業式の時、私自身はちっとも不幸や悲劇を感じることがなかったものですから、困りました。その状態が不幸や悲劇なんだと指摘されたみたいなものです。それで田舎からはじき出されるような感じを持ちましたね。
今から思うと、放っておいてくれたらいいのにという感覚はとても新しい感覚で当時の田舎では、そういう感覚そのものがなかったのかなあと思います。
母が死んだのはそれから一ヶ月ほどしてからです。その意味がよく理解できませんでした。恥ずかしいのですが、ちょっと昔をふり返ってみるとちょうどその頃「時には母のない子のように」という歌がはやりまして、その中に「母のない子になったなら誰にも愛を話せない」という歌詞がありました。これがとても謎で、いったいどういう事なんだろうとかなり悩みましたね。高校一年生の春でした(笑)。大江健三郎やカミュとかサルトルを貪るように読んだ頃です。やっぱり今から思うとあまり早く親を亡くすとよくないような気がします。
by miyata (2008-04-17 14:46) 

miyata

ほんのりさん、こんにちは。
よく来てくださいました。息子はいつ結婚するのかまだ決まってないのですが、二人にお任せです。
ほんのりさんはほんとにスーパーですね。ご両親が施設に入ることによって、またその関係を新たに構築出来ているというのが示唆的です。
by miyata (2008-04-17 14:54) 

miyata

タケノコさん、こんにちは。
中学生の時のこと、覚えていましたね。不思議です。かなりぼんやりした記憶でもあるのですが。死が理解できないということと、複雑な思いというのは別で私は割合胸弾む状態だったと思います。というのは、母の病気のこともあり高校は親元を離れて寮にはいることになっていたからです。
わが家は荷物であふれています。引っ越そうと考えると絶望的な気分になるほどです。だけど、これからいっぱい処分していきます。身軽になりたいと切望してます。古いパソコンも何台も置いているんですが、この辺りからですかね(笑)。
by miyata (2008-04-17 15:01) 

miyata

左膳さん、こんにちは。
実家がなくなるということは女房にとってかなり大きかったようです。ここ数日夜中に「帰る」と言わなくなりました。理解しているというより、記憶に残っているのだろうかと不思議な気持ちです。お母さんも一度は帰っておきたいでしょうね。そういう思いを抱きしめながら人は老いていくのでしょうか。これからの課題です。
by miyata (2008-04-17 15:04) 

なかなかない

次を拝見してこちらに気がつきました
さほど家々随分かな年齢差はありますが
実家は兄が売ってしまいました
今は遠縁たち(同じ苗字)が買ってくれて大きな家を4軒建てて暮らしています。先日世帯主(○○議会議員)がなくなって私はその方の奥様とずっとお付き合いがあったので枕花のようなものだけお送りしました。そのときに番地は?と思って昔の我が家の番地(結婚前の本籍地)で電話番号を問い合わせましたらおなじでした。

これは私にとって昔のこと
結婚して家を建てて娘が独立(借りマンション)して、今の暮らしです。
私たちは夫の実家に本籍がありますが娘は結婚のときにここを本籍にしています。捨てるわけには行きません

by なかなかない (2008-04-20 11:16) 

miyata

なかなかないさん、こんばんは。
私の本籍は兵庫県の田舎です。そこには家もなにもありません。父がずっと残したままだったのです。そこにはお墓があるだけです。父が生前連れて行ってくれたこともありません。それがとても不思議でした。不思議だとずっと思っていた私もやはり本籍を動かすことなく今まで生きてきました。息子もやはりそうするのでしょうか。とても不思議です。
by miyata (2008-04-21 02:49) 

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