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梅雨は明けたのだろうか [介護と日常]

気がつけば一ヶ月以上記事を書いていなかった。友人の事故死のあと、ネットに彼の会社に関連する掲示板がいくつかあることを発見した。それらの掲示板には実際に知らなければ書けない事も書かれており、彼の会社に直接か間接に関係する人たちが書き込んでいることが窺えた。事故の後、そこでは誰かが自殺だと断定していた。内容の愚劣さや稚拙さにも驚いたが、彼はそういう世界を否定することもなく笑って飲み込んでいたのかと思うと彼の涼しげな笑顔の背後の悲哀に触れたような気がした。

・妻のこと
暑くなり始めてから、妻の血中ナトリウム濃度と脱水症状はかろうじて正常範囲内に治まっている。だけどもう時間の問題のようで、少し足がもつれだしたので明日の病院ではきっと点滴が処方されるに違いない。これはもう今のところ仕方がない。
が、最近こんな事があった。夕食前のバラエティー番組で誰かが大きな半分にカットされたパイプの前に立ち、流れてくる素麺を食べるというまったく誰が見てもそれは結果が想像できて、ようはそこに出てくる芸人のリアクションがどれほど受けるかという企画だったのだが、お箸と汁が入った器を構えて待つ芸人のところに大量の水とともにソーメンが流された。これを見ていた妻がはっきりと気持ち悪いくらいに声を上げて笑った。こんな事は今までなかった。そんなに面白いのかと聞くと、「あんまりバカバカしくて、それがおかしくて仕方がない」といった。それはまるで行方不明になっていた「妻」がふいに目の前に現れたような生々しさだった。

・私の病気のこと
糖尿病の方は、血液検査の結果で見る限りきわめて順調に推移しているという。例の可愛い女医さんは「こんなに順調な例は少ないですよ」と持ち上げてくれる。食事だが、まったく今までと変えていない。今まで通りである。節食もなにもしていないのでストレスもない。最初の数値が即入院レベルだったので、運動は制限されていたがそろそろ運動を始めようということになり適当な運動量を決めるために今度体力測定をすることになった。

橋本病はじっさい私に大きな影響を与えていたんだということを実感している。抵抗できないまま足掻いていたが、気づかなければそのまま崩壊していたかもしれない。最初甲状腺ホルモンの不足を補うチラージンS錠50という薬を一日半錠から飲み始めたが、検査の結果効果が出ていないということで一日一錠に増量された。女医さんが検査結果の後追いになるのが嫌だから診察の三日前に血液を採取して、診察日にはその結果を基にリアルタイムで処方を決めたいというので診察日の三日前に血液をとって診察を受けた。その結果、増量した薬が適量であることがわかった。集中力がないことや気分が塞いだりする症状がなくなったわけではないが、日常のちょっとしたことでの変化は感じている。
声に張りが出てきたとか(もともと大きい)、腫れぼったくていつも寝起きのようなまぶたがすっきりしてきたとか、調味料が足りなくなったらすぐに買いに行く気になるとか。結論がわかっているのに決断できないでいた事が決心できたり。今頃遅すぎるよという現実を知ることになるのだが。

その診察日に妻のことを聞かれた。前に診察を受けたとき時間が長引いて妻のデイケアからの帰宅時間に間に合わなくなり、自宅ではなくて私が診察を受けている病院まで妻を送ってもらったことがあった。それで知られることとなったのだがどんな状態かなどを話すとやたら感心される。こちらにゆとりがあると異常行動はほとんど目立たなくなるなどと、少し話すと可愛い女医さんは「赤ちゃんと同じですねえ!」と目を輝かせている。
「赤ちゃんとは違うよ。赤ちゃんは人類の記憶に。妻は人間の記憶に拘束されてるんだ」とは言わなかった。この先生、あまり詳しくないけど娘がたまに読んでいる少女漫画の主人公っぽいんだなあと思った。

六月の末頃にぎっくり腰になった。踏み台に上がって、棚の上にあるカメラの空き箱を寄せたときにいきなりギクッときた。腰痛とは長い間つき合ってきているので、もう急激な腰痛に見舞われることはあるまいとちょっとした自信を持っていたのだが、もろくも崩れ去った。10日を過ぎてもいっこうに良くならないので病院に行き、注射をしてもらってからようやく立ち直った。

しばらく読書や思考から遠ざかっていたが、ぼちぼち本も読めるようになってきた。今、竹内孝仁の「認知症のケア」を少しずつを読んでいる。三好春樹が推していた本だ。この本は認知症は脳の病気なのかと疑問から始まる。
ブッセ(Busse,E.W.)
・脳病変と行動異常を直接的に関係づけるべきではない。
・精神構造の解体を直接的に導くものは社会環境要因である。
ロットシールド(Rothschielde)
・脳の組織学的変化と痴呆の間には質的にも量的にも厳密な相関はない。
これらの主張は、認知症が単に脳の病気と片付けられるものではないこと、その人の人生と現にいま生きている世界との関係の中で生じている精神全体の働きの問題としてとらえなければならないことになる。こうした考え方は、脳の変化を否定していることにはならない。それがあったにしても広く精神全体として考えよと述べていると解釈すべきだろう。

かつて統合失調症(精神分裂病)も脳の病気といわれ、脳の異常を究明する研究が盛んに行われた(いまでも精神衛生学にその名残がある)。しかし現代では、統合失調症はその人の人格の病であって、脳の病気だという人はいない。
脳からの解放は、あらためて私たちにこの病気の成り立ちへと関心を向けさせる。そしてそのことが認知症のケアへと道を開くものだとの確信がある。(竹内孝仁著『認知症のケア』年友企画)

これは納得できる前提だ。三好春樹は認知症で脳の器質的変化に原因を求められるのは「アルツハイマー症」(アルツハイマー型ではない)と「ピック症」だけだと書いていた。
少しとばして「認知症の人々の心理はわれわれと変わることがない」という章から引用してみる。ここは著者が研修会で行う模擬体験の模様を書いている。参加者になんの説明もせずにいきなり壇上に上がってもらい黙ったまま1〜2分過ぎるのを待って席に戻ってもらう。すぐにもう一度壇上に上がってもらい、黙ったまま同じ事を繰り返す。その後もう一度壇上に上がってもらっていままでの指示された行動で心に浮かんだことを全て語らせる。
この被験者は、研修会でなぜ自分が壇上に呼び出されたのか、つまり自分が呼び出される「状況」が理解できない。
すでにおわかりのように、人は状況-くわしくいえば状況の意味、自分との関係-がわからない(一般的には認識できないという)ときに、どのような心理状態になるか、という実験で、いってみれば「認知症体験」より正確にいえば「認知障害体験」といえる。
結論からいえば、被験者は前述した認知症の人びとの心理のすべてを語る。
・まずはじめに“なぜ研修会の席で”“なぜ自分が(よばれたのか)”と混乱した。
・2度目には“何か自分がまずいことをしたのか”“また呼び出されるのでは”と不安と怯えが生じた。
・壇上に上がるとき、急に“自分が一人になった”ような孤独感を感じた。
・これが何度も続くかと思って“腹立たしい気がした”
・“ゆううつ”になった。
認知症の人びとと同じ状況に立たされたときには、私たちも同じ心理状態になる、ということを理解することは、ケアを行うにあたって極めて大切である。
認知症のケアにあたる人びとから、時に次のような発言がある。
・認知症の人びとにも人格が残っている。
・認知症の人びとにもプライドがある。
これらの発言は“認知症の人はどうせ何もわからない”との侮蔑的な態度と、彼らの心理についてきちんと考えたことのない軽率な意見だといえる。
一般に、認知症のみならず精神疾患にかかる人びとはもっとも傷つきやすく、デリケートな精神をもつ人びとだということを知らない。(同上)

正常と異常の境界は曖昧であるというより、異常はむしろ正常の中にあると読みかえる事ができる。だがしかし、認知症に罹るとその人格すべてを異常が覆うかのように正常な我々は認識してしまうのはなぜか。というのは介護する我々の側を見る疑問。以前に触れた「なぜ老人を介護するのか」の著者大岡頼光の提唱する人格崇拝の論理に疑問を感じたのはここと関連する。制度としての人格崇拝の論理(内実がまだ理解できないけれども)では、介護される側の心理や人格は置き去りにされ、介護する側の現場主義(技術優先主義)に解消される可能性を捨てきれない。
問題行動を回避できれば介護の苦労は激減するが、そのために介護の問題を現場の技術に優先させるのには違和感を感じる。三好春樹が(ですら)新聞のコラムで、介護の専門職はある時は役者になることだってあると書いていたのを読んだとき、否定はしないし受け入れざるをえないと思うが、そのこと(違和感)を感じた。
そんな介護のハウツーまがい本が溢れている中、竹内の本は平易でありながら本質的な理解に誘ってくれる本格的な啓蒙の書だ。周辺症状の三分類など示唆に富んでいる。とうぶん、じっくりこの本に没頭するつもり。


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SilverMac

糖尿の方はよい状態にあるとのこと、何よりです。私も良くも悪くも成らずで現状維持です。ぎっくり腰は癖になりますから、無理な姿勢は決してとらないように気をつけて下さい。
by SilverMac (2008-07-15 09:28) 

hana

こんにちは。
こちらでも先週末からは、暑い日々が続いております。

お元気でお過ごしかと思っておりましたが、ぎっくり腰とは。
私も以前、頑張ってひとりでテレビを捨てに行った時に経験しました。
miyataさんは、どうぞお大事になさって下さいね。
そんな中、面倒なメールまで出してしまって、本当に申し訳ありませんでした。
その節はありがとうございました。

認知症の人びとの心理・・・・上の五項目、私も納得です。
突然、以前の奥様が舞い降りて来た瞬間、miyataさんは、さぞ複雑な心境でしたでしょうね。

暑い中での通院も疲れるものです。
どうぞ、無理はされませんように。
でも時々の、日記の更新はお願い致します。



by hana (2008-07-15 11:38) 

yakko

暑い毎日ですね。
ぎっくり腰をおこされたそうでさぞ難儀でしょう・・・
どうぞ、お大事になさって下さい。
by yakko (2008-07-15 12:39) 

タケノコ

亡くなられた知人の方の会社関連の掲示板などまであるとは驚きですね。。。ホントにいろんな(何でも)掲示板が存在するのですね。時として、役立つものもあれば、言いたい放題的な要素も強いのかなと閉口するようなものもありますね。
奥様はバラエティ番組が単におもしろいのではなくて、そのくだらなさを笑っているというところが、何かスイッチが入った感じですね。
ぎっくり腰ですか、まだなったことはないのですが、ちょっと物を取るだけでも生じるものですね、私も若干の腰痛持ちなので、気をつけないと。
研修会での疑似体験の話はなるほどですね。認知症や介護のハウツー本のようなものは、以前よりも増えていますが、これは良書といえそうですね。
by タケノコ (2008-07-15 21:55) 

ガーネット

ふーむ、、私はあらゆる「精神の病」は脳に何か起こってると思ってますが、、。面白い記事です。統合失調症が人格の病というのもわかりづらい概念に思えます。
by ガーネット (2008-07-15 23:29) 

マオ

miyataさん、こんばんは。興味深く拝見しました。
私も実は、ガーネットさんの説に、実感的に同じなんです。実感的に、というのは、私は成人してから、自分の”特性”が”個性”という範疇以外の”脳がそのようになってしまっている”と分析して、そう分析することで、自分を律することができるようになり、それは私にとって苦しみからの解放というか福音でありました。そしてその自分の脳が、外からの抑圧によってそうなった、という自覚、というより覚醒のような感覚で納得したものです。
これらは勿論学術的な知の根拠はありませんが、自分の実感は智による、と言い切れるぐらい確かな感覚があります。

>・認知症の人びとにも人格が残っている。
>・認知症の人びとにもプライドがある。
介護人にとっては、これは自然に当然のことですが、認知症の人は何もわからない、とする他者(社会)に対して、この言い表しをすることがよくあります。
それからずれますが、介護の現場では当たり前のハウツーすらないと思うことが日常的にありますね。私は、今夫がディで利用している施設で、「○○さん、またもらしちゃったんだよ~」と本人の前で大声で他の利用者に言い、言われた認知症の女性が、「人間だもん、もらしちゃうよ~」と懸命に対峙しているのを二度見かけました。夫はその施設でのショートスティを、死んだ方がましだというくらい嫌がります。
長文のコメントになってしまいました。スミマセン!

by マオ (2008-07-16 01:35) 

miyata

SilverMacさん、おはようございます。やってしまいました。とても苦労しました。もうまるで生活が維持できないのです。妻の世話もほとんど出来なくなって、ちょっとした地獄気分を味わいました。間の悪いことに息子までが陶器の材料(土や釉薬)を運んでいてほぼ同時期に腰を痛めて動けなくなってしまったんです。息子の場合は30キロを超えるものを何度も運んだことが原因だったようで我が家は悲惨な状況でした。今はやっと普通の生活に戻れてやれやれです。
by miyata (2008-07-16 04:33) 

miyata

hanaさん、おはようございます。
素敵なお葉書ありがとうございました。机の前の棚にいつも飾っています。
ぎっくり腰にはまいりました(苦笑)。
今日の妻の通院はスムースでした。血液検査の結果も意外なことにまだ頑張ってるようで、点滴は必要ありませんでした。足下がおぼつかなかったのは軽い熱中症だったかもしれません。日曜日の夕方転倒して顔にまたあざを作ったのですが、昨日にはもうほとんど治っていました。驚異の快復力です。ほんとに日々デコボコなのはもう諦めるしかないですね。
by miyata (2008-07-16 04:41) 

miyata

yakkoさん、おはようございます。
ご心配頂きどうもありがとうございます。腰は嫌ですねえ、ほんとに。
もう起こって欲しくないです。心から。
by miyata (2008-07-16 04:43) 

miyata

タケノコさん、おはようございます。
掲示板に書き込まれている内容はちょっとびっくりしました。凄いですね、あれは。ホームページ上のBBSとかではなくて、「みんなで悪口を言おうよ」みたいな掲示板でした。2チャンネルというやつですね。

>何かスイッチが入った感じですね。
そうそう、そういう感じです。タケノコさん、上手に言いますね。ちょっと驚きました。その後また全然スイッチは切れたままなんですけど(笑)。

引用した本は、読み応えのある本です。
by miyata (2008-07-16 04:51) 

miyata

ガーネットさん、おはようございます。
ああ、結果そうかもしれませんね。けれど、それが真だと云ってしまったら不都合なことが一杯出てくるんですね。簡単な事例を書くとこういうことです。例えばアルツハイマー症の人には脳の変成がほぼ見られるから、脳に器質的な変成がある人はみんなアルツハイマー症だと云える。とは云えないんですよ。脳に萎縮があっても全然普通の人は一杯いるし(そちらの方が多い)、萎縮がなくても発症している人もいる。
引用されているブッセとロットシールドの考え方は妥当だと私は思います。
統合失調症は精神分裂病から呼びかえられた病名ですね。これにもいろんな説があるようです。例えば脳内伝達物質の異常がもたらすというのが主流の考え方でしょうか。だから薬もいろいろ開発されて成果をあげているようですが、克服されたわけではありません。薬だけじゃあ治らない心の領域があって、傷に塗ったら治るというわけにはいかない。社会的な関係とかさまざまな要因がある人間的な病気ということで「人格」という表現をしたのだろうと私は解釈しました。
by miyata (2008-07-16 05:50) 

miyata

マオさん、おはようございます。
少し難しくて書かれていることを読み違えているかもしれませんが。
これはマオさんは脳のことを云っているのではなく、「心」の事を云っているのではないかと思いました。私は心の問題は脳の機能にすべて還元できるとは思いません。妻が高次脳機能障害で脳血管性認知症と診断されたときも認知症との関連で疑いました。その疑問はずっとこのブログの基本になっています。もちろん専門家でもないただのとうしろーの浅薄な知識と考えですが。

・認知症の人びとにも人格が残っている。
・認知症の人びとにもプライドがある。
というのは、書かれてみるとけっこう私自身の戒めになりました。理解できないことを遠ざけてしまう時、遠ざける側に心理的なものがつきまとうことに無頓着であってはいけないということなんですよね。
デイの施設の事ですが、瞬間頭に血が上りました。だけどちょっと冷静になって私ならと考えました。何故なのかをできる限り丁寧に聞きます。その上でもし頭に血が上った原因の疑問が解けない場合は、告発します。躊躇したり引くことはしません。

by miyata (2008-07-16 06:32) 

マオ

miyataさん、おはようございます。
いえ、私の場合、これは心の問題ではないんです。脳なのです。よく自分の身体のことは自分が一番よくわかる、というセリフを見聞きしますが、あの感覚でわかるんです。ある時期から必死で自分の脳の修復をしてきたような感覚。手塚治なら、自分の手で自分の脳なり心臓にメスを入れていくように描くかな。(笑)・・・ナンテ、ただの感覚の話しですから。(苦笑)

施設のことはほんとに深刻です。夫が利用するようになったのは開設まもなくの頃で、当時は施設長もいらして、ディとショートのそれぞれの責任者もいらっしゃり、知識は豊富で、何かあると話し合いにも応じる誠意、熱意がある、というように認識していたのですが、半年ぐらいで施設長は姿を消され、介護の現場は、構えて言えば無法状態と化しているように見えます。但しこれはしっかりされている利用者の関係の方には察知できないでしょう。

>何故なのかをできる限り丁寧に聞きます

その場では、もらしたと言われた方の、「人間だもん~」と言われたことに、「そうですよね~、誰だってありますよね~」とあいづちを打ちましたが、言った職員にその場で詰問するようなことはしませんでした。それでは言われた方にかえって失礼だと。後にケアマネの女性に立ち会っていただいて、責任者の方とお話しはしましたが・・・・・。際限もなく長くなりそうなので(笑)、ここで。
あ、もうひとつだけ。最近ある介護施設をやっておられる夫妻の気持ちと行動あるのみの本を読んで思ったのですが、介護の事業は、個人の熱意と資質にしか我らの安心はないのではないか、と。そして私にできることは、そういう人たちを潰す側になってはならないことだ、と。
スミマセン、肝心の点をはしょって書いているので、わけわかりませんね。(_ _;)

by マオ (2008-07-16 08:44) 

左膳

今日近畿地方に梅雨明けが発表されたそうですよ。
今年の夏も暑くなりそうですね。
ぎっくり腰ですか、拙者もこれで入院したことがあります。
無理をせずに頑張って夏を乗り越えて下さい。
by 左膳 (2008-07-16 13:30) 

練習菌

人間はどことなく不完全であるが故に、誰一人としてまともでないとも言える。
まあ、あえていえば、なんとか社会生活を送れる人と、遅れない人が居るということか?
50歩100歩、目くそはなくその類ではあるまいか?
唯我独尊できないからこその人間、なんとあわれな、なさけないことであるなあ。
(-人-)ナームー...
by 練習菌 (2008-07-16 21:24) 

miyata

マオさん、こんばんは。
ほんとに脳なんですね。それはとても特異な感覚ですね。しかも外からの圧力でそうなったという覚醒した感覚は不気味ですね。だけど、妙なリアリティーがあります。三好春樹は脳の変質が認知症をもたらすのではなくて、認知症が脳の変質をもたらすのではないかとまで言っています。

>言った職員にその場で詰問するようなことはしませんでした。
それは賢明でした。さすがマオさんです。やはりこちらが妙な正義感を背負って言ってしまうと問題が出てきますよね。私はちょっとおっちょこちょいのところがあるんで、よくよく気をつけるようにしています。
by miyata (2008-07-17 03:25) 

miyata

左膳さん、こんばんは。
暑いですね。梅雨明けのようですね。これは例年並みということですね。祇園祭の頃に梅雨が明けるという感じです。
ぎっくり腰の辛さは経験者でなければわかりません。左膳さんとは同士ですね(笑)。気をつけます!
by miyata (2008-07-17 03:28) 

miyata

練習菌さん、こんばんは。
つらつら思うに、練習菌さんってニヒリストですねえ(^_^;)\(・_・) オイオイ
by miyata (2008-07-17 03:29) 

マオ

miyataさん、たびたびほんとにすみません。
実は私の方、事態がよくなくて、ネットの楽しみもしばらくお預けだなぁと思うものがあり、最後にもうひとつだけ、という感じで。

>三好春樹は脳の変質が認知症をもたらすのではなくて、認知症が脳の変質をもたらすのではないかとまで言っています。

夫が脳梗塞を起こしてもう二十年になろうとしているこの年月の体験で感じるのですが、三好春樹さんのこの説は正しい気がします。
私の脳の感覚は、単純に、幼児期から幼児期に知るべきことを教えられないで大人としての完全を求められてきた脳は、それに必死に応えてきてしまい、でも実際は無理があるから成人して無理に耐え切れない感覚から、脳が幼児期に必要な体験をし直したがっていて、今もその途上・・・要するに自分の無能は脳がそうなっているせいと言いたいわけで、ということなんです。まったく大笑いでしょう!?
ほんとにこんな御託を並べてすみません。(ホリホリ←頭をかいて謝罪)


by マオ (2008-07-17 08:17) 

miyata

マオさん、こんばんは。
なにがマオさんに起こっているのでしょうか。とても心配です。

三好春樹ですが、ようするに認知症は関係障害だというんです。他者と自分との関係、自分と社会との関係、自分自身との関係の障害によって。この関係障害だというのは私自身の疑問に合致していました。
ただ、よくわからないのはなぜ認知症を選ぶんだろうということです。鬱症や統合失調症とか様々な病態が考えられるのにです。三好説は納得出来るんですが「老い」が前提というか必要条件のようになってくるんですね。そこのところがまだうまく理解できないです。まあ、私の年齢ですら老いなのかもしれないので妥当なのかもしれませんが。最近認知症というのは鬱とかを超える高度で複雑な障害かもしれないなあと思ったりします。なんでこういう事にグズグズとこだわっているのかといいますと、一応理由がありまして、それは一度きちんと記事にしなくてはと思っています。まあ、とても単純な理由なんですがこの辺りがマオさんにコメントした解決を求めないというところにつながってくるわけなんですけど。

そうそう、マオさんが無能だとは全然思いません。たぶん、マオさんの読者の人はみんなそうでしょう。問題があるとしたら、自分が無能だと思う心に問題があるのかもしれません。普通に誰もが抱えているコンプレックスに留まらない世界がそこに宿っているとしたら、それはやはり問題ではないかと思います。
by miyata (2008-07-18 05:07) 

なかなかない

認知症の方のプライドは余計に大切にしなければならないと思った。それは酸素タンクでそのまま排尿しろといわれたときの本人お怒り。ビニール類がだめならば毛布と木綿で特性オムツを作った。
by なかなかない (2008-07-19 01:07) 

ふう子

今、毎月三好春樹のセンナーに出席して聞いています。

長い間 ライフワークとして介護の事を細々でも続けて来ました私ですが、
三好春樹の考えは、「目からウロコ」的考えでなるほど…と思って聞いています。
本当に、介護者はその本人の事をよく見て、よく理解して、原因を知る事でその方が とても落ち着いた日々を送る事が出来るようになると思っています。
仕事として、規則等で制限が有る事により手が出せない事も有り残念と思う事も有りますが・・・。

まとまりのない話で、すみません。
by ふう子 (2008-07-19 10:28) 

miyata

なかなかないさん、こんにちは。
「プライドを大切にする」立場と「プライドがある」と評価する立場とは驚くべき距離があります。私たちは大切にする側に留まらなければいけないのだと思います。
by miyata (2008-07-19 13:29) 

miyata

ふう子さん、こんにちは。コメントありがとうございます。
ふう子さんは介護の専門家の方なんですね。三好春樹のセミナーに通っておられるとのこと。きっと面白いのでしょうね。私も行って聞いてみたいな。
この人を初めて自覚的に知ったのは、新聞のコラムからでした。それまでに一度本を読んだことがあるようですが、三好春樹ということで読んだのではなく対談相手の方(吉本隆明)への関心が圧倒的に高くて、いわゆる三好春樹としての記憶はなかったです。

三好春樹は介護で悩んでいた私の疑問に根拠を与えてくれましたね。この人の魅力は明解な「転倒」と「再構成力」だと思います。専門の方が「目からうろこ」というのはよくわかるような気がします。
またいろいろと介護のことを教えてください。どうもありがとうございました。
by miyata (2008-07-19 13:46) 

allora

橋本病というのは初めて知りました、どんな病気か調べてみます。
体力測定はやってみたいのですが、車いすに乗ったままで出来る測定法というのはないものでしょうかね^^
いずれにせよやたら暑い日々、どうぞご自愛ください。
by allora (2008-07-21 16:52) 

miyata

Alloraさん、こんばんは。
返事遅くなりました。
橋本病というのは、甲状腺機能が低下する病気でひどいときには認知症に間違われるそうです。うーん、そういう風に見られていたかもしれない・・。
体力測定、あるのじゃないかと思うんですがないでしょうか。
やたら暑いですね、確かに。かなりへばってます。
by miyata (2008-07-26 02:18) 

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