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<最悪の日>はなんども訪れる [介護と日常]

昨日、少々大変なことが起こった。妻がベランダを乗りこえて駐車場の屋根を踏み抜き約二メートルの高さから落下した。命に別状はなかったものの(現段階で)、頭部裂傷、鎖骨・肋骨・背骨など複数骨折の重傷を負った。

とつぜん一時仮死状態になった日からこの一ヶ月、対応に苦慮していた。それはまるで在宅介護が始まった頃のような混乱の日々の再現だった。今までの経験や蓄積はほとんど役にたたなかった。意思の疎通が難しくなりまるで連想ゲームのように次から次にわき出てくる想念に私も妻も振り回された。わき出た想念に忠実であろうとしてむなしく突撃を繰り返す妻を止める術はなかった。
私は、こういう状態に至った原因を画像では確認できない新しい微細な梗塞が「記憶」に関わる経路に影響を及ぼしているのではないかと想像した。ひとつの確認を飽くことなく繰り返す状態がたまたま読んだ「七秒しか記憶がもたない男」で記述された状態に酷似していたことにも依る。
私がではなく、妻は出会っている新たな世界の状況とどう折り合っていくのかを彼女なりに猛烈な勢いで探っていたのだろう。それは不安と消滅の無限ループのような状態だった。日常生活の環境全てが危険と隣り合わせだった。ガス・水道・電気・家具・階段etc。

休みになれば、子供達が協力してくれたので私も少しは休むことが出来たが、伸びきったゴムに回復するゆとりもなかった。子供達も妻の様子が明らかに変調したことを認め、休みの日には親子三人で妻の危険行動を制御する日々が続いていた。私の円形脱毛症を発見したのは娘だった。その日娘は私の肩を揉んでくれた。
妻がとつぜん立ち上がって「あ、あれを忘れてた!」と突撃をはじめる約七割が火に関わることであることは記憶に留めておいてもよい。「卵が溶ける」「お餅が溶ける」「薬が流れる(陶器の上絵)」等々。
ある固着というか固執の代表のひとつに「窯の火」があることは以前からわかっていた。それは、倒れた時が「窯詰め」を終え火を入れる準備が整った夜のことだった。だからこの事は、意識が戻ってからずっと彼女を不安にさせる要因だった。息子と一計を案じ当時の窯詰めを再現すれば囚われた記憶から解放されるのではないかと、年明けに予定されている息子の出展の窯詰め作業に彼女を連れて行き、さらに何枚かの見本をつくって絵付けの作業をしてもらい、それを窯に詰めて焼き上げることにした。それは四日前のことだった。

妻は手回しロクロに皿を置いて、上手くはできないけれども「芯を出す」ことも覚えていたし、上手には書けないけれども筆の持ち方や絵の具を筆に含ませるその加減などは時間の断絶は感じさせないほど自然に作業を続けた。筆にたっぷり含まれた顔料は土肌に最初の痕跡を残すと土の中に染み込んでいき、次に炎にあぶられまでその姿を隠す。妻は入れた線を忘れてはまた上書きし、書いた文様を忘れては上書きする。休憩をしなさいといっても聞き入れずに黙々と作業を続けた。五時間も!
息子は窯詰めをしながら「お母さんには時間の観念が無くなってるな」と言った。
私は逆に「時間に囚われてしまって逃げ出せないでいる」と答えた。

この作業で見せた集中力は目を見張るものだったが固着した記憶のロック状態を解除できたかというとまったく無力だった。家に帰ると相変わらずとつぜんわき出た想念に支配されて家の中を駆けめぐる。だが、作業で見せた集中力は今後の鍵になるかと思われた。

運ばれた救急病院でのことを少し書く。救急救命センターの初療室に運ばれて二時間、なんの情報もなかった。待合室で待っているとストレッチャーの上で間断のないうめき声を上げながらCT撮影に運ばれる妻の姿を認めて命に別状はないかを確認しようとしたが、医師ではないのでと明確な答えは得られなかった。撮影が済み、そのまま初療室に入りまた閉ざされた。一時間後医師に呼ばれた。頭の傷は心配ないこと。背骨の骨折もたいしたことはないこと。認知症があるし、安静患者は入院をさせてないので他所の病院を探すことになる、というものだった。この状態だったら家に連れて返っても良いとも言った。妻を見ると意識はなく、ずっとうめき声を上げているだけだった。
医師から相談員を紹介されて、入院させる場合の希望を聞かれたので主治医のいる病院を最初に希望した。運ばれた救急病院は府庁前で家から少し遠かったので、近所の病院を希望した。運ぶ場合、ストレッチャー対応の介護タクシーを紹介された。だが、どこの病院も空きが無く、また認知症に対応できないということで断られた。主治医のいる病院はちょうど明日、つまり今日が定期検診日だったので救急ではなく診察で入院も対応してくれる可能性を示唆してくれた。
そのうち、また妻が初療室から出てきて忙しくレントゲン室に入った。今度は顔色もなく、うめき声もなかった。そして撮影が済むとまた初療室に戻った。三十分後、同じ医師が出てきて、複数箇所の骨折が原因で血圧が低下している。輸血をするので承諾書を書いて欲しいと言って、症状の説明をしてくれた。そして、このまま預かって(つまり入院させて)治療を継続しますと言った。この間、何度も何度も救急車が患者を運び込んできた。緊急処置が必要ではない患者は入院させないという理由がよくわかった。個人の要望を通すには難しい戦場のような現実だった。
病院に運び込まれたのが午後二時。初療室での治療が終わって集中治療室のベッドに移されたのが午後八時過ぎ。帰宅したのは10時前だった。子供達二人が待っている居間の暗さは、倒れた七年前を彷彿とさせるものだった。

ここまで書いて少し落ち着いたので、事故の時の様子を少し書きとめておく。朝起きてから朝食が終わった後も落ち着かないいつもの状態だった。洋服を着ては脱ぎ、トイレに入っては出てを繰り返していた。昼食後、ベランダに出たがったので三度ほど強引に連れ戻した。寝室はタンスの中身や棚が散乱し、目も当てられない状態であるのも最近の普通の光景だった。twitterでちょっとその惨状をぼやいて洗い物をしている時だった。水道の音に紛れて「バサ」っと抜けるような音が聞こえたので振り返ると妻の姿がなかった。すぐに寝室を見て、ベランダを確認したが姿がなかった。ベランダの下の駐車場の屋根を見ると大きな穴が開いていた。なにが起きたかは明らかだった。階下に駆け下りる前に救急車を呼んだ。そして駆け下りて駐車場で倒れている妻を認めた。上着を脱いでTシャツ姿だった。意識はなく、頭部からの出血が血だまりになっていた。妻は衝撃を忘れるかのようになにかの歌を口ずさんでいた。呼びかけるとそれに応えるように言葉にならないうめき声をあげはじめた。少し獣のような声だった。頭部から流れる血とアスファルトにできた血だまりは交通事故現場を想起させ、一瞬もう妻は助からないかもしれないと思ったがそれを吹き払って大声で呼びかけ続けた。その声に近所の人が集まってきた。最初に来たのは救急車ではなくて消防車だった。ベランダとか屋根を踏み抜いたということが消防車出動につながったのかもしれない。大きな消防車が家に横付けされたものだから騒ぎはさらに大きくなった。大家もやってきた。消防隊員はすぐに妻の首を装具で固定し、止血をして担架に身体を固定して、救急車に引き渡した。他の隊員達は現場を撮影するもの、救急車と連絡を取るもの、事情を聴取するものなどとよく訓練された動きをしていた。呼びかけにはほとんど反応しないまま救急車に乗り込み、受け入れ病院に向けて走り出した。救急車の運転は意外にあらっぽく、それに路面のショックがずいぶんダイレクトに伝わるのが気になった。その中で救急隊員は休むことなく受け入れ先病院の担当者と連絡を取りながら汗だくになって救急処置を続けていた。私に出来ることは、ただ声をかけ続けることだけだった。

入院は二週間の予定だが、許されるならば(病院の事情も含めてきっと許されると思うが)年内に連れて帰ろうと思っている。正月は家族四人で迎える。わが家にとっても倒れた時の年のような正月の悪夢の再現はごめんだし、仮に意識はなくともその方が良いからである。とりあえず命ある間は夫婦で、または家族で正月は迎えるのだ。

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※スケッチや粘土細工ではなく、倒れてから初めて素焼きの皿に絵を描く様子。このひと月とは正反対の度を超した集中力を発揮した。

七秒しか記憶がもたない男 脳損傷から奇跡の回復を遂げるまで
この本の感想は後で書くかも知れない。
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hana2009

miyataさん、こんにちは。
大変な、大変な毎日だったのですね。
でもそんな気配を少しも見せずに、ブログ内でコメントを下さったり、また贈り物を送って下さったり・・・・
本当にありがとうございました。心よりお礼申します。

お写真での奥様の絵付けのご様子は、しっかりとした手つき、きっちりと描かれた線…プロの方に失礼ながら・・・とてもご病気をされているようには見えません。

それから私、時間の経過が理解できずに申し訳ありません。
今はまだ入院されている最中なのですね。

最後の・・・命ある間は夫婦で、または家族で正月は迎えるのだの言葉に心を打たれました。
そうです。家族が離れ離れになる事は、私達ももう沢山です。
そのためにも、miyataさんもどうかご無理だけはされませんように。お身体に気をつけて。
by hana2009 (2009-12-22 16:33) 

Allora

大変な事態が発生してしまっていたのですね。
なんともはや、おかけする言葉もみつかりませんが・・・
奥様の状態。大変な状況には違いないのでしょうが、命には別状のない様子、まずはほっとなさったのでは思います。
でも家に帰られてからも、何かと介護が大変と思います、ご自身もご自愛下さい。

存じ上げませんでしたが、ご家族皆さん奥様も陶芸を生業とされているようで、あの辺りにお住まいなのも成る程と思いました。


by Allora (2009-12-22 18:06) 

yakko

こんばんは。
niceを押して良いものか、躊躇しました。
何と書いて良いのか言葉が見つかりません。
miyataさん、お子さん達のお疲れも心配です。
どうぞ、ご家族皆様で無事にお正月を迎えられますように。
by yakko (2009-12-22 21:12) 

SilverMac

慣れていらっしゃるとは言え、冷静な対処と観察に自分と置き換えるとmiyataさんは極めて優れたドクターのように思えます。ご家族の皆さま揃ってご自宅でお正月が迎えられることを祈ります。
by SilverMac (2009-12-22 21:32) 

練習菌

奥様は根っからのアーティストなんでしょうねえ。
窯が心配で、そこに行きたいんでしょうね。

救急車のサスの堅さは問題ですねえ。
私も搬送される時に、苦しかったです。
エアサスかなにかに替えてもらわないと、骨折にひびくんですけど〜

>とりあえず命ある間は夫婦で、または家族で正月は迎えるのだ。
う〜ん、すごい。見習わないとなあ〜
by 練習菌 (2009-12-23 05:34) 

民

昨日はどうコメントしてよいか悩み、nice!だけ押させて頂きました。
順調に回復されることをこころからお祈りしております。
ご家族のみなさんもお体気をつけて下さい。
by 民 (2009-12-23 09:01) 

ほんのり

大変な毎日をお過ごしのようで、心配です。
何故か、ここ最近奥様の事が心配で気持ちがワサワサしていたのです。予知能力は全くありません!!!
なんとコメントして良いのかわかりませんが、奥様はもちろん、廻りの家族の方は今は気が張っていらして、疲れも気づがれない状態だと想います。
どうぞ、無理のないようにと言っても、無理を承知で動いてる状態ですね。

ステキなお正月が過ごせるよう、お祈りしております。
by ほんのり (2009-12-23 10:36) 

にこにこ

お正月は家族4人で過ごしたい!
こころにしみました。
なんと書いたらよいのかわかりません。みんながお体を大切になさってくださいね
by にこにこ (2009-12-23 18:46) 

タケノコ

これは年末に大変なことになりましたね。聞くだけですと私にとっては大事(おおごと)なのですが、救急センターにしてみれば、一命危うい方も絶えず運ばれてくるので、骨折などでは後回しとなってしまうのですね。
確か以前にも、2Fからこの車庫の屋根に落ちるかなにかされたのではなかったでしたっけ?奥様がベランダにたやすく行けないように何か策を講じられれば(既になされていれば、お節介失礼致します)よいですね。

陶芸の絵付け作業は集中していらっしゃる様子がよくうかがい知れます。やはり何かを感じていらっしゃるのでしょうかね。

何はともあれ、無事快復されて良いお正月を迎えられますようお祈り申し上げます。

by タケノコ (2009-12-23 21:21) 

練習菌

私も奥さんを年末に連れて帰る事にしました。
まだ介護とかに馴れてなくて、事故を起こす危険性はあるけど、
多分この期を逃すと、もう外泊できない気がして〜
とりあえずバリアフリー的な構造になっている、奥さんの実家で
過ごさせます。
ハムスターを連れて行ったりとか、いろいろ準備しないとな〜
by 練習菌 (2009-12-25 16:36) 

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