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経過4 [介護と日常]

9日 義兄家族が見舞いに来た。妻の実家の長兄で、現在は千葉に住んでいる。長女が二月に結婚をする。私たち家族全員に出て欲しいということで、皆で東京に行くことを楽しみにしていた。
息子がいる。自閉症である。その息子もやってきた。彼はもう37になる。彼は妻になついていた。病室に入ってきて妻の姿を見るとショックでもう涙ぐんでいる。義兄は涙もろいというより激情家である。七年前に倒れた時、病室で妹に会うと号泣した。娘と息子は二人して今度もきっと泣くだろうと予想していた。
胃ろうの手術から一日明けた妻は落ち着いた表情をしている。
義兄は妻に話しかけているうちに我慢できなくなって泣き始めた。「なんで、こんな目にあわんといかんのや」
突き刺さった。「なぜ」と「だれが」の問がここには含意されている。妻の現実が問いかけ、子供達が飲み込んでいる言葉でもある。私はといえば、あまりに無惨な屈辱的な破綻にただうずくまってなおどうしようもない自分を守ろうとしている。
義兄達を見送った後、子供達は私の暗い表情をほぐすかのように「おっちゃん、やっぱり泣いたなあ」と笑っている。全部さとられているのだ。

10日 胃ろうの手術から三日目。病室に入るとしっかりと寝ていた。しっかり寝ていたなんて書き方は変な感じだが、うつろにさまよう眠りではない、その背後にはっきりとした目覚めがあったのではと想像できるような寝顔。しばらくすると目を開けて周囲を伺う。私の顔を認めると眼の動きを止めてじっと見つめてくる。表情は清明。
息子の彼女がお見舞いにやってきた。その彼女が枕元で話しかけている時だった。笑った。あ、笑った!と息子と私がのぞき込む。なにをそんなに珍しそうに見てるのよというような表情で私と息子を見る。

私は初めて見る看護士が入ってきた。名札には係長と書いてあったと息子はいった。ここの看護システムはよくわかっていない。その看護士が「今日は、おはようといってくれたんですよ」という。私と息子は同時に「えー!」と声を上げた。
「ほんとうですよ。おはようといってくれたんですよねー、miyataさん。おはよー!あ、今はこんにちはですね。miyataさん、こんにちわー」すると妻は声は出ないのだが「こ・ん・に・ち・は」と口を動かして応えたのだった!!!
「おかあさん、わかってるんやね!」と話しかけるとはっきりと頷きながら「うん」と応えた。息子と二人で「おー!」と声を上げる。驚きと感動だった。看護士も「すごいですね。ほんとによくわかるようになってくれました。私たちも驚いてるんですよ」と言って部屋から出て行った。

全部が全部良いわけではなく、肝臓数値が悪い。昨日から薬を入れはじめている。それに咳が止まらない。咳き込みはじめるとこのまま息が止まってしまうのではないかこちらも緊張する。本人も苦しさで多少動く左足と左手をじたばたさせて苦しむ。何度も痰の吸飲をしてもらうためにナースコールを押すことになる。

交替で早めに家に帰ってきた。帰りに晩ご飯のおかずを買って子供達の帰りを待つ。一番最後に帰ってきた娘の話によると、前の部屋で担当してくれていた看護士二人がわざわざ「噂」を聞きつけて部屋に来たそうである。娘によると「けっこう、評判になってるみたいよ、お母さん」ということであった。

一喜一憂はなるべくしないようにしていますが、ひょっとすると、いや、口に出したり書いたりするとまたどんな現実が襲いかかるかわかりませんから、これ以上は書かないようにします。娘のオカルト話は次回に書きます。がっかりなさらないでくださいね(笑)。
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練習菌

よく事件の被害者の知り合いが「何も悪いことをしていないのに何故?」
と、言ってますよねえ。
清廉潔白に暮らしていても、災難は降りかかるし、
悪いことをしてても長生きする人も居るし。
第一、何もトラブルのない人生を過ごせる人は居るんだろうか?
人生は浅薄な人知で測れるほど、単純ではないんだと思うなあ。

by 練習菌 (2010-01-11 04:34) 

miyata

人生ってなにが起きるかわからないし、なにが起きても不思議じゃないですねー、ほんとに。
by miyata (2010-01-11 04:46) 

ほんのり

おはようございます。
奥様の笑顔、何よりのプレゼント?ご褒美でしたね。

練習菌さんの>清廉潔白に暮らしていても、災難は降りかかるし、
本当に実感しています。私自身清廉潔白とは言えないけど…
災難は思わない時に降りかかってきますね。
「神様はその人が耐えられない程の災難?辛さは与えない!」とものの本に書いてあったのを読んだ事ありますけど、身も心もボロボロになってしまいます。

病院でも話題の人になってしまった奥様^^  
どうかこれからもいっぱいの話題の種をふりまいて下さいますように…
by ほんのり (2010-01-11 06:29) 

うしさん

奥様の回復すばらしい
ご家族が回復を喜ぶことに答えてくれていますね


夫の介護中に夫の独身の姉からmiyataさんが長兄の方からの言葉と同じ思いをさせられましたが
もちろん死の瞬間もたくさん浴びせかけられましたが。過ぎてみますとやっとああ悲しいのは私ばかりと思っていた私だったことに気がつき、
らくになりました。

苦しさのあまり私は失語症も経験しました。

でも落ち込んでは損です。いやな言葉ことは耳をふさぐしかないような気がいたします。
でもこの悲しい体験は人にはけっしてさせないわたしのなっています。
by うしさん (2010-01-11 09:43) 

yakko

お早うございます。
奥様の笑顔、最高のプレゼントでしたね。
前向きに前向きに・・・(*^_^*)
by yakko (2010-01-11 10:15) 

SilverMac

 奥さまの反応、嬉しい驚きでしたね。脳の神秘は人間の判断能力を超えるように思います。
 私も50歳そこそこで「肝腫瘍の疑い」と診断された時は「そんなに悪いこともしていないのに、なぜ俺だ」と思いました。誤診でしたが。
by SilverMac (2010-01-11 10:18) 

miyata

ほんのりさん、おはようございます。
久しぶりに彼女の笑顔をみました。このアクシデントに見舞われる前から久しく笑顔が消えていたのを思い出しました。彼女の混乱と辛さを理解できていなかったんですね。

耐えられるならばどこまでも、何度でもというのは勘弁ですね(苦笑)。

後退局面も何度か訪れてくるでしょうけど、最後は笑って病院を後にしたいものです。
by miyata (2010-01-11 10:43) 

miyata

うしさん、おはようございます。
ほんとに驚きました。嬉しかったですねえ。

義兄の言葉は、ああやっぱり血が繋がっているんだと思わせるものでした。妹を襲った耐え難い苦痛と共鳴したものだと思いました。苦しみ、背負い、戦っているのは妻本人なのですから。
彼の言葉は、私に向けた言葉ではなかったのでよけいにこたえました。
by miyata (2010-01-11 11:17) 

練習菌

無垢の者の災いというと「ヨブ記」を思い出すけど、まともに読んだことはないなあ。
Wikiの解説を初めて見たが、議論がかなり書かれているんだねえ。
by 練習菌 (2010-01-11 11:21) 

miyata

yakkoさん、おはようございます。
嬉しかったです、ほんとに。
飛び上がりそうになりましたよ。
喜びすぎないようにします(^^ゞ
by miyata (2010-01-11 11:29) 

miyata

SilverMacさん、おはようございます。
なんというか、医師の判断も私たちの予想も全部裏切られました。良かったです。少なくとも、おはようと言葉を認識していることになります。これが一番嬉しい「外れ」でした。
by miyata (2010-01-11 11:36) 

miyata

chihiroさん、どうもありがとうございます。
by miyata (2010-01-11 11:37) 

タケノコ

義兄さんの言動は、当時のうちの義父とかぶってしまいますね。妻には先天的な奇形があったにも関わらず、まったく想定していなかったかのような、泣きと驚きぶりでしたから・・・
失語症状にもいろいろありますが、こちらの言うことが分かっているようだ、挨拶がわかるというのは先ずはうれしいことですね。看護師さんが喜ぶくらいですから、もっともっといい意味での見当外れがおきることお祈りしています。

by タケノコ (2010-01-11 20:23) 

hana2009

こんばんは。

おせきが止まらないの事は心配ですけれど・・・かなり回復をされているご様子は私も嬉しい限りです。

笑顔にプラス、言葉まで発せられたのですもの。皆さんの会話が聞こえているのですね。

お兄さんの言葉に、私の前では決して見せなかった私が倒れた時の母の悲しみ、嘆きようを想像しました。
それは勿論夫も、最近になって聞いたその時号泣した息子のことも。

言うまでもありませんが、一番苦しくて大変なのは奥様ご本人ですから、これからも見守ってあげて欲しく思います。
このまま順調な日々が続きますように。miyata家に春、早く来い!

by hana2009 (2010-01-11 20:55) 

Allora

少しずつ一歩ずつ回復に向かっておられるようで何よりです。

義兄氏の「なんで、こんな目に~」というのは、生きていく上での永遠の問いかけかもしれませんね。失礼ながら義兄氏の子息の自閉症も「なんで?」 健康な家族が事件に巻き込まれたり、火事にあったり。
小生自身も車いす生活。考えてみると人生「なんで?」だらけです。

それをどう受け止めて生きていくか、悲哀にくれたままで過ごすのか、あるいは・・・
タゴールの詩の一節に
危険から守り給えと祈るのではなく、危険と勇敢に立ち向かえますように
痛みが鎮まる事を乞うのではなく、痛みに打ち克つ心を乞えますように
と、あります。
このような状態の時にあてはまる言葉かどうかわかりませんが、また小生に出来るかどうかは分かりませんが、泣いて暮すよりはいいかなと思っています。
少し長くなりました、失礼の段があったやもしれません。その点はご容赦の程を。 奥様の回復を念じつつ。
by Allora (2010-01-11 22:33) 

miyata

練習菌さん、こんばんは。
タイミング良くそういうことを考えていた矢先だったんだけど、どう考えても自分の考えをまとめられそうもない。ということは将来にわたってもまとめられない<かもしれないだろう>都合のよい逃れになってしまいますけどね。とりあえず、因果を超える現実の絶対性の前で選ばないでずっと佇んでいられるか。でも、これだと宗教に行かない代わりに現実に起きることを黙って見逃しかねないし、とにかく今は(将来も)よくわからんたいです。
by miyata (2010-01-13 01:52) 

miyata

タケノコさん、こんばんは。
これねえ、タケノコさんのコメントで気がついたけど私とお義父さんとは饒舌と寡黙の違いだけで、同じですね。今回の事故は振り返ると容易に回避できたものでした。ベランダへ抜けるドアの鍵を三日に一回は開けられるようになっていて、何とかしないと危ないなあと皆で話していた矢先でした。介護を<応接の技術>に解消しようとしていたのではないかという苦いものが残ります。介護を生活の全域に拡張することで介護からの忌避を隠蔽しようとしていたような気がします。これをひっくり返すとそっくりお義父さんですね。
もう一度仕切り直しです。
by miyata (2010-01-13 02:12) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
今日は咳も軽くなってきました。午前中には車椅子にも座ったそうです。それから、胃ろうから食事も少しですが取り始めました。個室から大部屋に移りました。ここ数日の変化にこちらもあたふたしてしまいます(^^)。早く救命救急センターから一般病棟に移りたいものです。月末を待たずにそうなるかもしれません。

ドラマを見て泣くのは娘で、現実の前で泣くのは息子です。私は「男は涙を見せるものではない」という、どこで教えられたのか(両親からそんなことを教えられたことはありませんでした)愚昧な世界に未だ生息しています。でも今回、息子は泣きませんでした。理由は、母の死を覚悟したからだったようです。

病院から帰る時にさびしそうな表情を浮かべます。その表情を見る辛さが生還してくれてよかったという実感をもたらせてくれます。
by miyata (2010-01-13 02:30) 

miyata

Alloraさん、こんばんは。
まさに貴兄のおっしゃる通りかもしれません。練習菌さんのところでも少し触れましたが、私もやはりそんなことを考えていました。ヨブ記で書かれていることは、ヨブを「人」と置き換えると全てですよね。人を「自分」に当てはめるとあり得ないことばかりですけど、あり得ないことはあり得ないのだと。宗教はその辺を付け加えることがないぐらいに追求しているんですね。

タゴールの詩、ありがとうございます。現実に立ち向かう契機はどこにあるのか、やはりそんなことを考えているところでした。逃げずに留まれという声は聞こえたように思います。しかし、それは留まり続けることなのか、一歩どこかに踏み出すことを指しているのか・・・。世代的な感覚としては、どんどん逃げちゃえというのがもっともふさわしいと思うのですが、どうやら私は逃げ切れないところまでずっと追いかけられていたようです。いや、逃げ切れる体力がなくなった時どうするのかという問が世代的な課題だったのかもしれませんね。
by miyata (2010-01-13 02:47) 

練習菌

普通?の宗教では、神と悪魔が出てくるけど、それは、人を混乱に陥れてしまうのでは?
創造と破壊は表裏一体のもので、神と悪魔というふうに2つに分けて考えられないものだと思う。
宇宙のすべては自らの内に在ると言われたり、答えは既に我が内に在り
と言われたりするけど、
現に我々の体内では細胞の生成と消滅の両方がおこっており、それによって我々の身体は維持されている。
その点ではヒンズーのシバ神は当を得ているとおもうなあ。

だから、「幸せと奪われて、不幸を与えられた」と考えるのではなく、
「初めから不幸も幸せもあるのだ」と思う方が良いのではないかな?
by 練習菌 (2010-01-13 04:47) 

miyata

練習菌さん、こんにちは。
このコメントに菌さんがいまおかれている<苦しみ>と<悩み>の表出を見る思いです。
現実の絶対性の前ではどんな理念や思想も届かない。いや、その問題に取り組んだ人間の智慧が宗教なのかもしれないのかな。

>だから、「幸せと奪われて、不幸を与えられた」と考えるのではなく、「初めから不幸も幸せもあるのだ」と思う方が良いのではないかな?

前段はこんな風に問を立てたことはないですね。こう考えるとどうしたって<政治>と<宗教>が忍び込んでくる。後段は問からのひとつの帰結。答えを回避するグレーゾーンとしての<解>の設定。ただ、思考というのはこの枠組みから逃れられないのかもしれない。
by miyata (2010-01-13 15:13) 

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