オカルトっぽい話と経過5 [介護と日常]
娘のちょっとしたオカルトチックな話をすませておきます。出し惜しみをしていたわけではなく、事態の進展が急でそちらの方向に関心がいってしまったせいでもあります。
血の臭いがする
妻が救急車で運ばれたのが昨年12月21日。その日子供達は家で待機していました。翌22日に娘は仕事を早く切り上げ病院にやってきました。顔は腫れ上がり、輸血が続いていました。意識はもちろんありません。医師の説明ほど軽い症状ではないと思われましたが、私たちにはどうすることも出来ません。面会時間が過ぎた頃病院を後にして家に帰ってきました。食事を済ませて炬燵に入りながら、「お母さん、よくないよな」みたいな会話をとぎれとぎれに繋いでいました。
夜の12時を過ぎる頃、三人とも炬燵でうつらうつらしていたようです。とつぜん娘が起きだして「血の匂いがする」と言って炬燵の布団をめくって原因を探りはじめました。私も息子も起きだして鼻をくんくんさせてもそんな臭いなんてしません。娘はちょっときつい表情で「こんなにするのに、なんでにおわへんの」と詰問調になっています。
私は娘に病室で見た輸血とか、身体や寝具についていた血のイメージが残っているのではないかとなだめました。だけど娘は「いや、絶対に違う。なんかおかしい。血の匂いが消えない。何かある」と言いながら自分の部屋に行きました。
翌日、容態が急変して病院から電話がありました。娘はそれを聞いて「やっぱりか。お母さんやったんや」と二人して慌てて病院に駆けつけました。肺への大量出血、脳の出血については23日の記事に書いた通りです。
いやな匂い?
で、23日のことです。医師の説明で肺は出血のため左側の肺は真っ白でした。脳内の出血は二カ所で、その時点ではまだ脳室の髄液は詰まってはいなくて水頭症にはなっていませんでした。肺や内臓への出血が止まらない状態なので手術は出来ない。してもそのまま死に至る可能性もあるということで、このまま脳の出血が止まってくれることを祈るという状態でした。
説明を聞いた後病室の妻を見て娘は「嫌な匂いがする」といいます。どんな臭いなのかと聞くと表現できないというのです。「でもとても嫌な匂いで嫌な感じなのだ」と言います。
その後、容態はさらに悪化しました。翌24日にリスク覚悟の手術が行われたことは25日の記事に書いた通りです。手術後、病室に帰ってきた時は頭から二本のパイプが出ていて、脳室の髄液が排出されています。とうぜん出血した血も一緒に出てきています。
肺に繋がれたパイプからはかなり大量の血が容器に溜まって、さらにどんどん出てきているような状態です。医師の説明は悲観的なものでした。私自身もこんな状態でどうやって治る階梯に足をかけることが出来るのだろうかと絶望的になりました。
その時娘がふと「匂いが消えてる」と言ったのです。そう、我々が諦めたらなんにもならんねと私は言いましたが、娘は「いや、でも大丈夫だと思う。私はそう思う」と確信を持っていうのです。
娘の嫌な匂いという言葉はその後何度も出てきます。肺炎になり気管切開にいたる時も前々日に「今日はちょっと嫌な感じ。少し嫌な匂いがし始めてる」と私の目にはむしろ落ち着いているように見えた時にもそう言って状態を予測して外れることがないのです。
私が娘のいう<いやな匂い>というじっさいの匂いではない<なにかの感じ>を信じることにしたのは入院一週間を過ぎた頃、隣りの病室を通り過ぎて部屋に入ってきた時「お隣さんの部屋の前を通った時にいやな匂いがした。お母さんの時と一緒の感じや。相当悪いんと違うかな」と言った時でした。私はその時そっと隣部屋を覗きましたが昨日と別段変わった様子はありませんでしたし、看護士や医師も詰めているような様子は全くなかったのです。ところが午後三時過ぎになると突然慌ただしくなり始め、夕方には家族や親族が続々やってきました。私たちは病室で決定的な時が訪れるまで息を潜めるようにしていました。
とりあえず、こんな話です。今までこういう事を言う娘ではありませんでした。そういう話しも全然好まない方だし、タイプ的にもあまり縁がないタイプだと思っていました。ちょっと不思議な感じがしました。
急速な回復
個室から大部屋に変わりました。しかも!今日13日、声を出しました!気管切開したところの器具を発声ができるものに交換したのですが、約三週間ぶりに妻の声を聞くことが出来ました。最初は自分の名前。それから、夕方寝ていた時とつぜん目を開けて言った言葉が「台湾に行かなくては」でした(笑)。どうやら、突然なにかを思い出して切迫した気持ちになるのは意識が戻っても同じようです。子供達も声を聞いて大喜びです。
それから、車椅子に座る訓練が始まっています。午前中に少しずつ座るようにしていくとのことです。肺炎はまだ完治ではありませんが肺のレントゲンではずいぶんきれいになっているそうで、咳はまだ止まりませんが痰の量も減ってきました。焦らずに更なる回復を待ちたいと思います。
血の臭いがする
妻が救急車で運ばれたのが昨年12月21日。その日子供達は家で待機していました。翌22日に娘は仕事を早く切り上げ病院にやってきました。顔は腫れ上がり、輸血が続いていました。意識はもちろんありません。医師の説明ほど軽い症状ではないと思われましたが、私たちにはどうすることも出来ません。面会時間が過ぎた頃病院を後にして家に帰ってきました。食事を済ませて炬燵に入りながら、「お母さん、よくないよな」みたいな会話をとぎれとぎれに繋いでいました。
夜の12時を過ぎる頃、三人とも炬燵でうつらうつらしていたようです。とつぜん娘が起きだして「血の匂いがする」と言って炬燵の布団をめくって原因を探りはじめました。私も息子も起きだして鼻をくんくんさせてもそんな臭いなんてしません。娘はちょっときつい表情で「こんなにするのに、なんでにおわへんの」と詰問調になっています。
私は娘に病室で見た輸血とか、身体や寝具についていた血のイメージが残っているのではないかとなだめました。だけど娘は「いや、絶対に違う。なんかおかしい。血の匂いが消えない。何かある」と言いながら自分の部屋に行きました。
翌日、容態が急変して病院から電話がありました。娘はそれを聞いて「やっぱりか。お母さんやったんや」と二人して慌てて病院に駆けつけました。肺への大量出血、脳の出血については23日の記事に書いた通りです。
いやな匂い?
で、23日のことです。医師の説明で肺は出血のため左側の肺は真っ白でした。脳内の出血は二カ所で、その時点ではまだ脳室の髄液は詰まってはいなくて水頭症にはなっていませんでした。肺や内臓への出血が止まらない状態なので手術は出来ない。してもそのまま死に至る可能性もあるということで、このまま脳の出血が止まってくれることを祈るという状態でした。
説明を聞いた後病室の妻を見て娘は「嫌な匂いがする」といいます。どんな臭いなのかと聞くと表現できないというのです。「でもとても嫌な匂いで嫌な感じなのだ」と言います。
その後、容態はさらに悪化しました。翌24日にリスク覚悟の手術が行われたことは25日の記事に書いた通りです。手術後、病室に帰ってきた時は頭から二本のパイプが出ていて、脳室の髄液が排出されています。とうぜん出血した血も一緒に出てきています。
肺に繋がれたパイプからはかなり大量の血が容器に溜まって、さらにどんどん出てきているような状態です。医師の説明は悲観的なものでした。私自身もこんな状態でどうやって治る階梯に足をかけることが出来るのだろうかと絶望的になりました。
その時娘がふと「匂いが消えてる」と言ったのです。そう、我々が諦めたらなんにもならんねと私は言いましたが、娘は「いや、でも大丈夫だと思う。私はそう思う」と確信を持っていうのです。
娘の嫌な匂いという言葉はその後何度も出てきます。肺炎になり気管切開にいたる時も前々日に「今日はちょっと嫌な感じ。少し嫌な匂いがし始めてる」と私の目にはむしろ落ち着いているように見えた時にもそう言って状態を予測して外れることがないのです。
私が娘のいう<いやな匂い>というじっさいの匂いではない<なにかの感じ>を信じることにしたのは入院一週間を過ぎた頃、隣りの病室を通り過ぎて部屋に入ってきた時「お隣さんの部屋の前を通った時にいやな匂いがした。お母さんの時と一緒の感じや。相当悪いんと違うかな」と言った時でした。私はその時そっと隣部屋を覗きましたが昨日と別段変わった様子はありませんでしたし、看護士や医師も詰めているような様子は全くなかったのです。ところが午後三時過ぎになると突然慌ただしくなり始め、夕方には家族や親族が続々やってきました。私たちは病室で決定的な時が訪れるまで息を潜めるようにしていました。
とりあえず、こんな話です。今までこういう事を言う娘ではありませんでした。そういう話しも全然好まない方だし、タイプ的にもあまり縁がないタイプだと思っていました。ちょっと不思議な感じがしました。
急速な回復
個室から大部屋に変わりました。しかも!今日13日、声を出しました!気管切開したところの器具を発声ができるものに交換したのですが、約三週間ぶりに妻の声を聞くことが出来ました。最初は自分の名前。それから、夕方寝ていた時とつぜん目を開けて言った言葉が「台湾に行かなくては」でした(笑)。どうやら、突然なにかを思い出して切迫した気持ちになるのは意識が戻っても同じようです。子供達も声を聞いて大喜びです。
それから、車椅子に座る訓練が始まっています。午前中に少しずつ座るようにしていくとのことです。肺炎はまだ完治ではありませんが肺のレントゲンではずいぶんきれいになっているそうで、咳はまだ止まりませんが痰の量も減ってきました。焦らずに更なる回復を待ちたいと思います。
おはようございます。
奥様の症状の改善、本当に良かったですね。
こちらまで、嬉しくなりました^^
お嬢さんの不思議な感覚、母娘は男達(失礼ペコリ(o_ _)o)))には、理解できない深い所で繋がっていると感じています。
お母さんを想うお嬢さんの気持ちが、そのような危険を感じさせたのではないかな?
まだまだ、きっと大変だろなと想像していますが、廻りの人達も疲れが溜まっていると想います。
寒さも一番厳しい時期です。 どうぞ、宮田家の皆さん、ご自愛下さいね。 風邪をひいてしまったら、病室にも入れなくなってしまいますから…
by ほんのり (2010-01-14 06:44)
お嬢さんの不思議な予感、ありうることと思います。理屈では説明できないことと思いますが、私は信じます。ともあれ、奥さまの病状改善、本当に良かったですね。
by SilverMac (2010-01-14 08:41)
あまり縁がないタイプってのには同感だけど、
やっぱり母娘は繋がっているのだねえ。
嫌な臭いというのは死神の臭いなのかもね?
by 練習菌 (2010-01-14 09:21)
お早うございます。
お嬢さんの不思議な感覚、私も理解できるような気がします。
それだけ絆が深いんでしょうね〜
奥様が良い方に向かわれて本当に良かったです(*^_^*)
さらなるご回復をお祈り致します。
by yakko (2010-01-14 09:27)
ほんのりさん、おはようございます。
今朝はレンタル事務所が妻のベッドや車椅子のいったん回収にきています。長期の入院の場合はレンタルできないんですね。
母娘の関係は、私にはわかりませんね、やっぱり(^^ゞ
母親の側からのものが強いと思っていたのに、子供の側からもそうしたものを感じるんですね。「母親」というものは残りますね。
やっとというか、疲れを実感しました。気をつけねばと思います。
by miyata (2010-01-14 11:25)
SilverMacさん、おはようございます。
私もそういうことは信じるほうです。それが自分の娘だったというのが少々驚きです。妻の急速な改善はここ二三日のことです。これにも嬉しい驚きです。わりあい神経質なタイプで身体に異物などがあると気になってしかたがないほうなので、早めの処置で身体の負担を減らしたことが良かったのかなと思っています。
by miyata (2010-01-14 11:36)
練習菌さん、おはようございます。
死に神さんだったんでしょうか{{{{(;>_<)}}}}
by miyata (2010-01-14 11:54)
yakkoさん、おはようございます。
なんだか説明できないような感覚ってじっさいにあるんですねえ。
女房の声を聞いたのは感激でした。後ははやく救命救急センターから一般病棟に移って今後のリハビリなどにとりかかって欲しいと思います。病院に行くのもちょっと楽しみになってきました。
by miyata (2010-01-14 12:05)
改善し始めましたね
私は戦時中に生まれてはじめての
父の郷里へ疎開しました。
そこでは在宅でも入院でも状態が改善しないときは部落の各家庭から一人出てきよたけさん(お寺)へおまいりにくのです。
それを伝えに来る人が言った言葉は「○○さんにおいゆうと」でした。
もちろんお嬢様のこととは少し違いますが。重態のときに何か感じる=においという言葉なのかもしれません。
私は保健師をする前に臨床の看護師を9年しました。
現実にがんの末期の方は悪疫質という常態になります。そのときは必ず独特ににおいがあります。
どんな病気の方も全部似たようなにおいです。
by にこにこ (2010-01-14 13:41)
にこにこさん、こんにちは。
>「○○さんにおいゆうと」でした。
へ〜。そうでしたか・・。ある時代においては(ある地方においては)「におい」というのはいろんな「意味」を含むものだったのだというのを今に残る「例え」とか「使い方」だけではなく、あるいは読むもの(古歌)から知識として理解するだけではなく、あったんだというようなお話ですね。
私の母も癌で死にました。その時のにおいは忘れられません。
by miyata (2010-01-14 14:33)
miyataさん、こんにちは。
娘さんの鋭い嗅覚、いえ感覚も素晴らしいですけれど・・・奥様の回復ぶりの凄さには私も驚いています。
発声だけでなく、しっかりと言葉にされているのですね。
車椅子に座る訓練は、私も手術の翌日からしました。無理やりにさせられたと言う感じです。
それだけの大手術の後でも、身体の回復のためには早めにして、手足が一日でも早く動かせるようにした方が良いのでしょうね。
miyataさん、ご家族の皆さん、これからを楽しみに思われていらっしゃる事でしょう~
毎日の通院を、どうぞお気をつけてくださいませ。
by hana2009 (2010-01-14 16:02)
声が出たとのこと、嬉しいです。
ご自愛しながらも、がんばってください。
by mi- (2010-01-14 21:01)
こたつの辺りに出血痕でも・・・と
病院独特の臭い(する病院としない病院があります・・・消毒臭のような臭いもですが、そうではない体臭とかいろんな臭いが混じった表現しがたい臭い)でもなさそうですね。感覚的な何かなのでしょうね。
声が出ただけでなく、名前もちゃんと言えたとのこと、車イスでの訓練と思いのほかの回復振りには驚きですね。
妻は発話はなかなかでしたが、最初はなんでそういうのか分からないこと(脈絡のなく、いきなりという点は同じです)を繰り返し言っていたように思います。
肺炎だけはこじらせると年齢的にも大変でしょうから、じっくり完治を待つしかないですね。
by タケノコ (2010-01-14 22:06)
hanaさん、こんばんは。
まったく驚いてます。今日は二口ですがゼリーを食べる訓練が始まりました。車椅子に座ってゼリーを食べて、うまくいくと嚥下で問題がなければ気管切開を閉じて、胃ろうからも脱出できるかもしれません。いや、でも焦らないようにします。なんとか命だけでもと願った事を忘れないようにと。大事にします。それが生き残った者の流儀として。
by miyata (2010-01-15 00:48)
mi-さん、ありがとうございます。また、○ばら動物園を見ながらお勉強できそうです。感謝!
by miyata (2010-01-15 00:50)
タケノコさん、こんばんは。
最初に炬燵布団をめくったのは、私が血を流しているのではないかとふと思ったのだそうです。というのは三ヶ月ほど前に腸から出血して(痔ではありませんが)便器を真っ赤に染めたことがあったからだそうです。
まだそれほどではありませんが、返事や名前はしっかり出来ます。「お腹が痛い」というのも言いました。失語はまぬがれそうです。
肺炎とか感染症には救命病棟だけに非常に細かく管理されているのが心強いです。一般病棟に移るのが次の段階かと思っていましたが、回復のタイミングを逃さずにリハビリ専門病院に移るという方向で検討に入りました。というのはこの病院ではリハビリに費やされる患者あたりの時間は平均で15分ほどしかとれず、ほとんど出来ないといって差し支えないと医師が言うのです。病院を予約しても二三週間は空くのにかかるので、その間に今の問題点(肺炎とか骨折とか頭の傷)を解消して一気にリハビリで上昇に勢いをつけましょうと今日言われました。
by miyata (2010-01-15 01:03)
炬燵布団をめくって、下血で真っ赤になっていたら、それはそれで
怖いですねえ。
何年か前に、堅いウンチしてお尻が切れて、便器が真っ赤になった時がありました。
もう血を見てびびる歳ではなかったんですが、あまりの赤さに
ちょっとクラッときましたね。
by 練習菌 (2010-01-15 06:31)
おはようございます。
>長期の入院の場合はレンタルできないんですね。
そうなんですよ! 在宅介護と入院とか施設入所してしまうと福祉制度が全く代わってしまうのです。。。
たぶん、ケアマネさんと色々打ち合わせもある事でしょう。
現在の福祉制度は分かりにくいし、使いにくい・・……(-。-) ボソッ
奥様の状態も在宅当時と変わって来ているので、介護認定も又受けなくてはなりませんね。
看病しながら、こういう事務的な事や経済的な事をするのが一仕事です。
ERのDr.や看護師さんの質の高さにはいつも感謝し驚かされます。
一般病棟よりも、ERでしっかりと管理してもらう方が安心だと想います。その後リハビリ専門の病院へとなら、本当に理想的ですね。
毎日、死と向き合っている人達ですから、厳しい事は厳しいです。
でも、お上手?を言わずにズバッと言ってくれるので、とても分かり易いです。
by ほんのり (2010-01-15 07:03)
介護保険から医療保険になる
介護ベッドは引き揚げられる
そうしますと外泊が不可能になりますね
内緒かもしれませんが
レンタル業者の倉庫に入れてあるとしょうして
ずっとおいてあるお宅はあります。
費用のことなどはまったく存じません
by うしさん (2010-01-15 13:21)
練習菌さん、こんばんは。
そうですか。切れましたか・・(-人-)ナームー...
最初に出血した時はさすがにクラどころではなくクラクラクラッとしましたね。半分気絶状態ですよ(笑)。すぐに病院に行ったら痔ではなくてすぐに総合病院へ行けと言われた時は真っ暗になりました。40の時ですね。最初の時ほどの衝撃はないですけど、やっぱりあまり気分の良いものじゃあないです。
by miyata (2010-01-15 21:25)
ほんのりさん、こんばんは。
介護認定もやり直しになるんですね。今までの入院は短期だったのでそういうことはなかったのですが、また医師の意見をもらったりとかいろいろしなくちゃあいけなくなりますね。
一般病棟と救急病棟とは体勢が全然違うんですね。てきぱきして安心して見ていられます。けど、痰の吸引は辛そうで見ていられないです(;^_^A アセアセ…
by miyata (2010-01-15 21:46)
うしさん、こんばんは。
介護保険から医療保険になるとどうなるかというと、ずっと借りていられますが「実費」になるそうです。すると、今まで車椅子とベッドで月額2700円が27000円ということになります。
そりゃ、たまりません(笑)。
外泊できるようになっても大丈夫です。私はまだ若くて力がありますから、ウンショと抱き上げてトイレでもお風呂でも連れて行きます(^^)v
by miyata (2010-01-15 21:55)
お嬢さんの感覚、非常事態に対する防御反応のようなもので、とぎすまされていたのでしょうね。
介護保険と医療保険の事も気になりますね。障害者の場合色々な手当がありますが、在宅でないといけないとか、3ヶ月以上入院していると、支給制限されるとかいった手当もあります。
奥様の場合、身障者であるといった申請はできないのでしょうか?
by Allora (2010-01-16 23:02)
Alloraさん、こんばんは。
なんか、とぎすまされていたという感じはあります。救急病棟に入院した女房は、まちがいなく半分以上は「生」から遠ざけられた状態でした。
身障者の申請は違う窓口から紹介されて行きましたがなぜか門前払いでした。ただの感想ですが、京都は然るべき筋を通さないといろんな事が簡単ではありません。逆に通すと簡単であって、その敷居が低いために高さが生じるという地域でもあります。
by miyata (2010-01-17 03:04)