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経過6 [介護と日常]

妻が入院している病院の救命救急センターは七階建てで四階から上が病棟である。エレベーターを下りると自動ドアがあり、病室を隔てている。昨日病院に行ってみるとその自動ドアが「手動ドア」になっていた。つまり自動ドアの電源が切られていたのだ。張り紙が貼られていて「患者の安全を確保するためにご協力ください」と書かれていた。
七年前、妻が運ばれた病院は病室に行くのにこの自動ドアという遮蔽装置はなかった。同じ系統の病院だが、今入院している病院の方が新しいのだと思う。妻はリハビリ病院に転院する前、二度ほど病室から姿を消して騒動になったことがある。エレベーターに乗ってどこかの階に行ってしまったのだ。
で、今の病棟で自動ドアが手動になってしまった原因はすぐにわかった。急激に回復された患者さんの一人が自分の部屋やトイレがわからなくなってさまよいはじめたのだ。彼は妻がいる部屋によくやってくる「お客さん」で、最初はあたりまえのように入ってくるのだが、ベッドに空きがないのを見てあれっという表情をしてから、困ったような顔になり私の顔を認めると照れ笑いのような笑顔で「おかしいなあ」とつぶやいて、出ていく。少しすると看護士さんの「あっ!」という声とバタバタと廊下を駆ける音がして叱られる声が聞こえてくるのが常である。
おそらくこの患者さんが詰め所の前を通り過ぎて、エレベーターに乗ってどこかに行ったのであろう。夕方になると息子さんが見舞いに来ている。息子さんはよく病室から連れ出して詰め所の横にある「家族詰め所」でこの患者さんと向かい合って座っている。私は妻が寝始めると狭いベッド脇の腰掛けから移動してこの家族詰め所にあるリクライニングするソファで休憩をするのだが、そこでこの二人と出会うのである。会話がはずむわけもなく、微妙な雰囲気で向かい合っている。時折お父さんらしい彼が「さあ」と声を出す。そして、「さあ、そろそろ行くか」と言い始める。息子さんは苦笑しつつ「どこへ行くつもりよ。もうちょっと良くなるまで我慢して病気を治さないと」とか言っている。そして、少し間をおいてまた同じ会話が繰り返される。
この会話はわが家の会話と同じで、もう何度繰り返してきたかわからない。「さ、行こうか」と妻が言い、「どこへ?」と私が聞く。窯、訓練校、工業試験所、五条、病院、歯医者、友達との約束、葬式、結婚、バレー、三味線、テスト、口から出た外国etc。ふとどこも行くところがないことを知っていてそう言うのではないかと疑いを持つことがある。今ここにいる座標軸が定まらない不安が「どこかに出かける動機」になっているのではないか。むろん勝手な解釈に過ぎない。逆に私が妻に「さあ行こうか」と声をかける時、妻が素直に応じることは滅多になかった。私には今やるべき事があるので用事があれば行ってくださいと確信を持った態度で応じてくることが多かった。そんな時は不安げな様子はまるで感じさせない。私の働きかけを媒介にして自分の軸が定まっているからであろう。おかしなことにこう言われると今度は私が不安になってくるのである。いったいなにをするんだろう、何をやろうとしているのだろう、なにかをやらかすに違いないなどと思い始めるのだ。

自動が手動になったドアは開けるのにけっこう力がいる。妻はとても良かったり、そうでもなかったりを繰り返しつつどんどん良くなっていく。昨日から24時間連続の点滴がなくなった。その姿はもう普通の入院患者である。話せる言葉はまだまだ少なくて、いつでも話せるわけでもない。言葉が出るようになったと聞いて喜んだ義妹が見舞いにやってきた。私の兄も見舞いに来ていた。帰る時「気をつけて」と兄に話したそうだ。

胃ろうからの夕食が終わった後、眠りそうになりながら私になにかを話そうとする。顔を寄せてその細くてしゃがれた声を聞き取ろうとした。
「さ、帰ろう」と彼女は言っていた。
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ほんのり

おはようございます。
奥様の快復の様子、嬉しく読んでおります。
痰の吸引は本当に痛そうで、家族の者は見ているのも辛いです。
でも、吸引してもらった後は呼吸するのも楽になるようですから、我慢してもらわなくては…

毎日 病院へ行く事はとても疲れるように想います。
病院と言う所は、元気な人間も病気にしてしまうような所だな~と。妹の毎日通院に付き添って実感しました。
miyataさんもご自愛くださいね。
奥様が、ますますしっかりして来ますようにと、お祈りしております。
by ほんのり (2010-01-18 11:05) 

Allora

順調に回復されているようで何よりです。
ただ「胃ろう」というのは、知らなくてネットで調べましたが、大変な事ですね。
いずれにせよ家に帰られても介護生活は続く事ですし、ご自身もご家族も疲れがたまらないようご自愛ください。
by Allora (2010-01-18 11:43) 

hana2009

miyataさん、こんにちは。

点滴の回数が少なくなっているとの事。
あの最中は身体が動かせませんから、少しでも減る事はご本人にとって今までになく楽に思えるのではないでしょうか。
回復して点滴の必要もなくなってきているということでもありますし。

帰ろうの言葉は・・・お二人の、ご家族の願いがこめられた言葉に思えました。


by hana2009 (2010-01-18 11:52) 

うしさん

お兄様にお気をつけてはいえて
夫には「さ帰ろう」奥様の頼りきった本音がきこえてきたようにさえおもいますが。「よし わかったといって」忘れるまで待つしかないのでしょうね
妻が夫に本当の願いが言える。尊いことなのだとはおもいます。
by うしさん (2010-01-18 12:55) 

SilverMac

良いニュースを聞き、うれしく思います。
by SilverMac (2010-01-18 23:18) 

miyata

ほんのりさん、こんばんは。
お気遣いありがとうございます。私は元気ですと空元気で笑い飛ばしたいところですけど、さすがに疲れを感じています。
いつも死の重さがあり、その重さと混じり合うことのない生の喜びが壁やカーテンを隔てただけの空間に共存していることが私をひどく疲れさせるのです。病院は日常が希薄なのではなく、あまりにも濃密な空間なのかもしれません。けれども、毎日の控えめな喜びの交換が私を癒してくれていることも事実です。この疲労感に耐えることが今の私にとって希望に繋がる道のような気がしています。
by miyata (2010-01-19 02:37) 

miyata

Alloraさん、こんばんは。
胃ろうは着実に妻の体力を回復させてくれています。食べる訓練もゼリーから少し固いものを少しずつという段階に入ります。嚥下が確実になると経口摂取と胃ろうとの二段構えから気管切開を閉じ、ついで胃ろうを塞いでという順序になると思います。骨折の方はまもなく四週間になりますからそろそろ仮骨ができてきてもっと体も動かせるようになるでしょう。
そうすると、意識もさらに鮮明になってくるのではないかと期待しています。家に戻ってくるのは、いつ頃になるのでしょうねえ。待ち遠しいです。でも春にはきっと戻ってくれるのではないかと思います。また二人で鴨川の桜を見たいものです。Alloraさんも一日でも早く足を治されて、古巣京都においでください。
by miyata (2010-01-19 02:49) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
点滴も減ってずいぶん楽そうになりました。身体の姿勢を変えることはまだ自分では出来ません。定期的に看護士さんが二人がかりで体位を変えに来ます。麻痺が出ている右半身ですが、右手を握ったり開いたりは出来るようになりました。これもごく最近の驚きのひとつです。
ただ・・ただ右手と右足が動かない状況について妻は大きな異変をようやく感じ始めているようです。右手や右足のことにふれると、とたんに憂鬱そうな表情になり、目線も外します。この事に関しては、私はどのように彼女と接するべきなのかまだなにも考えられていません。いろんな意味で大きな宿題です。
by miyata (2010-01-19 02:56) 

miyata

うしさん、こんばんは。
なんだか、こういう時が一番切ない気持ちになる時でもあります。早く連れて帰る時が来るように願うしかありません。
by miyata (2010-01-19 02:59) 

miyata

SilverMacさん、こんばんは。
ほんとうにありがとうございます。これもSilverMacさんはじめみなさんのおかげです。晴れ晴れとした顔で家に帰る日をここで報告できる日が来ることを願っております。
by miyata (2010-01-19 03:02) 

miyata

chihiroさん、こんばんは。
いつもありがとうございます。
by miyata (2010-01-19 03:04) 

yakko

お早うございます。
順調なご回復に安堵しました。「家族詰め所」のお話、分かるような気がしました。奥様、早くおうちに帰りたいんですね。
そうなる日が来るようにお祈りしております。

by yakko (2010-01-19 09:07) 

hana2009

これは私自身の事なので、とても参考にはならないかと思われますけれど・・・
発症から退院までの一年近く、家で通常の生活が始まるまで。
母が言うには、私は喜怒哀楽をほとんど出さなかったそうなのです。
それだけ自分の変化に戸惑っていた、現状を受け入れられずにこれは自分ではないと思い込もうとしていたのかもしれません。自分の殻の中に閉じこもっていたと言う事でしょう。

そんな姿を見ているのは、家族にとっても大変つらいことです。でも、それを代われない限り、見守るしかないのでは。

麻痺側の右手が握ったり、開いたりって・・・麻痺が強く出なかったのでしょうか。
私など、もうすでに4年半、これほどリハビリをしていると言うのに、手の方の回復は以前望めないままです。

希望を持って、春の到来をお待ちになってくださいませ。
その前にmiyataさんご自身に何かあってしまうことのありませんように、ご自愛ください。
by hana2009 (2010-01-19 16:32) 

すず音

こんばんわ
奥様回復なさってきていて とても嬉しいです。
母親はもう寝たきりに近い状態ですが 食欲はすごく
回復に時間はかかっても 良いところまで行けそうです。
奥様の点滴は 胃ろうが始まったからそのうちに無くなると
思います。胃ろうは吸収が早いので栄養状態は凄く
良くなって、太ってくる人が多いです。それに何故か皆さん
黒髪になります。亜鉛やコラーゲンが入っているためかも
知れませんね。お互いに今年こそは病気から縁を切りたかったのですが。体に気をつけて下さいね。miyataさんちはご家族の仲が良いので心配していませんが、本当に奥様がこのペースでどんどん回復することを 祈っております。

by すず音 (2010-01-19 19:03) 

tonton

こんばんわ
ご無沙汰しております。
奥様の大変な状況毎回ブログで拝見させていただいておりました。
本当に回復なさってよかったです。

我が家の入院していた主人も3回の開頭手術で今のところ
傷の着きもよく退院し元の生活に戻っています。

奥様の笑顔の写真をUPしてくださいね~

娘様の血の臭い
有名な方で先が見える方が
「見える訳ではなく 臭いのような感覚」って言っていた気がします。
きっとお母様への想いが嗅覚を敏感にさせたのかもしれませんね。
ありえない事ではないと思います。
by tonton (2010-01-20 00:05) 

案山子

無事な回復を心よりご祈念申し上げています。
by 案山子 (2010-01-20 18:25) 

タケノコ

そういえば、一度だけ利用したショートステイにもこの自動ドアの手動がロビーから個々の部屋への境に有りましたね。やはり滞在者が目を離したすきに外に出ていかないようにとのことだったと思います。

妻もリハ病院での後半には「うちに帰る」といったようなことを言って、夜中に柵を越えてベッドから立ち上がっていたこともあったそうです。(隣の患者さん談)奥様の帰りたい、病院から自宅へ戻りたいという意志の現れであって、それが良い方向、回復へ向かってくれるといいですね。
by タケノコ (2010-01-20 20:53) 

miyata

yakkoさん、こんばんは。
返事が遅くなってすみません。帰りたくなるほど回復しているとはとうてい思えませんが、家のことを覚えていてくれたことに感動しています。ただ、実家のことなのかわが家のことなのかは今もってわかりませんけど(笑)。気管切開は遠くない時期に閉じられそうな気配です。胃ろうについてはまだ全くの未定です。
by miyata (2010-01-21 02:03) 

miyata

hanaさん、こんばんは。
麻痺の強度は全然把握できていないのです。だけど腕を支えることと、足を動かすことはまったく出来ません。それだけに右手を握ったり開いたり出来るのには驚きました。
負担になるかもしれないと思いつつ、動かない腕をさすったり動かしたりしています。
by miyata (2010-01-21 02:16) 

miyata

すず音さん、こんばんは。
お母さんの具合、やはり食欲が影響するんですね。
女房は胃ろうから本格的に食事をするようになってから、点滴はほとんどなくなりました。腕の針も抜かれました。まだ目立って体力が回復したという感じではないのですが、すこし血色が良くなったような感じです。
黒髪になるんでしょうかね。まだ手術の時の髪がほとんど伸びていなくて、まるで落ち武者のようでもあります(笑)。
ほんとにそうですね。お互い病気や怪我と縁のない一年を送りたいものです。またそうなるよう心がけます。
by miyata (2010-01-21 02:24) 

miyata

tontonさん、こんばんは。
ご主人は三回も開頭手術されたんですか・・。嫁さんの場合、今回開頭ではなくて穴を二カ所開けただけですが、もし開頭が必要だったら体力的にももたなかったでしょうね。
娘は自分でそういう感じる能力があるとか、まったく無自覚でしてそういうことを娘にはあまり言わないようにしています。でも、日替わりメニューのように変わる様子を見る時の娘の反応をいつの間にか悟られないように観察する癖がついてしまいました(笑)。
いつかきっと笑顔の写真をアップしますよ。お約束します。
tontonさんもお疲れになりませんように。
by miyata (2010-01-21 02:35) 

miyata

案山子さん、こんばんは。
ありがとうございます。感謝します。
by miyata (2010-01-21 02:36) 

miyata

タケノコさん、こんばんは。
自動ドアは復活していました。その代わりというか患者さんには背中に大きなゼッケンが張られていました。どちらがよいのかわかりませんけど、少なくとも大きなゼッケンと引き換えに限定付きながらも行動の自由を確保できたようです。
まだ回復に向けての意欲が前面に出ているとは言い難いのですが、そうあって欲しいと思います。
by miyata (2010-01-21 02:41) 

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