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経過報告13 [介護と日常]

病院の食事時はまさに戦争である。50名ほどの入院患者に対してスタッフは8人ほど。食事全介助の人、見守りが必要な人、動けない人、認知症の人、自立している人等々。
スタッフが充実しているとはいえ、患者一人に一人の看護婦、看護士、介護福祉士さんたちがつけるはずもなく、一人が何人も対応しなくてはならない。それぞれまさに獅子奮迅の戦いぶりである。最初の一陣の世話がだいたいのところ片づくとさらに重症の第二陣が入場してくる。この人達は人数は少ないが食事介助により注意が必要な人たちのようだ。おそらく嚥下障害などがあるのだと思う。だから、この第二陣にはそれぞれに付きっきりで食事介助をする。

妻が食事をするテーブルは8人。全部女性で、お年寄りグループである。妻を含めて6人は入院以来固定メンバーだが、お隣さんは4日ほど前にいなくなった。聞けば三ヶ月が過ぎて上の階の療養病棟に移ったらしい。階を隔てたとたんに忽然と消えたように感じる。自由に動ける状態ではなかったので彼女が下の階に顔を出すことはない。このおばあさんは、周りとも良く話をしていたし食事中にも妻のことを気遣ってくれた。ただ、認知症がかなりすすんでいるようで彼女自身それを打ち消すように頑張っているのが痛々しかった。驚いたことがあった。あまり身内の方は見えなかったがたまたま顔を見せている時に出会った。嫁といった雰囲気の人だった。その人もかなりの年齢で私の妻と同じくらいに見えたのだが、この人に対するおばあさんのきつさは半端ではなかった。なにか世話を焼こうとすると実に激しい拒否と手厳しい叱責をする。あまり顔を見せない理由と退院ではなく療養病棟に移った理由がなんとなく理解できた。いつも正面に座っていたおばあさんは席替えでちょっと離れたテーブルに移った。

入れ替わりに隣りと正面に最強のメンバーが加わった。正面に座ったのは、食事中大声を上げるおばあさん。大声を上げるのは決まって怒っているのである。しかもその相手はご主人だ。ご主人がいない時は愛想も良く、食事中も静かなのだがご主人が来て食事の介助を始めるとほとんどヒステリーのようになってご主人のすることなすこと大声で怒るのである。今日はご主人が来て食事介助をはじめると案の定気に入らなくて怒り始めた。ご主人がスプーンで食べ物を口に運ぼうとすると「ウワーン!」と言って怒る。食べたいものが違うようだった。次に運ぶとまた怒る。それも違うようだった。
妻は目を白黒させている。妻の席は端っこだから私とご主人は並んで座ってそれぞれ食事介助するのだが、ご主人は奥さんが怒るたびに周囲に申し訳なさそうに体を縮めている。怒っている最中に私が大丈夫ですかと声をかけると奥さんの方は愛想笑いと亭主に対する怒りでほとんど泣き笑いのような顔になってありがとう(といっても言葉になっていないが)と答えてくれた。半身麻痺と失語症で言葉が上手く話せない。だが意識はしっかりしている。この夫婦にいったいなにがあったのだろうとちょっとした興味が湧いてくる。
お隣は新しい患者さん。おそらくもう90に届くのではないかと思われるお年寄りで小柄なおばあさんだが、ごはんをほとんど食べないし自分の食膳にあるごはんやおかずを隣りの妻に食べさそうとする。その反対隣りは入院患者中最高齢の97才のおばあさん。この方は食欲もありしっかりしている。新しい患者さんに食べないと元気にならないよと声をかけるのだが、それを受けて玉突きのように関心は妻に向かう。妻のごはんが少なくなってくると自分が手をつけていないごはんを妻の器に入れようとしてくれたり、おかずの皿を妻の前に置く。妻がそのおばあさんの手をとって、自分が食べないとお腹が空くよと声をかけるのだが妻の声も小さくて聞こえているようには思えないし、そのおばあさんの声もまた蚊の泣くようなか細い声でなにを喋っているのか聞き取れない。新入りのおばあさんはあまりに妻にかまうので看護婦さんに見咎められて席を移動してしまった。妻は混乱しつつも自分の食事は全部食べた。前のおばあさんも早めに退席した後、妻は小さい声をさらに細めて「みんな、たいへんやな」とつぶやいた。

人はあまりに多くのことに気配りをしなくてはならなくなった時、行動の目的が最後まで達成されることは少ない。つまりあらゆる事はできないということだ。逆にいえばひとつのことをやろうとすれば他を放棄することによってでしか目的を達成できない。食事時の患者さんの要望は同時多発的だ。したがってしばらく取り残される人も出てくる。元気で働き者の看護婦さんがいる。彼女はあらゆる要望にすべて応えようとするあまり、順番に最初の要望から忘れていくような人だが常に一生懸命で患者さんからも好かれているようである。割合良くいるタイプの人だなあと思って見ていた。
その看護婦さんが第一陣の嵐が過ぎた後、病室から車椅子で大柄なおじいさんを食堂に連れてきた。だが、どうもおじいさんが元気がなさそうなのでその看護婦さんは元気を出してもらうためにおじいさんの好きらしい歌を耳元で歌い始めたのだ。それがまたすばらしい美声で上手!なのに驚いた。食事の後、部屋に戻らずに食堂でのんびりしていた私と妻はその歌声を聴いて顔を見合わせた。私はもちろん冗談だったが妻に「あんた、かてる?」と聞いた。すると妻は「負ける」と答えて笑った。

二週間も過ぎると他の患者さんから良く声をかけられるようになった。皆は私が息子なのか亭主なのか判断に迷っていたようで亭主だと聞くとやっと納得したように私のいない間の妻の様子を話してくれる。どうやら私にはあまり見せない「よそ行きの笑顔」でそれなりに周囲を和ませていることがわかった。リハビリ室で奥さんに出会うと、にっこり笑ってくれるので元気が出るのよとある患者さんは話しかけてきた。妻なりの適応をしているのだと知った。そういえば、一昨日の食事中自分の箸を止めてじっと見ている視線の先にいつも一人離れた壁の隅で食事をしている男性患者がいる。どうして彼がその席になったのか理由は知らない。妻にどうしてそんなに見ているの?と聞くと「ごはんをちゃんと食べているのかなと思って」とのこと。人にかまいたくなる程度に気持ちの方も回復してきているようだ。

幻覚はずっとつきまとっているようで、ベッドで横になったあとずっと天井の方というかあらぬ方向を見ているので何を見ているのか、なにが見えているのかを聞いたところふだんあまり使うことがない言葉が返ってきた。
「きょたい」
きょたい?きょたいってなに?大きな人?
「虚無の虚、虚体」
虚体?また変わった言葉を使うね。どんな人?笑ってるのかな。
「虚体だから、表情もなにもない」(どうやらわかって言葉を使っているようだ)
よく出てくるの?
「そうやな。わりに最近出てくるな」
とのことだった。「脳の中の幽霊」という本のことをふと思い出したが、そう言われると私も表情のないのっぺらぼうの「虚体」に見つめられているような気配がしてちょっとゾワッとした。
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SilverMac

自分自身へのいらだちが周りの人に対する行動になるのでしょうね。
by SilverMac (2010-03-10 18:15) 

うしさん

人はみな何らかの環境に適応していきねばならないときっがるのですね
奥様がよく適応なさっていることがとてもうれしかったです。いろいろと大変だろうなと思うこともないではないですが夫が入院中にずっと付き添っていました。ご家族の思いはいろいろとおききしました。
ただおおらかに笑顔でと願うばかりです。
by うしさん (2010-03-10 18:17) 

yakko

こんばんは。 奥様は順調のようで安心しました。(^。^)
同室の患者さんといろいろな人との関わりが目に入ってきますね。

by yakko (2010-03-10 21:55) 

hana2009

こんばんは。
奥様は言葉も、意識レベルの方もしっかりされているご様子ですね。
私が入院していたリハ病院・・・そこは、やはり圧倒的に男性が多くて、女性部屋は3室だけでした。
そして食事の時のテーブルは、同じような症状の人別になっていました。

急性期の静岡の病院から転院した日の、初めての食事。
自分のことは自分では見えていないから、「何だか、スゴイところに来ちゃったなぁ」と言う気持ちと、緊張感で半分も食べられませんでしたっけ。

常に一生懸命で仕事熱心過ぎて、その結果やる事が中途半端になってしまっていた看護婦さんを私も知っています。
彼女、若い患者さんによくからかわれていました。

miyataさん、ここでも息子さんでしたか。お若く見えるのですね(笑)

by hana2009 (2010-03-10 22:53) 

miyata

SilverMacさん、こんにちは。
この病院はリハビリ病院なのですが時代を反映しているのか高齢者が目立ちます。みなさん話が面白い。それも80歳の方が「あなたはまだお若い」と言われて恐縮している会話なんて面白すぎます。入院のきっかけは聞いた範囲だと骨折と脳卒中が多いですね。女性はとくに骨折が多いように感じます。なんとなくですが、老いも含めて自分の不自由と折り合いが難しくなる、人に応じた閾値があるように思います。そこは年齢層に関係なく、また一度越えたからといって解消するのではなく、何度も訪れるのではないかと思ったりしました。
by miyata (2010-03-11 13:18) 

miyata

うしさん、こんにちは。
うちの嫁さんはあれでなかなか上手に自分の居場所というかおつきあいをしているようです。私はよくわからないのですがスタッフの方に聞くと入院当時とここ一週間は見違えるようだと言ってくれました。歩けるようになると良いんですがねえ。
by miyata (2010-03-11 13:22) 

miyata

yakkoさん、こんにちは。
入院患者さんの中では数少ない認知症なので心配していましたが、みなさんがいろいろ良くしてくれているようでホッとしています。身体の回復の方は今はなかなか成果が出にくい時期のようでここからが踏ん張り時ですね。本人も諦めずにリハビリに取り組んでいます。
by miyata (2010-03-11 13:25) 

miyata

hanaさん、こんにちは。
hanaさんが入院した時は男性が多かったんですね。この病院は女性が多いですね。脳卒中と骨折が多いようです。それも高齢者が多いです。土地柄なのか時代を反映しているのかはよくわかりませんけれども。
病院を変わられた時、不安だったでしょうね。わかる気がします。

また息子と言われちゃいました。嫁さんがやはり急激に老けてしまったのでよけいにそうも見られてしまうようです。私自身は、年相応です。だと思うんですがね。おつむの方はどうも軽いままなんですけど(__;)
by miyata (2010-03-11 13:44) 

ほんのり

こんばんわ♪
病院の食事時って、本当に戦争騒ぎですよね。
父が入院して、食事当番を母と妹と私で、昼夕食を決めていた時を懐かしく思い出しました。
神経科の病棟でしたので、若い可愛い子も入院していて、父はとても気に入って話しかけていました。(これだから男は、何歳になっても…)と、若い彼女に「ごめんなさいね。 適当に付き合ってくれていいのよ。 ありがとう、父はご機嫌のようです。」と…
話してみたら、彼女の手首にはためらい傷?が何本かついているし…
タトゥーもしていました。
大変な状態を乗り切っているんだな~と想いながら…
可愛い彼女Fちゃんと言ったな、「大丈夫ですよ。 家にもおじいちゃんがいて、私、おじいちゃんが大好きだったんです。 ここで〇〇さんと話していると、おじいちゃんを思い出します。 無理していないから安心して下さい。」と…
こういう、優しいナイーブな子が、この今の社会では傷つくのだろうな、とちょっとしんみりしてしまいました。

退院しても、外来で会ったりと、そんな時にも、嬉しそうに遠くから手を振ってくれて「〇〇さん、又会えたね♪」って声をかけてくれていました。
傷ついた彼女の心が治ってくれているといいな♪と、今日思い出しました。
by ほんのり (2010-03-11 19:56) 

タケノコ

席のならびや同部屋の関係も、通常の女性でもあれこれあるのに、病院となれば様々ですね。私たち夫婦も、リハ病院では稀有な存在だったので、私が行けば、珍しそうに眺められたり、話し掛けられたりしたモノです。旦那さんが頻繁に見舞いに来るのはまれだよと同卓の皆さん。たしかに奥様や娘さんというのは多かったのですが、miyataさんのような方は数少なかったですね。

巨体ではなく、虚体ですか、難しい言葉(私のATOKでは変換できませんでした)の方がなぜか分かっていたりするのは不思議ですね。妻も仕事上の専門用語を分かったりしますね。(これは私には判るのですが、一般の人には当然??)
by タケノコ (2010-03-11 21:06) 

miyata

ほんのりさん、おはようございます。
やさしさというのは、自分を守ってくれないのでしょうかね。私も自分の入院中にやたら派手な若者が実はとても優しくて素直だったことに驚いたことがあります。そうそう、ちょうどスノーボードの国母選手のような若者でしたねえ。最初に「こうでもして自分を守らなくちゃあ」と思いはじめたきっかけはなんだったのかつい考えました。思い起こせば自分もそういう時期があったんですよ。大人になるとついそのことを忘れてしまいがちになるんですけどね。やらかい内部を覆い隠す強い外皮とでもいうのでしょうか。
自分の場合それはあっという間に過ぎ去るのですが、いちばんいろんな事に感動して涙を流した(この場合は人知れずということになるのですが)時期でもありましたねえ。後に出会う感動はこの時の痕跡に再び出会うという感じです。
ほんのりさんのコメントでつい私もいろんな事を思い出してしまいました。どうもありがとう。
by miyata (2010-03-12 10:13) 

miyata

タケノコさん、こんにちは。
最初に妻が倒れた頃、つまり七年前には確かに亭主が付き添うというのは珍しかったですね。私はじつはちょっと驚いているんですが、今の病院には私のような立場の人が少なくとも五名以上いるんです。みなさん私よりも年配なんですが単にこの病院の特徴なのか、時代が急激に変化しているのかそれはわかりませんけどね。

虚体という言葉はきっと広辞苑にも載っていないと思いますよ。どうしてこんな言葉を使うのか理解できないですね(苦笑)。この言葉(造語)が出てくる小説を妻が読んでいたとは絶対的にあり得ないのです。この病院でそういう言葉に出会ったのでしょうか。いずれにせよその言葉が妻の口をついて出てきたことに不思議な思いがします。
by miyata (2010-03-12 10:32) 

Allora

我が方は明日転院先からの連絡で、転院日が決まりますがどんな入院生活になるのやら。
願わくばさっさと回復して歩けるようになって、本人の望むとおり早く家に帰ってきて在宅で何とかやっていきたいのですが・・・

奥様も早く回復されて、帰宅できるといいですね。と思いつつ帰宅されたらされたで、貴兄の負担も増えて大変だしとも思ったり。
お話を読んでいると介護される方もする方も、それまでの関係性やらが顕在化して、色々なパターンというか人がいらっしゃいますね。
by Allora (2010-03-14 22:57) 

miyata

うしさん、こんにちは。
コメント遅くなりました。今ではとんでもないと言われ、家庭内暴力(DV)だと認定されかねないかもしれませんが、私の世代はうしさん世代と連続しているので、ご主人の対応というか態度は半分くらい以上は理解できるような気がします。意外とこういう人は周囲にいたような気がします。かくいう私も具合が悪くて家で寝ている妻に病院にも行かないで寝ているなんてと怒ったら、人が具合が悪いのにそれを怒るとはと誤解をされたことがあります。まず優しいいたわりの言葉を必要としていたのでしょうね(苦笑)。ああそうかと気づいても後の祭りという奴でして、そこから先は黙るしかないと思ってしまうのもうしさん世代との地続き文化の住人の愚かしさと悲しさです(苦笑)。
でもうしさんはそれをご主人の不器用さだったんだとしっかり受け止めておられるところがすごいなと思います。土佐のはちきんの面目躍如というところでしょうか。ご主人が人生の最後をうしさんに委ねた理由もまたよくわかります。うしさんもご立派に全うされたのではないでしょうか。現在のうしさんの充実ぶりがなによりもそのことを物語っているように思われます。きっと草葉の陰でご主人が生前不器用で出来なかった応援を一生懸命されているのでしょう。うらやましいですよ。
by miyata (2010-03-15 14:12) 

miyata

Alloraさん、こんにちは。
私の妻が入院しているリハビリ病院にも骨折で入院されている高齢のご婦人が多いのに驚きます。むしろ脳卒中患者より多いのではなかろうかと思われるほどです。なかなか歩行が困難で、早く家に帰りたいがまだこの状態では家での生活が難しいことは本人たちも理解していて一生懸命リハビリに取り組んでいますが、年齢のこともあり遅々として進まない回復に苛立ちつつも、じっと耐えている姿に思わず頭を垂れてしまいます。私ならきっととっくに自暴自棄になって、啖呵でも切って追い出されるように病院を出てしまうことでしょう。
きっとお母さんは、そうやって自分の現状に向き合って耐えることと思います。入院中は出来る事なんてあまりありませんけど(洗濯とか身の回りのことなどけっこう忙しいかもしれませんが)、せいぜい愚痴を聞いてやることだと思います。なんたって入院生活はストレスです。その最大の原因は病院関係者がそのことに無自覚だということに尽きるような気がします。むろん口ではそういうのですが、あれは頭だけの理解という奴でその証拠に、入院生活がなぜストレスの原因になるかという根本的な解決が制度的に図られたことがないことで証明されていると思います。高齢であれ、若年であれ同じ基準の「規則正しい」生活なんて考えるだけでも私はぞっとします(苦笑)。お年寄りはちゃんと頑張りどころを心得ていて、楽するところは楽する勘所もわかっているのにそういうのは無視されてまるで赤ちゃんのように服従させられるのですからね。入院生活に耐えられるように、インセンティブといえば聞こえが悪いですがそういう支えになるものがあるといいかもしれません。
私も女房が帰ってきた場合のことをそろそろ考えはじめなければと思っています。
by miyata (2010-03-15 14:34) 

にこにこ

2回目になってしまいました
私は結婚してから2回入院をしました。
1回目は結婚して5年目子供もなかって共働き。家はたてていました。
高熱でだるくて病院へ行って即入院になりました。「俺の了解もとらずに入院した」と怒こり通し病院のナースたちもその状況も知って同情してくれました。その後は腹部から右半分だけ痛い
ある朝、お部屋で排尿をすることが医師の指示だったのです。

コトンと音がしました
すぐ検査に出してくれました蓚酸結石でした。
高熱のためのクロマイを注射していました。

退院してからあまりにだるいので検査をしますと白血球が2000
顆粒白血球減少症。学院の講義をしながら自宅療養でした。
まあそのうちになおりました。
後は帝王切開です。たった1回の出産なのに子供は死ぬかもしれない。夫はひたすら怒るのです。
何が言いたかったかといいますと宮田さんが奥様を愛していらっしゃる姿に感動しているのです。
夫が私への愛がなかったわけではないでしょうがあまりにも不器用だったから。
変換ミスに気がついて書き直しました
by にこにこ (2010-03-17 14:56) 

miyata

ぼんぼちぼちぼちさん、niceをありがとうございます。
by miyata (2010-04-05 10:25) 

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